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夢を見続け40年・最後は朽ち果て...横浜ドリームランド

記事公開日:2007年12月9日 更新日:

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 我が国のテーマパークの草分けとして、かつて存在した「ドリームランド」。このサイトでは以前、奈良県にあった奈良ドリームランドの跡地を紹介したことがありました。私はドリームランドが営業していた頃には訪れたことがなく、廃墟としてのドリームランドを目の当たりにしただけでしたが、その感想を書いたところその記事は反響が大きく、開業当時を知る人からたくさんのリアクションをいただきました。

 今はまだ残っている、奈良ドリームランドの「夢の跡」は今後どうなってしまうのか。

 その未来を予測する上で、奈良よりも先に閉園したもうひとつのドリームランドの跡地を見に行ってきました。そこには、遊園地だけでなく、もうひとつの大きな夢があったことがわかったのですが、遊園地もそれも今はもう...。

もうひとつのドリームランド

 横浜市戸塚区。ここには1964(S39)年から2002(H14)年まで「横浜ドリームランド」がありました。奈良に遅れること3年後に開業し、奈良よりも4年早く閉園したことになります。かつての姿を知る友人に案内され、「ここに横浜ドリームランドがあったんだよ」と言われたのですが、そこには大きな住宅団地とバスターミナル、横浜薬科大学と整備中の公園があるのみ。名古屋でもよくある、丘陵地の文教地区と住宅街という姿でしかありません。

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 しかし、横浜薬科大学を覗いてみると、何やらシンボルタワーのような建物が。図書館なのですが、それにしても変わったデザインです。実はこれ、ドリームランドにあった「ホテルエンパイア」の建物をそのまま使っているのです。そしてその近くにある大学の建物は旧ドリームボウル。大学となった今もここにはドリームランドの面影が。と言いますか、面影はそれだけしかありません。

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ドリームランドの面影は?

 かつて遊園地があった場所は、この横浜薬科大学と横浜市の俣野公園などに姿を変えており、もはやここに遊園地があったと思わせてくれるものはほかに無いのか...。

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 と思って周囲を見渡すと、バス停の名は今も「ドリームランド」。

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 さらには、横浜銀行の入ったドリームビルや、集合住宅ドリームハイツと、夢のある名前が溢れています。このドリームハイツは、遊園地があった頃からあるもので、当初はこのドリームハイツの部分も含めて巨大な遊園地だったものが、ある出来事によって来客が減少したことで、敷地の半分を売却せざるを得なくなったため、70年代に住宅地に姿を変えたものだったのです。

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 ある出来事とは。

公共交通になるはずだったモノレール

 この横浜ドリームランドは、最寄の大船駅から離れた場所にあり、遊園地が開業した2年後の1966(S41)年に、来場者の利便性を向上するためと、アトラクションとして5.3キロメートルのモノレールを敷設したのです。奈良ドリームランドの場合は、未来の乗り物としてモノレールが敷地内を走っていただけだったのですが、横浜の場合は実際に公共交通としてモノレールを走らせたというわけです。

 しかし、モノレールはわずか1年半弱で休止に追い込まれます。運行休止勧告が下されたのです。設計時よりも実際は車両がかなり重く、橋脚などに亀裂が入ってしまったのです。

 そのため、ドリームランドへのアクセスはバス路線のみとなったのですが、この付近は渋滞が頻繁に発生し、その影響で客足が遠のいてしまったと言われています。

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 モノレールは1967(S42)年に休止したのですが、再開することで「渋滞知らずの通勤」を謳い文句にドリームハイツの入居者募集を行った経緯もあり、HSST(リニアモーターカー)などとしての復活が模索され、モノレールの橋脚はずっと放置されていました。

長年残されていたモノレールの橋脚

 では、その橋脚が残っていた4年前の写真をご紹介しつつ、当時に時間を戻してみましょう。2003(H15)年2月当時、横浜ドリームランドは既に閉園していたものの、ドリームボウルはまだ営業しており、観覧車などの施設はそのまま残されていました。

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 この頃は、ドリームランドの跡地を中古車オークションの「USS」が買い取っており、オークション会場として使用することになっていて、現地事務所なども設置されていました。しかしこの計画は住民の反対により中止になり、現在の横浜薬科大学に落ち着いています。

 大船駅からドリームランドへと続くモノレール。この時は既に運行が休止されてから36年の月日が経過しており、街中をまったく生気の無いコンクリートが駆け抜けているという異様な光景が見られました。

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 36年という月日は半端なものではありません。駅舎は既に朽ち果てる寸前。遊園地を楽しみに乗客がモノレールを乗り降りした期間はわずか1年半。それから36年の間、少しずつ朽ち果てながらも、ずっと再開という夢を見続けていたのです。

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使われたのは1年半だけ…のこされていた36年

 20代、いや30代の人でさえ、このレールに車両が走っている姿を見たことが無いのです。そんなものが街の中を、住宅のすぐ横を駆け巡っていました。放置され続けるレールとは対照的に、レールの周囲はどんどん宅地化が進んでいきました。一戸建て住宅の横の急勾配をカーブしながら縫っていきます。この急勾配も再開のネックでした。

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 ドリームランドは夢の跡となったにもかかわらず、かつて時代の最先端として生まれたモノレールは、数十年の時を経て再び最先端な乗り物である、HSST(リニアモーターカー)に生まれ変わるという夢を最後まで見ていました。

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 実はこの時、既に再開計画は断念という決定が下されており、廃止が発表されていたのですが、まだ免許は残っていました。しかし、とうとうこの後、免許も失い、土地は売却され、橋脚は撤去されることになります。街のなかを縦横に走る廃墟。初めてそれを目にする者は驚くものの、ここではそれがあって当たり前だったものが、とうとう姿を消すことになったのです。

夢見た後に…

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 そして今では、かつて橋脚があった場所は真新しい住宅街などに姿を変え、36年に渡って何も通ることのなかったレールの橋脚によって湾曲させられていた道路も、跡形はほとんどなく改良され、今では本当にここにモノレールの路線があったのかと、思わず疑ってしまうほどに何も無い普通の住宅街となっています。

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 首都圏でテーマパークの先駆けとして、ランドマークとなるホテルを兼ね備えた一大リゾート地と、最寄り駅を結ぶ最新鋭のモノレール。当時のそのワクワク感を知る人も、今では40代後半以上ということになります。

 奈良ドリームランドは夢の跡でしたが、横浜ドリームランドは夢の後。

 もはや、現地を訪れてもその夢の残骸に触れることもできません。でもその夢は、間違い無く数年前まではここに存在していたのです。遊園地が消え、ボウリング場が消えても、地域の人々の足として、数十年の時を越え、リニアモーターカーに生まれ変わるという夢を見ていたのです。

 でも結局、夢は夢のままでした。

 さて、遊園地とモノレールの組み合わせといえば、同じ神奈川県でもうひとつ思い浮かべる場所があります。小田急の向ヶ丘遊園へと足を進めます。

取材協力

KAZ Communications

関連情報

横浜ドリームランド跡地(横浜・戸塚区)MAP

神奈川県横浜市戸塚区俣野町 俣野公園

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