名鉄尾張瀬戸駅へ
2005(H17)年4月2日は、現在「愛・地球博」が開催されている瀬戸市にとって歴史の節目となる日です。瀬戸市は古くから陶磁器産業で栄えてきた街であると同時に、名古屋のベッドタウンでもあります。その名古屋・栄と瀬戸を結んでいるアーバンライン、名鉄瀬戸線が開通したのが1905(M38)年4月2日。そう、ちょうど100年前の今日なのです。
瀬戸線開通100周年
100年前の今日開通したのは、瀬戸駅(現在の尾張瀬戸駅)-矢田駅間。当時は瀬戸自動鉄道という会社でした。その翌年には大曽根まで延伸され、瀬戸自動鉄道が瀬戸電気鉄道に社名を変更しました。この瀬戸電気鉄道の名を略した「せとでん」という愛称で瀬戸線は呼ばれるようになります。
大曽根を境に市内外濠線と郡部線
そして名古屋城のお堀を通る大曽根-土居下間が1911(M44)年5月23日に開通。9月中旬にはさらに久屋、大津町、終点の堀川まで延伸され、「せとでん」は全線開通します。堀川の水運と結ばれた瀬戸線は貨物の輸送量が増大します。堀川と大曽根の間が「市内外壕線」、大曽根と瀬戸の間が「郡部線」と呼ばれていました。
「あれ?瀬戸線の終点は栄じゃないの?」
瀬戸線が栄に乗り入れるようになるのは、もっともっと後のことなのです。
せとでんは名鉄瀬戸線に
1939(S14)年9月1日に瀬戸電気鉄道は名古屋鉄道と合併し、せとでんは名鉄瀬戸線になります。1947(S22)年、名古屋市は瀬戸線と地下鉄を大曽根で相互乗り入れさせる計画を立てます。しかし名古屋市はその後態度
を一変。
名鉄はその後も瀬戸線を何とか繁華街・栄に乗り入れさせようと、1961(S36)年1月31日にも当時計画中だった地下鉄2号線(名城線)と、大曽根での相互乗り入れを名古屋市に申し出ますが、地下鉄は当初の計画と別のルートを通ることとなり不可能になってしまいます。そこで名鉄は、1967(S42)年9月に単独で栄乗り入れを申請するのですが、地下鉄のライバルとなるため名古屋市はなかなかそれを認めません。
名古屋市が急転
ところが名古屋市は、名古屋城のお堀を走る電車を何とかしたかったのと、名鉄の免許路線だった地下鉄鶴舞線の予定路線の一部(八事-赤池間)の鉄道免許が欲しかったために、1971(S46)年12月に名古屋市議会は、名鉄瀬戸線を地下化して栄まで乗り入れることを急遽認めます。
1976(S51)年2月にその準備のために尾張瀬戸-土居下間の運転となり、そして1978(S53)年8月20日、尾張瀬戸-栄町という現在の瀬戸線の姿になります。
1966(S41)年3月から1977(S52)年3月まではあのミュージックホーンを鳴らす「特急」が瀬戸線にも走っていました。今では信じられませんけどね。
今でもせとでん
名鉄瀬戸線は地元の人々に「瀬戸線」ではなく未だに「せとでん」と呼ばれています。瀬戸電気鉄道という会社が無くなって66年。駅にも車両にも「せとでん」という表記は残されていないのにもかかわらずです。実に不思議です。
愛・地球博に合わせて観光客を取り込もうと、尾張瀬戸駅に駅ビル「パルティ瀬戸」ができ、観光施設「瀬戸蔵」も市民会館を取り壊してオープンしました。いよいよ「観光地・瀬戸」としての歴史が幕を開け…たのかな。
パルティ瀬戸と瀬戸蔵は日を改めて見に行きます。
コメント
どちらもオープンしてすぐ訪れたけど(って言うか、近所だし)、
どちらもなかなか良かったですね。
瀬戸蔵、駐車料金が最初の1時間は無料だったのも好印象(笑)。
パルティせとの設計がまたしても黒川紀章氏だったと知ったのは
実は建設始まってから、というのはココだけの話(大汗)。
瀬戸電はやっぱり「せとでん」であります(笑)。
栄まで29分!なんつって、新たにリニューアルされた時は、
パレードにも参加しました・・・懐かしや!
おかげで栄まで夜遊びに出掛けることを覚えてしまいました(汗)。
でも、まだその頃は実は今と比べるとむちゃんこ不便だったんだけどね。
夜も21時台で確か終電になっちゃってたんじゃなかったっけ?もうチョイ遅かったかな?
でも、瀬戸駅のバスは最終が21時20分だったのは忘れてません(笑)。
電車はもうチョット遅くまで走ってるっていうのに。
おかげでいつもタクシー利用するなどしてましたね・・・勿体無い。
勿体無いと言えば、この瀬戸駅の2階にあった食堂が名残惜しいかな。
もう若い世代なんかになると全く知らないと思うんだけど。
ボクが子供の頃はまだ営業やってたんだけどね。
営業しなくなってからも店はそのままになってたんで、
この2階、今はどうなってんだろう??って不思議で仕方がなかったです。
いやぁ、それにしても・・・・・・マズかったなァ、この食堂(爆)。
(2005/04/08 2:13 AM)
尾張瀬戸駅付近、今でもたまに瀬戸線&バス通勤するときなどありますが、学生時代から比べともだいぶ変わりました。(早いもので入学から丸10年…。10年ひと昔とはよく言ったものです。)
そういえば、市民会館前にあったJRバスの瀬戸記念橋駅も取り壊されてますねぇ。通学の定期買いに行ったり、学校帰りにみどりの窓口利用していました。尾張瀬戸駅とはまた違う趣のあった建物でありました。
(2005/04/10 9:20 PM)
>yassさん
こんばんは。パルティせとですが、私はどうしてもあの水玉模様を生理的に受け付けませんね。なんであんなデザインなのでしょうか、黒川さん。私が物心ついたときには、もう尾張瀬戸駅の2階の食堂は無かったですね。取り壊しの時に、中京テレビのプラス1で特集をやっていて、そのとき2階も紹介していましたよ。
>さもんさん
こんばんは。瀬戸記念橋駅は日本で2つしかないバス停の駅舎のひとつだったんですけどね。瀬戸の名物が一つなくなりました。みどりの窓口はパルティに移ったようですね。
(2005/04/11 9:39 PM)
偶然ここへたどり着いた元名古屋市民です。
当時、小幡と喜多山の真ん中あたりに住んでいました。栄乗り入れ前の「せとでん」には思い出がたくさんあります。
守山市が名古屋市守山区になった頃(古い!)、私は小学生になったばかりでした。中学生だった兄がこんな入れ知恵をしたのです。「ひもでつないだ5円玉を線路の上に置いてみろ。電車の車輪が触れるか触れないかの瞬間につよく引っ張ると、それが磁石になるぞ」と。
私はさっそく5円玉を線路上に置き、ひもの端っこをつかんで線路わきの原っぱの草むらに身を潜めました。やがて遠くに列車の来るのが見え、私は列車と5円玉の両方に目を凝らしながら、身構えました。しかし電車は警笛を鳴らしながらスピードを落とし、止まってしまったのです。運転手が怒鳴り声を上げながら電車を降り、駆け寄ってきました。私は猛然と走り出し、逃げ切りました。
後日談があります。むかし北区に住んでいたというある出版社の編集長にこの話をしたら「私その話、子どもの頃聞きました。朝礼で校長先生が言ってましたよ。電車を止めて逃げた子がいます、みなさんは絶対まねをしないように、って」
それは私のことなのか、私の他にも電車を止めた子がいたのか、今となっては分かりません。当時は親にも友達にも決して話しませんでした。
>masaさま はじめまして こんにちは
興味深いお話ですね。
子どものイタズラとはいえ、電車が止まったのは事実なので、
校長先生のお話は、masaさんのことの可能性は…高いですよね。
しかし不思議なのは、線路に硬貨を置くと磁石になる、という話、
私も幼少の頃に聞いたことがあるんですよね。
私が聞いたのは10円玉でしたけれども…。
ひょっとして、子どもの間に広がり続けている都市伝説なのか、
それとも…本当に磁石になるのでしょうかね?
さっそく確かめに…と行きたいところですが、
今やったら確実に…マズいですね。
犬山線の線路で自転車を置いたら磁石になるか確かめたのは管理人さんですか?
>びょん吉さま こんにちは
さすがに、それはタイーホですよ。