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名古屋の非電化ローカル鉄道・JRになれなかった城北線

記事公開日:2012年4月23日 更新日:

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★名古屋の北部を東西に走る全線高架の城北線とは
★何もかもが「高い」乗り換えのハードルも高い
★将来的には本当の「愛知環状鉄道」に?

 先日、「列車を停めて高架から電車を撮影!?-城北線貸切イベント」という、イベントレポートをアップしましたが、そもそも「城北線」とは一体どんな路線なのか、並走する道路は名古屋の大動脈なのに、なぜ20年経ってもマイナーな存在のままなのか、当初思い描いた夢の路線の実現はあるのか...。

 高架で高規格な複線の線路を走っているのに、非電化、1両、1時間に1本のローカル鉄道という、アンバランスで異彩を放つ「城北線」。なぜ、都会を走っているのに名古屋のアーバンラインになり得ないのか、そしてなぜJRではないのか、なぜ乗り換えが不便なのか。

 城北線とは一体どんな路線なのか、考えてみます。

もともとは国鉄瀬戸線になるはずだった

 春日井市の勝川駅と、清須市の枇杷島駅を東西に結ぶ「城北線」。国道302号線、名二環(名古屋第二環状自動車道・旧東名阪自動車道)と並走しています。もともとこの区間は、国鉄瀬戸線の一部として計画されたものでした。

 国鉄瀬戸線は、貨物輸送を主眼として計画されました。かつて、名古屋の笹島にあった貨物ターミナルの笹島駅は、東海道本線の北側からしか出入りすることができず、東京方面からやってきた全ての貨物列車は、いったん名古屋を通り過ぎ、稲沢駅で折り返しをして、再び名古屋を通り過ぎて笹島駅に入るという流れになっていました。

 国鉄瀬戸線は、瀬戸市駅から高蔵寺駅へとつながり、そこから中央本線を複々線化する形で勝川駅へ、そして稲沢駅へとつながる計画で、中央本線からやってきた貨物列車を、勝川駅で瀬戸線に入れることで稲沢、笹島へと接続、また、こちらも幻に終わってしまった、南方貨物線と合わせて運用することで、名古屋の都心部を貨物列車が迂回するネットワークを構築するはずでした。

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 1976(S51)年、国鉄瀬戸線は鉄道建設公団によって着工されます。しかし、貨物列車の需要は減る一方。国鉄の財政は悪化する一方。完成を目前にして工事は凍結されてしまいます。

 結局、国鉄瀬戸線計画は、瀬戸市駅と高蔵寺駅間については、国鉄岡多線の岡崎-瀬戸市駅間と合わせて、第3セクターの「愛知環状鉄道」として開通。高蔵寺駅と勝川駅間の中央線複々線化は中止となり土地は売却されました。また、小田井駅と稲沢駅間も中止となり、もともとは連絡線となるはずだった、枇杷島駅から小田井駅、そして小田井駅から勝川駅の11.2キロが「城北線」として開業するのです。

 当初の目的だった貨物列車は走ることなく、現在、日中は1時間に1本、1両の旅客車両が走っているのみです。では、乗ってみましょう。

切符が買えない

 城北線とJRを駅構内で乗り換えが可能なのが、清須市の枇杷島駅です。連絡改札もなく、JR同士のように乗り換えが可能なのですが、他のJRの駅の自動券売機で城北線連絡切符を買おうと、路線図を見ても...どこにも城北線の記載はありません。

 愛知環状鉄道や伊勢鉄道が記載されているのに、城北線が載っていないのです。それもそのはず、この枇杷島駅と勝川駅を除いては、JRの自動券売機で城北線への連絡切符を買うことはできないのです。

 これでは、普段名古屋圏でJRを利用する人にも、その存在を知られていなくても仕方ありません。しかもです。枇杷島駅でも、券売機上のJRの路線図には城北線は記載されておらず、さらに画面右下の小さな「城北線」というボタンをタッチしなければ切符が買えないという、まるで裏モードに入って買うかのようなオペレーション。これはハードル高いです。

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次発はいつ?

 枇杷島駅の改札をくぐると、電光掲示の次発案内があるのですが、それはJRだけ。城北線は壁に時刻表が貼ってあるのみで、それを確認するしかありません。まあ、電光掲示板が設置されていないのですから、それは仕方ないか...と、この時は思ったのですが...。

 ホームに下りると、そこには電光掲示板があるにもかかわらず、次発の案内は表示されていません。この表示板「まもなく列車がまいります」しか表示しないという、節電省エネ運用となっています。

 では、乗車しましょう。本当に1両のディーゼル車です。今から、全線高架の複線路線、しかも高速道路と並走するアーバンラインに乗るはずなのですが、扉が手動というのもこれまた、ローカル感満載です。しかも、自動では閉まりませんから、乗車したら閉めないといけません。

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乗り心地最高

 それでは、枇杷島駅を出発です。車両自体は田舎のローカル鉄道のようなのですが、車窓からの風景は違います。そのアンバランス感はすごいですね。さらに、鉄建公団が建設した路線だけあって、その造りは最高。ロングレールが採用されていて、揺れはほとんどありません。20メートルという高さもあいまって、快適に空を走るという形容がピッタリです。

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枇杷島駅(清須市)-JR東海道線と接続

 城北線が他の鉄道会社と一体になっている駅はここ枇杷島駅だけです。乗り換えがスムーズにできる唯一の駅です。しかし城北線は、名鉄犬山線、地下鉄鶴舞線、名鉄小牧線、JR中央線と、様々な鉄道路線と交差または接近しています。それらの路線との接続はしているようなしていないような...それもまた、城北線の利用価値を下げてしまっています。

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尾張星の宮駅(清須市)-開通時は終点でした

 1991(H3)年12月1日の開業から1年ちょっとの間は、勝川駅からこの尾張星の宮駅までの運転となっていました。旧新川町の中心部ともいえる場所ですが、駅前が大きく発展している様子もなく、静かな住宅街となっています。「尾張」と駅名についているので、「星の宮駅」が他のどこかにあるのかと思いきや、そうでもありません。なので、味美や勝川など他の駅名が他の鉄道事業者と共通な一方で、なぜこの駅だけ「尾張」と付いているのかはわかりません。地名としては「星の宮」という場所は他にもあるようですが。

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小田井駅(西区)-名鉄上小田井と接続?mozoワンダーシティ最寄り?

 城北線の小田井駅は、名鉄・地下鉄の上小田井駅まで徒歩6分(550m)、地下鉄鶴舞線の庄内緑地公園、名鉄の中小田井駅まではそれぞれ1キロという、中途半端な位置にあります。また、大型ショッピングセンター「mozoワンダーシティ」も駅から見え、700メートルの距離にあるものの、名鉄上小田井駅からも距離はほとんど変わらないということで、乗り換えとしても、目的地としても利用しづらい場所にあります。

 ただ、城北線が走る線路の場所から見れば、それでも小田井駅は最良の場所に設置されていると思います。非常に「惜しい」としか言いようが無い立地です。

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比良駅(西区)-道路の要衝地ではあるけれど

 続いて比良駅です。すぐ近くには楠ジャンクションがあり、自動車交通という観点から見ると、国道41号、国道302号、名二環、名古屋高速が交わる、名古屋北部最大の要衝地なのですが、その横にポツンと設置された比良駅は、他の何か鉄道と接続されているわけでもなく、幹線道路沿いの商業施設からも離れており、その環境から取り残されたように、静かに住宅地の駅として存在しています。

 地元住民にとっては、利用しやすい位置で静かな駅という感じかもしれませんが、逆にこの駅は、地元住民以外が使うことは皆無と思われます。

 比良駅近くからは、東海豪雨の際に新川が氾濫する原因のひとつとなった、庄内川の水を新川へと流す「洗堰緑地」を、被害者側の視点で見ることができます。名古屋市内に水を氾濫させないために、こっちに水を追いやったのか...と。

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味美駅(春日井市)-名鉄小牧線・最も乗り換えが困難かも

 春日井市内に入ります。味美駅です。この駅、名鉄小牧線の味美駅と同じ名前がついているのですが、その間の距離は徒歩13分(1キロ強)。もはや乗り換え、接続駅と言っていいのかすら迷うほどです。こここそ、尾張味美だとか、新味美だとか、別の駅名にした方がよかったのではないでしょうか。

 まあでも「味美で待ち合わせしようぜ」といった場合、ほとんどが名鉄で当たり前であって、城北線と間違えるなんてことはあまり無い気もします。寂しいですが。

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勝川駅(春日井市)-JR中央線といつかは...?

 枇杷島駅から17分。終点の勝川駅に到着です。たった17分で運賃430円という割高感もありますが、さらにもうひとつ脱力してしまうのがこの駅の存在です。

 勝川駅は現在も仮設の状態で、JR勝川駅までは約7分(600m)を歩かなければなりません。しかも、城北線はとても高い位置を走っているため、階段を下るだけでも一苦労。連絡通路があるとはいえ、その距離は結構こたえます。

 しかもくやしいのが、城北線勝川駅からは、JR勝川駅の高架を目視することができ、もう少し伸ばせば、JRの勝川駅に乗り入れできるんじゃないの?という構図になっていることです。実はここには、ひとつ思惑が見え隠れするのです。

 それでは、なぜ、城北線が今この状況なのか、考察しましょう。

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計画の名残を見ます

 枇杷島駅を出発して、尾張星の宮駅を越えますと、高架はふたつに別れます。これがかつて、稲沢へとつながる予定だった名残です。

 新川には、当初の計画ではここから稲沢方面へと伸びるはずの線路が建設される予定だった橋脚を見ることができます。国鉄瀬戸線の本線は、ここから稲沢へと向かうことになっていたのですね。

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乗り換え問題

 他のさまざまな鉄道路線と交差しているのに、驚くほどに接続環境が悪いのも、城北線の特徴です。

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 名鉄犬山線、地下鉄鶴舞線と乗り換えが可能な小田井駅もそうですし、名鉄小牧線の味美駅もそう。でもそれは、先ほども書きましたが、位置関係でどうしても仕方が無いことです。ただひとつ、納得がいかないのが、勝川駅です。

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 城北線は勝川駅に到着すると、その先が車庫になって終わっています。しかし、あと少し、あと少し頑張れば、JRの勝川駅に乗り入れられるはずなのです。片や枇杷島駅ではそれが実現しているのに、なぜ勝川駅ではできないのでしょうか。その疑問は、JR勝川駅に行くとさらに膨らみます。

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高架化を待っていたのではなかった

 かつてJR勝川駅は地上駅で、高架化工事と駅前再開発の大規模な工事が行われていました。その当時、城北線がJRの勝川駅に乗り入れないのは、その再開発の工事完了を待っているからではないか、と言われていました。

 しかしです。JR勝川駅の高架化と駅前再開発工事は2009(H21)年に完了。駅前のロータリーは東京郊外の街かのように綺麗になり、中央線も高架を走るようになりました。しかしです。城北線の駅は仮設のまま。接続されることはありませんでした。ところがです。

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 JR勝川駅のホームに上ってみますと、中央にはポカーンと空いたスペースが。どう見ても、ここに城北線を入れさせるための用地としか思えない空間があるのです。なぜ、ここまで用意がされているのに、城北線はJR勝川駅に乗り入れないのでしょうか。実はそこには、大きな問題がありました。

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そもそも「JR城北線」でない理由

 そもそも、城北線とはどこの鉄道会社が走らせているものかといいますと、線路自体は第1種鉄道事業者として「JR東海」の持ち物になっていまして、その上を、第2種鉄道事業者としてJR東海の子会社である「東海交通事業(TKJ)」が列車を走らせているという、かなり歪な運行となっています。第三セクターでもなく、JRでもない、とても中途半端な存在です。

 しかも、東海交通事業という子会社は、城北線を運行させるための会社ではなく、JRの駅業務の請負をメインで行っている会社で、会社全体における城北線の運賃収入の割合は3%にも満たないという形になっています。

 なぜ、そんなことになっているのでしょうか。それは、この城北線を建設したのが「日本鉄道建設公団(鉄建公団)」だからです。鉄建公団は、国鉄に代わって線路の建設を行い、その線路を国鉄に貸与したり譲渡したりしていた公団で、現在は独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構となっています。

 JR東海は、城北線の線路を保有という形になってはいるものの、2032(H44)年までは鉄道建設・運輸施設整備支援機構から貸与される形になっており、毎年賃借料を払わなければならないのです。

 しかもその賃借料は、変動します。つまり、城北線を勝川駅に乗り入れさせる工事をすれば、その工事費がかかるだけでなく、鉄道建設・運輸施設整備支援機構に毎年支払う賃借料も上がってしまうという、ダブルパンチを食らってしまうのです。

 つまりです。城北線の線路が本当にJR東海の持ち物となる2032(H44)年までは、最低限の設備で、最低限の運行で、最低限の投資で、細々と子会社による小規模な運行をさせたいというJR東海の思惑が、名古屋を走るアーバンラインにもかかわらず、非電化・ディーゼル・1両・日中時間1本・勝川の乗り換えに徒歩7分という状況を生み出しているのです。

城北線の夢

 枇杷島駅に停車する城北線。その線路は名古屋方向につながっています。ずーっと走っていくとそれは、あおなみ線の名古屋駅のホームに到着します。

 将来的に、城北線が完全にJR東海の持ち物になった際には、勝川駅で中央線に乗り入れることが可能になるでしょう。ということは...。

 金城ふ頭駅から名古屋駅へとつながるあおなみ線が、その先、枇杷島駅で城北線につながり、勝川駅で中央線に、高蔵寺駅で愛知環状鉄道につながり岡崎駅まで接続されるわけです。名古屋駅からぐるっと岡崎駅までつながるということは...。

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 なぜ、岡崎と高蔵寺を結んでいるだけの電車が「愛知環状鉄道」という名前になっているのか。もう、お気づきですよね。城北線が本領を発揮した際には、

岡崎-[愛環]-高蔵寺-[中央線]-勝川-[城北線]-枇杷島-[東海道線]-名古屋-[東海道線]-岡崎

 このような環状運転を実現することができるのです。

 さらに、あおなみ線(名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線)と接続することで、笹島から移転した名古屋貨物ターミナル駅とも接続され、当初の目的でもあった、貨物輸送にも使うことができるようになるのです。

 ただ...。

 そんな夢物語に取り掛かることができるのは、早くても20年後の2032(H44)年。実現するのは果たしていつのことになるのか...。

 現段階では、JR勝川駅に作られた、城北線を受け入れるためのポッカリと空いたスペースが、その未来に向けての唯一の準備と言えますね。

 JRに比べ高い運賃、高さ20メートル、空を走る「城北線」。開業から20年という時間が経過しましたが、便利な使える路線になるという夢に向かって新たな一歩を踏み出すまでには、さらにあと20年という長い時間を待たなければなりません。

取材協力

KAZ Communications

関連情報

TKJ東海交通事業・城北線

東海交通事業 城北線鉄道部(名古屋・西区)MAP

愛知県名古屋市西区八筋町8-1

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