
- B級スポットとしてネットでも注目を集める日本で唯一の宗教公園
- 親鸞聖人の生涯を描いた浅野祥雲さん作のコンクリート像は100体以上
- 昭和9年のトレンドを反映した当時最新のテーマパークにタイムリープ!
B級スポットとしてネットで話題の宗教公園というパワーワード
昔から「カラフルなコンクリート像がたくさんある場所」として知っていて、何度も行ったこと自体はあり、ネット上でも「B級スポット」と知られる日本で唯一の「宗教公園」と言われる愛知県日進市の「五色園」。この一文だけでも特異な存在感を放っているのですが……。

その五色園の像の作者を長年にわたって研究されている、大竹敏之さんのガイドで五色園を見て回るツアーに参加してきました。そこでわかったのはこの五色園の真の姿。この五色園が作られた目的と、その背景を知ることで体感できるタイムリープ感がありました。

まっさらな状態から知る「五色園」
まずは五色園について。「大安寺というお寺が管理している入場無料の公園」と聞くと宗教色が強く感じられます。自分もこれまでその視点からこの施設を見ていたために見えていなかった要素がありました。
まずはその大きさ。五色園の敷地は約20万坪ですから、バンテリンドーム ナゴヤ13個分、東京ディズニーランドの広さをやや上回ります。この時点で「公園」と呼べるような存在ではないことがわかります。そしてそこに展示されているのが100体以上のコンクリート像。しかも屋外にあり景色とともに作品として存在しているのです。

それらの像の多くは親鸞聖人の生涯における様々な場面を表現したもので、どれも2メートル以上の大きさがあり等身大と言うには大きすぎるものばかりです。それらの像を作り上げたのが、大正時代から昭和にかけて愛知と岐阜を中心に活動されたコンクリート像作家の浅野祥雲さんです。

あの大竹敏之さんのガイドでめぐるツアーに参加
浅野祥雲さんが手掛けた像の特徴は、コンクリート製であること。さらにカラフルな彩色で、表情もユーモラスで物語性を強く感じさせるところです。そんな浅野祥雲さんの研究をライフワークとしている名古屋のネタライター大竹敏之さんとめぐるツアー「幻のコンクリ仏師・浅野祥雲の真実に迫る!五色園園内ツアー」に参加しました。
このツアーは、名古屋を中止に東海エリアで地元のヒト・モノ・コトに触れ、驚きの発見や感動ができる体験プログラムツアーの数々を提案している「大ナゴヤツアーズ」の主催でした。

カラフルなコンクリート像が繰り広げる世界観は……
五色園は昭和初期に作られており、コンクリート像はどれも作られてからかなりの年月が経過しているのですが、コンクリートで作られているということに加え、大竹さんが立ち上げた「浅野祥雲作品再生プロジェクト」によって修復・保全活動が行われたことで、どれも鮮やかな色彩を今に伝えています。

どの作品も表情の表現が豊かであり、さらに池のほとりにある竜と仙人が飛び出すシーンの像では、吹き出す水が立体化されているところからも、まさに物語の一場面を切り取るという特徴を感じられます。そして大竹さんが言います「かつてこの池ではボートの貸し出しが行われて若い人も多く訪れていました」

宗教公園でボートの貸し出しがあって若い人が来ていた…?この日、手渡された五色園の地図には「信仰と行楽の別天地・宗教公園五色園」とある一方で、「一家揃って楽しい観光・名鉄指定ハイキングコース」とあるのです。宗教色よりも実は行楽色のほうが強い施設なのでは…?と思い始めます。
本来のコンセプトとはズレているように感じる像もある理由
ちなみにその地図には「名古屋市外日進町岩藤新田」と書いてあるではありませんか。かつてはマスプロ電工も本社の住所として「名古屋市外日進町」と表記していたことを思い出しました。あれはマスプロ電工独特の表記ではなく、日進町にはかつて「愛知郡日進町」とは書かず「名古屋市外日進町」と書く文化があったのだということを知ることができました。

園内には様々なコンクリート像があり、今回のツアーではすべてを見る行程になっていないものの、それでも2時間ではまわりきれないほどの規模です。そのなかに「日吉丸矢作橋出世の糸口」という作品がありました。日吉丸とはのちの羽柴秀吉なわけですが、ここで疑問がわきます。この像たちだけは親鸞聖人の生涯とまったく関係がないという点です。

大竹さんの話によりますと、実は他にも親鸞聖人の生涯と関係のない偉人の像もあり、戦後の混乱のなかでこの「日吉丸矢作橋出世の糸口」以外は失われているようなのです。ひょっとするとそれは、先の大戦を想起させるようなものだったのかもしれません。経緯はわかりませんが、とにかく今は親鸞聖人の生涯を表現したものと、この「日吉丸矢作橋出世の糸口」が残されているという状態なのです。
非公開の秘仏は制作当時の色合いのまま
今回のツアーでは、非公開となっている作品も見ることができました。それは「六角堂」のなかにあるもので、若き日の親鸞聖人が如意輪観音のお告げを受けるシーンを描いたものです。他の像とは違い屋内に保管されていることから、作られた当時のままの色合いを残しています。

実はコンクリートにもカラフルなことにも理由があった
なぜコンクリート像として作られたのか。それは未来永劫ずっと残るように、当時としては「新素材」だったコンクリートを採用したからで、カラフルなのは仏像だから当然のことだったとのこと。

しかし文化財となると色を塗り直すことができないことから、文化財となっているような他の仏像は色あせ、そのあせた色合いが仏像のイメージとなっているのですが、五色園の像は文化財となっていないために塗り直し、当時の色彩を今に伝えている。つまりはカラフルな方が本来の姿ともいえるわけですね。

五色園の開園よりもお寺の建立のほうが実は遅い
そもそも五色園とは何なのでしょうか。実は、「お寺のなかに作られた五色園」ではなく、五色園が作られてそこにお寺が建立されたというのです。これには驚きました。公園が先なのです。となるとますます何の目的で作られたものなのか……ということになります。

昭和初期の観光のトレンドが「信仰」だった
五色園は長い月日をかけて作られたもので、1934年(昭和9年)に完成しています。親鸞聖人の生涯が描かれ、浄土真宗の教義にまつわる場面が表現されている「宗教公園」として、森夢幻氏が創設しているのですが、当時の時代背景として「宗教が観光のトレンド」だったというのです。

五色園が開園からさかのぼること7年、1927年(昭和2年)には日本初のコンクリート大仏といわれている聚楽園大仏が同じ愛知県内に建立され多くの人であふれかえったと言います。つまり当時で言う「お伊勢参りの現代版」、観光施設として作られた宗教施設であり、観光が先だったのですね。

つまり五色園は、宗教が観光トレンドであった時代に作られた巨大公園。つまりこれは「昭和初期の最新観光トレンドに乗っかった当時最新のテーマパーク」だったということになります。
昭和初期の最新テーマパークの90年後の姿が今の五色園
もちろん信仰も教えも伝承も本物ですが、その宗教色を「トレンド」として見ると、この五色園は「昭和9年に作られた最新テーマパーク」であり、今もその当時の姿を体感できる施設と考えると、「最新テーマパークの90年後の姿」でもあるわけです。

「多くの人でにぎわっている最新テーマパークを90年後に訪れてみた」というタイムリープ視点で五色園を見ると、そこには別の感覚があふれてきます。
昭和40年代は若者のデートスポット!?
実家でこの話をしたところ、父が「昭和40年代の五色園はデートスポットだったぞ、俺も行った」という証言を得ることができました。開設されて30年くらいの時期は、まだまだそういう位置づけだったのです。

五色園は「90年後のテーマパーク」にタイムリープできる施設!
昭和9年に誕生し、戦後の混乱を経て、昭和40年代まではデートスポットとして若者が押し寄せた五色園。近年はSNSで「B級スポット」などと言われていますが、大竹さんたちの尽力もあり、現代にその雰囲気を残し続けています。

「名古屋近郊に作られた昭和初期の最新・大人気観光施設!90年前にオープンした姿を保ち今もリアルに体感できるタイムリープテーマパーク」という楽しみ方で訪れることをオススメします。ぜひ昭和9年の最新観光施設の90年後を味わってみてください。




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