万博の賑やかさを感じに行くのではない・公園に行くのだ-モリコロパーク後編

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 昨年9月25日に閉幕した愛・地球博。メイン会場だった長久手会場の跡地には、「愛・地球博記念公園(愛称:モリコロパーク)」の整備が進められています。その公園の第1期供用エリアがこの7月15日にオープンしましたので早速行ってきました。今回はそのレポートの後編です。前編はこちら。

第1期供用エリアオープン

<愛知国際児童年記念館>

 地球市民村のあった記念館では現在「集結!愛・地球博のロボットたち」という展示が行われており、青少年公園当時の施設の復活と、愛・地球博の幻影を追う展示とが入り乱れており、とても不思議な空間が出来上がっていました。まずはその万博廃人向け展示から。

 ロボットの展示は11月30日まで開かれており、会場の説明をしてくれた人型ロボット「アクトロイド」、三菱未来館にいた「wakamaru」、わんパク宝島で子守をしてくれた「PaPeRo」、警備していたのか子どものおもちゃになっていたのかよくわからなかった「ALSOKガードロボi」、夜中にグローバルループを清掃してくれた「スバルロボハイターRS1」「スバルロボハイターT1」「スイッピー」などが展示されています。

 ちなみに、休日を除いてはアクトロイド以外は置いてあるだけで動きませんのであしからず。wakamaruの横に置いてあったモニターでは、三菱未来館で関係者にだけ配布されたというDVDがリピートで流されており、wakamaruが掛け合いをしたプレショーをはじめシアターで流された映像も見ることができます。

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 それを見た相方は一言。「大きい画面と鏡の効果でだまされていたのかな。こうやって小さな画面で見るといかにもCGって感じの映像だね」。…。確かに、あの迫力を体験するには三菱未来館が移設されている、長崎県のハウステンボスに行くしかないかもしれません。

 そして会場内には地球市民村に参加したNPO、NGOを紹介するパネルがあります。万博に関する展示はここまで。後はかつての児童年記念館の施設がそのまま復活しています。

青少年公園時代の児童年記念館が復活

 世界の時間を現地のあいさつとともに紹介する「世界の時刻」や、ジェットコースターや宇宙旅行をした気分をひとりだけ味わえる、と言ってもその映像が流されるだけのローテクな「アドベンチャーボックス」、そしてこの記念館を案内する「いねむりおじいさん」。全てが復活していました。

 捨てずにちゃんととってあったのですね。当たり前のことですけど…。いねむりおじいさんはロボットたちの展示と混ざっていて、これもアクトロイドのひとつと勘違いする人がいるのではないかと勝手に危惧してしまいます。

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 有料施設もそのまま復活していました。童話の世界にトリップできる「童話館」は大人200円、中学生以下100円。「ビデオシアター」は30分100円です。愛知青少年公園が閉園になる直前だった2002(H15)年3月に、相方とこのビデオシアターに来て「ムーミン」と「バーバパパ」のビデオを見たのですが、復活した今「ムーミン」は無くなってしまいました。なぜ…。

 そこで今回は「チキチキマシン猛レース」と人形アニメ「学研ビデオ彦一とんちばなし」を視聴。前者は私たちの好みには合いませんでした。このビデオシアターの面白いところは、全てのビデオを紹介するパネルがお手製のものになっていて、使用中だとランプがついてわかるようになっているのですが、そのお手製パネルは、全て作品のロゴを真似て書いてあるのです。そんなところに力を注ぐ職員のセンスが素敵です。

<こどものひろば>

 その先のグローイングビレッジ跡を見てみます。グローイングビレッジから水の広場にかけては万博で設置された施設がそのまま残されていて、「自然体感遊具」と名付けられています。自然体感遊具の看板を見てはっとしました。この公園に来て、あいつらを初めて見たからです。初めて見たあいつらとは何か。それは、モリゾーとキッコロのイラストです。

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モリコロは自由には使えない

 モリコロパークという名でありながら、ここまでモリゾーとキッコロを屋台販売以外で見ることはありませんでした。実はこの点についても、前出の事情通である友人から釘をさされていました。愛知県は、既にモリゾーとキッコロを自由には使えない立場になっているのだそうで、それまで使っていたモリゾーとキッコロが印刷された県職員の名刺は、既に使用してはいけないことになっているのだそうです。

 理由は大人の事情です。

 ですから、モリコロパークという名前のチョイスは絶妙だとその友人は言います。なぜなら、その「モリコロ」が誰も「モリゾーとキッコロの略」だとは言っていないからです。そのせいか、この自然体感遊具の看板にあるモリゾーとキッコロの絵にはちゃんと「マルC」の著作権表示がありました。

 モリゾーとキッコロのイラストを使用するにもお金がかかるのでしょう。予算の無い愛知県が公園の随所にイラストを多用するわけがありません。ここでしっかりとモリゾーとキッコロを拝んでおきましょう。そのうちこのイラストも消されるかも…。

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公園ですからね

 というわけで、以上がモリコロパーク第1期供用エリアの全てです。なるほど、青少年公園が帰ってきただけということがよくわかりました。だったら青少年公園の名前のままでよかったんじゃないですかね。モリコロパークなんて名付けると、間違って万博の面影を探しに来る人がたくさんやってきますよ。まあ、サツキとメイの家と大観覧車だけにはそれが残っていますけど、それも期間限定。無くなる頃には…。

 これからお越しになる予定の皆さんに一言。「ただの公園」ということをしっかりと頭に入れてやってこないと、大きなダメージを受けることになりますのでご注意。モリゾーとキッコロも特定日を除いてほとんどいません。なぜなら、彼らはこの地方各地のイベントに引っ張りだこで忙しいのです。森に帰れる日はいつになることやら。

関連情報

愛・地球博記念公園

愛・地球博記念公園(愛知・長久手町)MAP

愛・地球博記念公園

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コメント

  1. 柴田晴廣 より:

    トッピーさん
     私は、愛地球博の開催については、批判的(公的資金の注入を受けていた当時の東海銀行が博覧会協会へ十億もの寄附をしていたという矛盾から)でしたから、正確には覚えていませんが、確か、モリゾー・キッコロは公募じゃなかったですか?
     おそらく、公募要綱に著作権は、博覧会協会に帰属する旨が謳われていたでしょうし、博覧会協会が消滅した後は、愛知県に著作権が承継されていると思います。
    (2006/08/07 7:34 AM)

  2. トッピー@管理人 より:

    >柴田晴廣さま、こんばんは。
    モリゾーとキッコロのデザインは、セントレアフレンズのキャラクターや、たまごクラブひよこクラブのキャラクターデザインをされているアランジアロンゾさんが手がけたものです。確か当時は、若手デザイナーによるコンペ方式で選ばれたと記憶しています。もちろん、権利は博覧会協会にあるわけですが、どうもそのあたりは商社や広告代理店がいろいろとしっかりと固めているみたいですから、今年末に協会が消滅しても、モリゾーとキッコロは愛知県には承継されないのではないかと…。協会の後継団体もできると思いますし…。
    (2006/08/09 1:55 AM)

  3. 柴田晴廣 より:

    トッピーさん
     仮にそうだとしたら、今までの箱物行政とまったく同じ県民税の無駄遣いにほかなりません。
     私が、愛地球博の開催に否定的だったのもそこにあります。
     これが神田県政の実態でしょうね。
     かといって、民主党が担ぐ神輿が当選しても変わらないでしょうが
     一部企業のみに利益が還元され、県民一人ひとりの生活はまったく向上していないどころかひどくなっている。
     一県民として悲しいことですが、格差社会の最先端を走っている。これが愛知県なのでしょう。
    (2006/08/09 8:13 AM)

  4. トッピー@管理人 より:

    >柴田晴廣さま、こんばんは。
    とはいえ、万博は国家プロジェクトであって、ただ開催場所が愛知だったというだけで、愛知県のイベントではありませんから仕方が無いですよね。誘致にお金を使ったのは確かですけれどもね。
    ただ、これまでの万博とは違って、利益配分が地元にあっただけでもマシだったかもしれません。
    (2006/08/15 1:44 AM)

  5. 藤岡義久 より:

    ただの公園 ですか。ガッカリしないように、心して行きたいと思います。キャラの著作権、最終的な収支等の難しい話はよく分かりませんが、70年大阪万博に比べ、夢も感動も無かったような気がします。私が生まれた年なので、当然の事ながら私自身は行っていませんが、後々映像で観たり、父親等から聞いた話など、わくわくするような万博だったのでしょう!外国人や、ハンバーガーですら珍しかった時代ですから、単純に比較は出来ませんが、愛地博は、そこそこは楽しめましたが、わくわくするような感動はありませんでした。85年の、筑波博も同様でしたが。経済的な問題なのか、こちらの知人で行った人は殆どいませんし。興味は皆持っていましたが。一年前の話を、ぐたぐた書きましたが、一応来月跡地を訪れたいと思います。宙に浮いたリニモには乗らず、車で!
    (2006/09/09 2:57 PM)

  6. トッピー@管理人 より:

    >藤岡義久さま
    こんにちは。1970年の大阪万博については生まれる前なので私もわからないのですが、やっぱり聞くところによると、高度経済成長のあの頃は、世の中自体が夢と希望に溢れていて、万博もそういった感じだったのでしょうね。私もあの頃を自分の目で見たかったという思いがありますね。誰もが将来に希望を持てるだなんて、まるで理想郷ですよね。でもそれはバブル崩壊で崩れるわけですが…。当時と今、どちらに生きるのが幸せなのかはわかりませんけど、70年代には憧れますね。
    (2006/09/12 11:30 AM)

  7. 両方の万博を知ってるひと より:

    トシなので、大阪と愛知と両方の万博を見ました。大阪は高度成長期だったため、確かにすごかった。冷戦下、アメリカとソ連の意地の張り合い、各国の大宣伝パビリオンの競演でした。それに比べると、愛・地球博は地味だったかもしれません。でも、立派な建物や映像は、万博でなくても見られる時代になりました。外国から来た人の踊りをナマで見たり、彼らとしゃべりながら買物したり食事して楽しむほうが、いまや貴重な経験です。愛・地球博は、「やっぱり人間の力が一番」「物よりも心」という大切なことを感じさせてくれた、すばらしい万博でした!
    (2007/10/03 7:03 PM)

  8. トッピー@管理人 より:

    >両方の万博を知ってるひとさま こんにちは
    確かに、愛・地球博ではインターネットや映像では得られない交流がメインになっていましたね。大阪はやっぱりすごかったんですね。今はそこまで意地の張り合いは無いですものね。あの時代にはあこがれますね。
    (2007/10/12 5:12 AM)

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