
名古屋に新しいチャンネルだ! の 第8回です
メガTONネットの完成へ
テレビ大阪の設立にメドがついた頃、目は名古屋に向けられました。当時の資料によると、東京、大阪に次ぐ市場である名古屋をカバーし、メガ(Tokyo)O(Osaka)N(Nagoya)ネットが完成すると、どういう計算をしたのかはわかりませんが、この3局で、民力、購買力において全国の70%をカバーすることになるとありました。

2025年追記:水面下では岡山への系列局置局が決定しており、それに先立って名古屋に新テレビ局が開局することになったのです。
名古屋は中日新聞と合弁に
日経はテレビ大阪での経験からか、周辺の企業、政財界と仲良くする作戦に出たようです。まず地元の中日新聞社に協力を要請しました。これが後々大きく命運にかかわるのです。日経と中日は、以前から名古屋地区で、新聞の販売に関しても提携していたことから、名古屋新局は、日経と中日の共同経営という形はすんなりと決定しました。
1981(S56)年11月、日経は、名古屋地区民放第5局となる、名古屋新局の申請を郵政省に対して行いました。そして、電波管理審議会が開かれ、説明が行われました。テレビ大阪が大阪府域局になったことから、大方予想されていましたが、名古屋新局は愛知県のみをエリアとする県域局とすること、そして、チャンネルは25と決まりました。その後12月に正式答申があり、名古屋新局免許の申請受付が開始されたのです。
当初の局名の予定は「テレビ名古屋」
日経は、社名を「テレビ名古屋」とすることとしました。メガT(東京)O(大阪)N(名古屋)ネットの完成に向けてであります。ところがこれに対し、法務局が「テレビ名古屋」の登記は認められないという見解を示したのです。
名古屋には名古屋放送株式会社(現:名古屋テレビ放送株式会社)という放送局がすでにあり、「名古屋テレビ」という呼称を使用していたのです。それと酷似しているため認められないというのです。
そのため日経は、新局の社名を「テレビ愛知」と決定しなおし、申請を行いました。だからと言って、ネットワーク名称は「メガTOA」に変更されませんでした。
105社の申請を一本化
申請が1982(S57)年2月末に締め切られると、105社の申請を一本化する調整が始まりました。難航したものの、7月6日、テレビ愛知株式会社に一本化されました。そして13日。テレビ愛知株式会社に予備免許が公布され、準備は着々と進みます。

▲建設中の日経名古屋電波会館。ここにテレビ愛知は入居するのです(出典:テレビ愛知15年史)
名古屋でも見られていた三重テレビとの関係は…
さて、テレビ大阪同様の問題が、ここにも浮上してきました。そうです、独立U局の存在です。この地方には、三重テレビと岐阜放送があり、送信所の関係から、岐阜放送は愛知県であまり見られていなかったのですが…。
三重テレビは、地元球団・中日ドラゴンズ戦完全中継を武器に、愛知県で広く視聴されていました。「三重用アンテナ」と呼ばれる専用アンテナが、愛知県内のホームセンターに、常時在庫されているほどです。もちろん、テレビ東京の番組をネットしていたため、サンテレビと似たような状況でした。
三重テレビとテレビ愛知は「きょうだい会社」
ところが、特に三重テレビに対しては、サンテレビの時の様に、テレビ東京から絶縁状をたたきつけるわけには行かなかったのです。
三重テレビは中日新聞資本の放送局です。つまり、テレビ愛知ときょうだい会社になるわけです。東京12チャンネルに絶縁されたサンテレビが、その後悲惨な状況になったことは、中日新聞社も知っていたのでしょう。三重テレビから、テレビ東京の番組を取り上げてしまっては、三重テレビの今後の運営に支障があるのは明白でした。
そのため中日新聞と岐阜日日新聞はテレビ東京に対して三重テレビと岐阜放送に対しての「配慮」を共同で申し入れました。この時以来、テレビ東京から三重テレビへのネットについては制限が加えられているものの、絶縁とはなっていません。
ちなみに制限とは番組時間数についてであり、特定のジャンルの番組に対して行われているわけではありません。三重テレビで一切テレビ東京のニュース番組が流されないのは三重テレビの意向とのことです。
電波も飛んでアンテナも既に設置済の最高環境
テレビ愛知にとって、一番大切なのは電波の飛びの問題です。愛知県域とはいえ、岐阜市や津市、四日市市と、遠くまで飛ばしたい。この思いは強くありました。
まず出力です。日経とテレビ東京は、郵政省と折衝を重ね、出力20kWを認めてほしいと要請しました。しかし紆余曲折の末、テレビ大阪同様、10kWに落ち着いてしまいました。そうなると、送信アンテナ位置選びが重要になります。
テレビ大阪とテレビ愛知の決定的な違い
さて、テレビ大阪の時と、テレビ愛知の開局準備では、とても大きな違いがありました。それはアンテナです。テレビ大阪は、大阪初のUHF局であったため、各家庭にアンテナ設置をしてもらわなければ見られませんでした。
ところが、名古屋にはすでにUHF局がありました。それは中京テレビです。テレビ愛知は、中京テレビのアンテナを間借りして、同じ場所から送信することができれば、各家庭はアンテナを増やすことなく、チャンネルを「25」にセットするだけで、見ることができるのです。
しかも、中京テレビの尽力の成果だったのですが、この時点での愛知県内UHFアンテナ普及率は、すでにほぼ100%となっていました。これがもし、中京テレビにそっぽを向かれることとなれば、別の場所から送信しなければならず、各家庭にアンテナを設置してもらうという、テレビ大阪と同じ苦しみを味わわなければなりません。中京テレビの東山タワーを間借りさせてもらえるかどうか、これは死活問題でした。

▲中京テレビ敷地内にある、テレビ愛知東山送信所。(出典:テレビ愛知15年史)
中京テレビはテレ東と日経に「恩義」があった
ところが、これにはあっさりとOKがでます。そうです、中京テレビは以前、番組調達に困っていた当時、テレビ東京に助けてもらった恩があったのです。さらにこのテレビ愛知が開局するまで、中京テレビの資本は日本経済新聞でした。
そのためこの交渉はすんなり決定し、テレビ愛知が試験電波を初めて発射した1983(S58)年7月11日には、中京テレビの石川社長(当時)も立ち会ったそうです。
ロゴとオープニング・クロージング映像が決定
そして、ロゴも制定されました。日経の準備室は数人の専門家に依頼しました。その中で、コンペ方式で選ばれたのは、グラフィックデザイナーの岡本滋夫氏の作品でした。特徴はテレビ愛知の「愛」の字の中の「心」がハートになっているところです。

▲岡本氏がデザインしたテレビ愛知のロゴ。「愛」のハートに注目(出典:テレビ愛知)
そして岡本さんは、コーポレートカラーを決め、オープニング、クロージング映像を制作しました。この時作られたものは、映像も含め、全て現役で使用されており、20年経った今でも全く色あせておらず、当時いかに斬新なものだったのかと言うことが、感じられます。

同じく岡本氏制作のオープニング、クロージング映像。20年前にCG! (出典:テレビ愛知)
テレビ愛知が電波を発射したことで三重テレビの受信障害が発生
「ニコニコ家族のテレビ愛知」「愛と知性のチャンネル25」こういったキャッチフレーズの広告が、新聞などに6月頃から登場すると、「どうしたらテレビ愛知が見えるのか」という問い合わせが寄せられるようになり、PR活動を進めたのです。ところが思わぬ問題が発生します。

開局3ヶ月前の新聞広告。地図を見>ると、当初から愛知県100%カバー!?(出典:中日新聞)
7月11日から、試験電波を発射すると、多くの苦情が寄せられたのです。それは「三重テレビの映りが悪くなった」といったものでした。
テレビ愛知の送信所は、中京テレビと同じ場所だったため、テレビ愛知が送信すると、東山タワー周辺の強電界地域では、中京テレビと混信したり、その他の地域でも、三重テレビの越境電波を見ている家庭への影響が出ることを予測していたのですが、それが的中してしまったのです。さて、テレビ愛知はどう対処したのでしょうか。
テレビ大阪の教訓を生かして

地元とは仲良く。新聞社ともU局とも政財界とも仲良く…。テレビ愛知。



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