ビジター中継と応援番組でドラゴンズに食い込んだ

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ドラゴンズ戦中継は新規参入が困難だった

今回は野球のお話です。名古屋の地元球団と言えば中日ドラゴンズです。名古屋では圧倒的に人気があり、いくら全国紙のトップが他球団の話題でも、中日スポーツのトップは、ドラゴンズ関連の記事になります。

またテレビも、名古屋地区では東京からの番組を差し替えて、ドラゴンズ戦をゴールデンタイムに編成し、成績により左右はされますが高視聴率となっています。

先発局も名古屋テレビと中京テレビは中継できない

中日ドラゴンズは、その名のとおり中日新聞が母体の球団です。しかも締め付けはきつく、ドラゴンズのホームゲームの放映権は、中日新聞系列の中部日本放送(CBC)と東海テレビの2社独占となっていました。

その後開局した、非中日新聞系列である、名古屋テレビ、中京テレビにナゴヤ球場(旧:中日球場)の放映権は与えられることはありませんでした。

当初日本テレビ系列だった名古屋テレビは、日本テレビの巨人戦中継をネットすることで、ドラゴンズ戦も流していましたが、日本テレビの番組を中京テレビに譲った後は、巨人戦も中京テレビで放送されることになり、名古屋テレビのゴールデンタイムにドラゴンズ戦が流れることは無くなってしまいました。

三重テレビが東海テレビの権利を使って中継するように

その後三重テレビが開局すると、三重テレビは名古屋テレビ、中京テレビを差し置いて、1970(S45)年4月から、中日球場のドラゴンズ戦を中継するようになりました。

これは、三重テレビと資本関係のある東海テレビが、東京からの番組を差し替えられないなど、事情があって中継できない日に限って三重テレビに放映権を譲り、試合開始から終了までのドラゴンズ戦完全中継が実現したのです。

しかもこの年は、巨人が優勝を決めた「中日×巨人」戦を三重テレビが中継するなど、これは当時話題になり、三重テレビで放送されるドラゴンズ戦を見るために、アンテナを建てた愛知県民も相当いたとのことです。

副音声でドラゴンズを応援した中京テレビ

なんとかして、ドラゴンズファンを取り込みたい名古屋テレビと中京テレビは、さまざまな策を練ります。

まず中京テレビは、東京からネットされる後楽園球場の「巨人×中日」戦に限って、在名民放局で最初に開始した音声多重放送を使用し、副音声にて「ドラゴンズ応援放送」をはじめました。

現在は終了してしまいましたが、ビートたけしさんが登場したり、様々な意外なゲストもあり、とても面白い放送となりました。

名古屋テレビは「ビデオナイター」

そして、名古屋テレビは三重テレビが同時ネットしていた、TVKテレビ(独立U局)の「横浜×中日」などを録画し、深夜に「ビデオナイター」として放送したり、ローカルニュースの中で、TVKテレビやサンテレビの映像を使用して、速報をしたりしていました。

このような状況ですから、新局・テレビ愛知がドラゴンズ戦中継をするというのは、甚だ困難かと思われていました。ところが、テレビ愛知は意外な方法にて、ドラゴンズ戦の中継を始めます。

テレビ愛知はビジター乗り込み中継を開始

1985(S60)年、それまで名古屋ではネットされることの無かった、広島東洋カープ主催ゲームの放映権をテレビ愛知は獲得。5月12日に新大分球場から、初めて自社制作による「ドラゴンズナイター」を放送することができました。

そうです、テレビ愛知は他球団のドラゴンズ戦の放映権を獲得し、遠征中継する策に出たのです。この「広島×中日」戦は19.0%を獲得し、この日は在名局トップとなりました。

広島に続いてヤクルトも

そして翌年には、ヤクルトスワローズ主催ゲームの放映権を獲得。この年の放映試合数は8試合とまだ少なかったのですが、このようにして少しずつ「ドラゴンズナイター」を増やしていきます。

この、神宮球場や広島市民球場からの中継は、その地元局からのネット受けではなく、テレビ愛知のスタッフが自ら乗り込み中継するスタイルだったため、元CBCアナウンサー福井豊治さんが実況に起用され、その後1986(S61)10月にスタートした「週刊ドラまちっくNEWS」のメインキャスターも務められ、テレビ愛知におけるドラゴンズの顔として活躍されました。

テレビ愛知のビジターナイターが30.2%を記録

そして「ドラゴンズナイター」は1989(H元)年4月21日の「ヤクルト×中日」戦が30.2%を記録。しかし、テレビ愛知においてドラゴンズ番組だけでなく、ニュースなどでも活躍された福井豊治さんは1994(H6)年7月、テレビ和歌山の高校野球実況の後、和歌山市内のホテルで亡くなられました。51歳でした。

在阪局・サンテレビ以外として初の甲子園球場の権利を獲得

さて、その後ドラゴンズ戦中継は、元テレビ東京の土居壮さんや、中本克樹アナウンサーが担当するようになり、1996(H8)年には甲子園球場の阪神戦の放映権も獲得。この甲子園球場からの中継は、在阪局およびサンテレビ以外のテレビ局としては、初めての中継となったのです。

ドラゴンズ応援番組も制作

ドラゴンズ応援番組についても、テレビ愛知は積極的に制作しました。開局日にスタートしたのが、「MYドラゴンズ」(7分/週5回)。これは主にドラゴンズの選手インタビューという録画番組でした。

他局と同じように、応援番組スタイルになったのが、先述の「週刊ドラまちっくNEWS」。その後日曜朝9時に「ドラゴンズサンデー9」(25分)という番組が始まるのですが、これが今ひとつパッとせず、シーズンオフになると、番組もお休みになってしまうという状態でした。

土曜の深夜にローカル総合スポーツワイド

この後、1994(H6)年4月に登場するのが、史上初のローカル総合スポーツワイド「スポーツでないと」(55分)です。土曜の深夜、野球・サッカー・競馬・競輪・競艇・釣り、そしてテレビ東京系列としては異例の芸能を扱い勝負に出たのですが、野球のシーズンが終わる前の9月に、半年で終了してしまいました。

今度は帯番組でドラグラTODAY

しかし挑戦は続きます。翌年1995(H7)4月からは、ネット番組「スポーツTODAY」の後に「ドラゴンズ&グランパスTODAY」(15分/週5回)を編成。毎日ドラゴンズとグランパス情報を流す初めての帯によるローカルスポーツ番組となったのですが、やはり半年で終了してしまいます。

その後は10月から「竜鯱(ドラグラ)亭営業中」(30分)を水曜深夜に編成するもこちらも半年で終了してしまい、結局1996(H8)4月からは元の日曜朝9時「ドラグラサンデー」(30分)に。

そして現在は、日曜深夜にひっそりと「どらぐら2」(15分)という番組が編成されるにとどまっています。それにしても、名古屋のテレビ局というのはドラゴンズ応援番組を制作するというのが義務になっているのでしょうか。

テレビ愛知のスポーツ番組は、このように振り返ってみただけでも、試行錯誤を繰り返しつつも続けようという意思がが伝わってきます。

ところが!

me-ko
me-ko

ドラゴンズを応援してきた報いがこの後訪れるのです

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