- 商売繁盛をお願いするなら「おちょぼさん」
- 串カツをはじめ気軽に楽しめるグルメ&おみやげがいっぱい
- 平田町から海津市へ…岐阜に海ってあったっけ?
おあげとロウソクで商売繁盛をお願い
もっとお仕事をたくさん受注できたらいいな!と思い、商売繁盛にご利益があるといわれる岐阜県海津市の「千代保稲荷神社」へと行ってきました。「おちょぼさん」の愛称で親しまれていて、平日でも観光バスが次々とやってくるなど多くの人が訪れています。
まずは、手水舎のところで「おあげ」と「ロウソク」が1セット50円で売られているので、買ってお参りです。
名刺を持ってくるのを忘れてしまった…
献灯所にロウソクを立てて、おあげを納めて…ここで重大なミスに気づきました。名刺を持ってくるのを忘れてしまったのです。社殿の向かいにある霊殿には名刺がずらり。そうですよね…商売繁盛を願うなら自らの名刺をお渡ししないと。
おみくじの結果は「大凶」。生まれて初めて引きました。「基本がなっとらん」としかられた感じですね…。
ただ、単発の新規案件の依頼が舞い込んできたので、ご利益はちゃんとありました。
黄金の串カツ・どてとイートインで草もち
おちょぼさんのお楽しみといえば、参拝後の参道グルメですよね。まずは「串カツ」と「どて」です。名物金ピカ社長でおなじみの「玉家」では、お店に入らなくても揚げたてを立ち食い形式でいただくことができます。
お店の人からお皿を受け取ったら、食べたぶんだけ後払い。目の前で揚げられたアツアツの串カツと、味噌の旨みがたっぶりしみんこんで、口のなかでとけてしまうどては絶品です。串カツはどで味でもソース味でも楽しめますよ。
スイーツも食べたくなりますよね。「草もち総本家・九洲屋」に入りました。北海道十勝産のあんこが、国産天然よもぎ100%で包まれた「草もち」に、きなこをまぶした「きなこもち」も。
イートインスペースもあってジェラートも楽しめます。この日、私たちが食べている間に草もちはぜんぶ売り切れになってしまうほどの人気でした。
おみやげは名物の漬物と長すぎる麩菓子
おみやげは田中物産漬物本舗(しおのくら)の漬物!これは外せません。「ベトコン白菜」も最高なのですが、今回は「国産しば漬」と「養老漬」を買いました。
しば漬は青しそが入っているのが特徴です。「養老漬」は昔ながらの辛口たくあんでして、養老山脈の寒風でさらし干されているので食感も最高。味の濃いたくあんです。
そして、これを見たら子どもが欲しがらないわけがないという、やたらと長い「麩菓子」です。折らずに持って帰ることができるかどうか不安になるくらいの長さです。「手作りふ菓子・はちみつ黒糖ふ」。岐阜は近代養蜂発祥の地と言われるくらいですから、その甘さはお墨付きです。
海津市のマスコットキャラクター「かいづっち」
おちょぼさんの参道を歩いていると、あちこちで見かけるのが海津市のマスコットキャラクター「かいづっち」のイラストです。お店の店先にはぬいぐるみも置いてあったりします。さすがお稲荷さんの街だけあってモチーフはキツネ。帽子には、「木曽三川公園タワー」と、メロン・イチゴ・みかんが乗っかっています。
古い平田町の看板が掲げられ一方で海津市の看板が…
ところで。気になる状況がありました。それは「ゴミを捨てるな!」という啓発看板なのですが、「平田町」と書かれたものが掲げられている一方で、「海津市」というシールが貼られたものが外されて隠されているのです。
時系列として、平田町が海津市になっているので、古いものが掲げられ、新しいものが隠されているという状態です。合併して海津市になったことが気に入らないという意思表明でしょうか?
「ひらなみ市」になる計画だった
海津市は、2005年(平成17年)に平田町、南濃町、海津町が合併して誕生しています。当初の計画ではそれぞれの町の名の一文字をとって「平南海市」、それをひらがなにして「ひらなみ市」とする計画だったのですが、反対の声によって郡名である「海津郡」から「海津市」となった経緯があります。
郡名とはいえ、海津町に平田町と南濃町が飲み込まれてしまった印象があるので、平田町の人にとっては面白くないということでしょうか。それがあの看板の事態を招いているのでしょうか。
もともと頭文字をとって生まれた「海津」
「ひらなみ市(平南海市)」はそれぞれの町の頭文字をとる計画だったわけですが、そもそも海津もそうなんですよね。「海西郡」と「下石津郡」からそれぞれ「海」と「津」をとって「海津」なのです。よくよく考えると岐阜県なのに「海」なんですよね。この海ってなんのことなのでしょう?
実はこの「海」、「海部」から来ていまして、愛知県にある「海部郡」「あま市」の「海」と同じ由来なのです。
「海部」の西側の岐阜県部分を示しているのが海津の「海」
いまから1300年ほど前に、「海部郡(あまのこおり)」という呼び名が誕生。それが平安時代に東西に分割されて「海東郡」と「海西郡」になります。その後、洪水などによって川の流れが変わり、海西郡が「尾張」と「美濃」に分かれます。
それにより「海東郡」「尾張の海西郡」「美濃の海西郡」ができ、明治になると「愛知県海東郡」「愛知県海西郡」「岐阜県海西郡」になります。
それが大正時代に入ると、「愛知県海東郡」と「愛知県海西郡」がひとつになって「海部郡」が平安時代以来復活します。一方で岐阜県の海西郡は、それに先立ち1897年(明治30年)に下石津郡と一緒になり「海西下石津郡」略して「海津郡」になっていたというわけです。
海津と海部がひとつだったとは
古来から漁などをしていた「海人部(あまのべ)」を由来とする「海部(あま)」。海の無い岐阜県に「海津」という地名がある理由は、古くからここにそういった人々が住んでいたからであること、さらに愛知県の海部と繋がっていたのですね。
おちょぼさんの参道に「川魚料理」のお店が立ち並んでいるところにも、かつてここが「海部の一員」であったことが窺えます。
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