開局当時のテレビ愛知の顔はみのもんたさんだった

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開局の瞬間は見られなかった小学生でした

8月25日、サービス放送が開始され、テレビ東京の番組が流れるようになりました。CMの時間は「ただいまテレビ東京の番組をお送りしております。」というテロップとともに、ウインドサーフィンの映像が流れていたのを記憶しています。

開局がだんだんと近づいてきました。局内は、レギュラー番組の準備に加え、開局特番の準備と、それは、それはてんてこ舞いの毎日だったそうです。

明日からテレビ欄が変わりますという告知

そして31日、新聞にこのような案内が掲載されました。

「テレビ愛知-あすから拡充 テレビ愛知(UHF25チャンネル、豊橋地方=同52)はあす九月一日から本放送を始めますので、同日付から同番組表を拡充、朝夕刊に掲載します。また、NHK教育の番組表をNHK総合の右側に移します。」

これを見て、私は、NHK教育が総合の右側に映り、そのNHK教育のあった場所にテレビ愛知が挿入され、左から、「NHK総合、教育、CBC中日、東海THK、名古屋NBN、中京CTV、テレビ愛知TVA」という順番のテレビ欄を想像しました。

最初のCMは松坂屋

さて、前述のとおり、私の家のテレビは、開局日前日の8月31日に故障してしまったため、開局の瞬間を見ることはできませんでしたが、次のような様子だったそうです。

9月1日午前5時58分。黒川社長(当時)がスイッチを押すと、画面には「JOCI-TV テレビ愛知」「テレビ愛知 本放送開始 昭和58年9月1日」と表示されました。続いて、20年経った今も使われている、岡本滋夫氏製作のオープニング映像が流れ、テレビ愛知の放送が幕を開けました。

そして午前6時、本放送最初の番組は「清元・四季三葉草」、この番組は名古屋が誇る地元老舗デパート松坂屋の1社提供で、松坂屋が、テレビ愛知最初のスポンサーとなりました。そう言えば、オープニングCGの花ってカトレアっぽい?関係ないですね。たぶん。(カトレアは松坂屋のシンボルフラワー)

▲そう言えば、何となく松坂屋っぽい!?もちろん主要株主であります(出典:テレビ愛知オープニング)

なんとテレビ欄のど真ん中にテレビ愛知

9月1日、私は早起きをすると、さっそく新聞受に向かいました。テレビ愛知の放送は見られなくとも、新聞がどんな風になったか、どんな番組がスタートするのか。いち早くチェックしたかったのです。中日新聞を広げると、テレビ欄の変わり様に思わず目を疑いました。想像とは全く違っていたのです。

それまで左から、「NHK総合3」「CBC中日5」「東海THK1」「名古屋NBN11」「中京CTV35」「NHK教育9」、その左にハーフサイズで上に「三重MTV33」下に「岐阜GBS37」さらにその左上に小さく「テレビ愛知TVA25【サービス放送】」だったのが、ガラっと順番が変わっていたのです。

左から「NHK総合3」「NHK教育9」「CBC中日5」「東海THK1」「テレビ愛知TVA25」「名古屋NBN11」「中京CTV35」…(以下略)となったのです。

サービス放送の段階では、三重や岐阜よりも扱いの悪かったテレビ愛知。それまで、新聞のテレビ欄は、NHK教育は別格として、左から、開局の古い順に並ぶものだと思っていた少年時代の私は、新局テレビ愛知が真ん中になったというこの事実を、素直に受け止めることができませんでした。

そしてこの時、初めて悟ったのです。テレビ欄は、新聞社と仲の良い順番に並ぶものなのだと…。少し大人の世界を垣間見た気がしました。

▲開局日の新聞。おはスタに名古屋からの生中継があったようです(出典:中日新聞)

テレビ愛知開局特集という特別紙面

当日の中日新聞には、テレビ愛知開局特集が、カラーの別刷りで組まれました。大見出しで「愛知もテレビ6局時代」と書かれ、テレビ愛知の局舎が1面を飾っていました。

「東京-名古屋-大阪ネット系列化完了」という文字と共に、東京・大阪・名古屋の民放5系列関係が示してありました。このあたり、常に東京・大阪と肩を並べたい名古屋の性質がとてもよく現れており、名古屋の政財界にとって、テレビ愛知は念願の存在であったことが伺えました。

▲開局日の別刷り。この写真はヘリで空撮。中日の扱い良すぎ(出典:中日新聞)

在名局の歴史まで記されていた特集記事

この別刷りは4面に渡り、テレビ愛知開局の経緯から、25チャンネルの視聴の仕方、テレビ愛知の番組制作の方針、番組の紹介、さらにはそれまでの愛知県における簡単な放送史、加えて在名局の社屋の位置関係図など、放送大好き少年にとってはたまらない記事でした。

ボロボロになってしまったものの、今でも大切に保存してあります。テレビ欄の位置といい、この特集記事といい、テレビ愛知が中日と提携したからこそなせる業でしょう。

おばあちゃんの家にテレビ愛知を見に行った

さて、そんなに興奮しつつも、テレビの「U」のツマミが壊れてテレビ愛知を見られないという現実。テレビが見られないからと、新聞を食い入るように見つめる、そんな私の姿がさすがに不憫だったのか、親がこんな提案をしました。

「今度の日曜日、おばあちゃんの家に行こうか。」

そうか、その手があったか。と、私は間髪入れず、「行く!」と返事をしました。おばあちゃんの家は名古屋市内。確かダイヤル式のテレビも、タッチチャンネル式のテレビもあったはず。となれば絶対にテレビ愛知が映るはずです。そんな期待を胸に、新学期の小学校へと向かいました。

9月3日土曜の夜、いつものとおり「8時だヨ!全員集合」を見て、ベットに入ったのですが、「いよいよ明日、テレビ愛知が見られる。」そう思うとなかなか寝付けませんでした。つくづく変な子だと、自分でも思います。

とんだ「25」違いからのプレゼント

翌4日の日曜日、おばあちゃんの家に昼頃向かいました。着くや否や、私はびっくりしました。おじいちゃんの見ている、タッチチャンネル式のテレビに「25」が加わっているではありませんか、電器屋さんがセットしてくれたのだそうです。ところが、そのテレビは、おじいちゃんが大好きな「アタック25」を見ていたため、「25」に変えることはできませんでした。とんだ25違いです。

結局、親がおばあちゃんに事情を話すと、テレビ好きな私が、それではかわいそうだということで、なんと、使っていなかった14型のテレビを譲ってくれたのでした。ホント嬉しかった。

25チャンネルを見るといつでも登場するみのもんたさん

さて、おばあちゃんの家で、初めてテレビ愛知の本放送を見ました。いくつもの番組を見たのですが、午後4時54分に放送された、みのもんたさんの開局記念プレゼントクイズと、同じく5時から、これまたみのもんたさん司会の「メガTONクイズミス大集合!名古屋に集まれ!」が印象に残っています。

記念プレゼントクイズには、「希望商品:液晶テレビ」と書いて応募しました。よっぽど当時テレビが欲しかったんだなぁ。はずれましたけどね。

さらに、番宣のあちこちにもみのもんたさんは登場し、幾度となく繰り返される、開局記念プレゼントクイズの告知、さらにテレビ愛知ローカルの新番組、「みのもんたの時間ですよー」(毎週土曜14:00~15:25)の宣伝…。

子ども心に思ったこと

TOPPY
TOPPY

「みのもんたさんが、テレビ愛知を作ったの?」

幼心にそう思ったのでした。でも後にABCテレビの「ABOBAゲーム」の司会を
されているのを見て、そうではないと知るのです…。

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