「昔は栄のカンガルーの前でよく待ち合わせをしたものだよ。」
ある年齢以上の人に、名古屋一の繁華街「栄」についてのお話を伺うと、決まって出てくるのが「待ち合わせのカンガルー像」です。
それは広小路通と大津通が交差する栄交差点の南東角、三越の前にあったとのこと。今その場所にはライオンの像が座っています。ライオンといえば三越のシンボル。東京・三越日本橋本店には1914(T3)年の開店時からライオン像が設置されています。しかしなぜそのライオン像の場所に昔はカンガルー像があったのでしょうか。
名古屋の三越はなぜ「本店」なのか
そしてもうひとつ気になるのはこの三越の名古屋における存在です。名古屋の大手4デパートはかつてそれぞれの頭文字を取って「4M」と呼ばれていました。松坂屋、丸榮、名鉄、そして三越です。名古屋駅に本店がある名鉄百貨店以外の3Mは、この栄に本店があります。
生活と文化を結ぶマツザカヤ
名古屋で圧倒的な地位を誇り、カトレアをシンボルフラワーに採用している松坂屋は、東京上野、銀座、横浜、大阪高槻など国内各地やパリにも店舗を構えています。松坂屋は 1611(慶長16)年に名古屋に誕生した「いとう呉服店」を起源としています。
元は「いとう屋」という看板を掲げていましたが、1768(明和5)年に上野松坂屋を買収した際、既に知名度のあった「松坂屋」を屋号に加え「いとう松坂屋」としました。栄に百貨店をオープンした1910(M43)年3月当時はまだ「いとう呉服店」のままでしたが、1925(T14)年、現在の場所に移転すると同時に商号を「松坂屋」に変更しています。
ですので上野松坂屋が本店だと勘違いされることもありますが、松坂屋は今も名古屋に本社を置く、歴とした名古屋の百貨店です。本社は松坂屋名古屋本店内にあります。2003 (H15)年9月には新館をオープンし、東武百貨店池袋店を抜き日本一の売場面積となり、栄で圧倒的な存在感を示しています。
「ほっ」とサイズの百貨店・丸榮
いとう呉服店が誕生した4年後、1615(元和元)年に「十一屋呉服店」として名古屋で創業し、戦時下の百貨店整理統合によって1943(S18)年に「三星」と合併して誕生したのが「丸榮」です。丸榮は豊橋に関連会社による店舗がありますが、直営店としてはこの栄にある本館のみで、この栄が本店です。
屋号が丸に「栄」の文字なことからもわかりますね。丸榮のシンボルフラワーはカーネーション。かつては高島屋と提携している地味な百貨店というイメージでしたが、名古屋に高島屋が進出してからは渋谷109路線を取り入れたり、東京・京王百貨店と提携するなど新たな方向を模索しつつ、松坂屋とは対照的に、別館スカイルから撤退し売場面積を縮小。差別化による生き残り策に賭けています。
今日は帝劇、明日は三越
1673(延宝元)年に東京日本橋で開業した呉服店「越後屋」を起源としているのが三越です。1904(M37)年に三越呉服店と屋号を変え、デパートメントストア宣言を行い日本初の百貨店となりました。1914(T3)年に現在の日本橋本店がオープンしています。本店は今もその日本橋本店です。しかし三越は栄に「名古屋栄本店」を構えています。なぜ名古屋の三越は「栄本店」なのでしょうか。実はそれが先ほど登場した「待ち合わせのカンガルー像」と大きく関わっているのです。
▲三越名古屋栄本店。三越って名古屋が本店だったっけ?
オリエンタル中村百貨店は潰れたわけではない
栄に名古屋三越栄本店がオープンしたのは1980(S55)年のことです。しかし新たにオープンしたわけではなく、そこにはそれまで「オリエンタル中村百貨店」がありました。オリエンタル中村百貨店は1954(S29)年2月に設立され、5月に本店をオープン。そして1974 (S49)年には直営の星ヶ丘店を開店しました。
そのわずか6年後、オリエンタル中村百貨店は三越となるのです。ここで特筆すべきは、オリエンタル中村は倒産したわけでも、三越に買収されたわけではないということです。
オリエンタル中村百貨店が三越傘下になったのはこの時ではなく、1975(S50)年のことです。星ヶ丘店をオープンした翌年には既に三越傘下になっていたのです。しかし傘下といっても別会社。1980(S55)年の名古屋三越栄本店オープンは、オリエンタル中村が名古屋三越に看板を架け替えただけだったのです。
ですからオリエンタル中村栄本店が、名古屋三越栄本店となったのです。栄本店とは「株式会社名古屋三越」の本店を示していたのです。看板が架け替えられたのと同時に、それまでオリエンタル中村のシンボルとして正面玄関にあったカンガルー像は、三越のシンボルであるライオン像に場所を譲ったのです。カンガルーはライオンに食べられたわけではなく、ライオンの皮を被ったカンガルーになったのです。
しかし三越はひとつになってしまう
名古屋三越は、同じように小林百貨店から名称を変えた新潟三越と1987(S62)年に合併し、栄本店、星ヶ丘店、新潟店の3店舗体制となりました。他にも三越には千葉三越、福岡三越、鹿児島三越といった別会社がありました。しかし2003(H15)年、三越グループは新設合併によって、本体を含め全ての三越を合併。新たに「株式会社三越」を誕生させました。
千葉三越は三越千葉店、福岡三越は三越福岡店、そして鹿児島三越は三越鹿児島店という扱いになりました。ところが名古屋三越栄本店からは「本店」の名が奪われることは無く、今も三越名古屋栄本店と名乗っているのです。ですから三越は、日本橋本店と名古屋栄本店という二つの本店がある状態になっています。
これはオリエンタル中村という経緯に配慮しただけではなく、名古屋っ子の心理を実によくわかっている戦略だと思います。もし「三越名古屋栄店」にしてしまっていたら、多くの名古屋っ子を敵に回す結果となっていたことでしょう。東京に支配される名古屋という構図に嫌悪感を感じる名古屋っ子は少なくありません。
しかし三越本体の会社案内を見ますと、名古屋栄本店に「本店」の文字は無く「三越名古屋栄店」となっていたり、三越名古屋のホームページにも「栄本店」「栄店」「名古屋三越栄本店」「三越名古屋栄店」と様々な表記が見られるなど、扱いに苦慮している様子が伺えます。
「名古屋ってどうしてこう厄介なんだろう。」
旧三越本体の人はそう思っていることでしょう。吸収合併ではなく、新たに会社を作る新設合併だったことも影響しているのかもしれません。というわけで、ライオンの皮を被っていたカンガルーは、皮を被っているうちにすっかりライオンの一員になってしまったのでした。では、あのカンガルーはどこへ行ってしまったのか。私はそれを探るため、あるとしたら屋上だろうと狙いをつけ、三越栄本店の屋上遊園地へと向かいました。
▲屋上の昭和ランド。再現されたものではなく、リアルな昭和がココに。
屋上観覧車は名古屋が発祥
屋上には昭和ランドという、その名がぴったりの遊園地があります。ゲームセンターや動物の形をした遊具をはじめ、観覧車までもあります。幼い頃に遊んだ記憶が甦ります。しかし今は、訪れるお客はまばらで従業員の休憩所という様相です。観覧車はわずか9つしかゴンドラの無い小さなものですが、侮ること無かれ。
実はこの観覧車、1956(S31)年に作られた日本初の屋上観覧車なのです。直径はわずか10メートルで、1回200円です。2005(H17)年 3月に大観覧車を併設した複合ビル「サンシャイン栄」が栄にオープンしましたが、大先輩の観覧車はその新参者を見守る位置にあります。
全国各地に増えつつあるビルに併設された観覧車。実はその起源は名古屋にあったのです。屋上に観覧車を作れば、それ自体がショボくても景色は抜群。いかにも名古屋な発想です。
※観覧車の営業は2005(H17)年7月20日をもって終了しました。
▲屋上の観覧車。ここからサンシャイン栄の観覧車を見下ろせます。
さて、屋上遊園地にカンガルーの姿は見当たりません。実は、もうあのカンガルーは公開されていないのです。しかし今回は三越の方のご好意で、特別に見させていただくことができました。従業員しか入ることができない場所へと案内されました。
そこには白菊三光大神を祭る神社や、オリエンタル中村百貨店が1969(S44)年に作った「鯱の児之像」がありました。子どもが鯱を担ぐ像は、名古屋とともに歩むオリエンタル中村をイメージしたものでしょうか。
▲鯱を担ぐ子どもの像(非公開)。オリエンタル中村の勢いを表したのか。
そしていました。カンガルーです。今のライオン像のようにリアルなものだった印象があったのですが、デフォルメされた可愛らしいものでした。袋からは赤ちゃんが顔を覗かせています。全体は薄茶色なのですが、肩と腰の部分には外側から青、黄、赤色の円形模様が付けられています。ライオンよりも背が高く、確かに栄の交差点にあったら遠くからも目視できそうで、待ち合わせの目印にするにはぴったりです。
▲カンガルー像(非公開)。ある世代以上の方には懐かしいはず。
このカンガルー親子はかつて、たくさんの名古屋っ子の人間模様を見てきたことでしょう。今は三越の片隅で静かに余生を過ごしています。もうカンガルーの前で人間ドラマが繰り広げられることはありませんし、これからはカンガルーの存在自体が次第に忘れ去られていくことでしょう。両手を前に出しているその姿は、もう一度名古屋の街に戻りたいと言っているかのようにも見えます。
カンガルーの存在が忘れ去られる頃には、三越名古屋栄本店から「本店」の文字がひっそり消されているかもしれません。
▲三越がひとつになってしまった以上、ふたつの本店があるのは、どうなの?
追記
※栄の三越は「三越名古屋栄店」に改称されました。
※カンガルー像は一般公開されるようになりました。
※2009(H21)年10月1日に再び「名古屋三越」として分社化されることになりました。
※観覧車の運転が2012(H24)年8月22日より再開されました。(乗車はできません)
コメント
Toppy様、私の記憶の混乱を解いて下さいまして有り難う御座います。
先月、「東山モノレール」の件で「日本最古の屋上観覧車」を「名古屋・三越百貨店、屋上」と「カキコ」しましたが、五~六歳時の私の記憶では「オリエンタル中村」だったと記憶していました。
実を言いますと十数年前に、80年代いっぱいを「名古屋に転勤」していた友人から「屋上遊園地の観覧車は、名古屋・三越だよ。」と言われ、お袋からは「オリエンタル中村?・・ありゃあ、潰れたよ。」と言われていたため、私の「記憶違い」と思い込んでいました。
しかし、今回の「Toppy・net」により「オリエンタル中村」が「名古屋・三越」に名称変更しただけを知り、私は「記憶違いをしていなかった」事が、再確認出来ました。
75年3月末日をもって、私は、住み慣れた「尾張・岩倉」を離れてしまった為、「オリエンタル中村」が「名古屋・三越」に名称変更したのを知らず、今日まで来てしまった訳でした。
何より、「親子カンガルー像」に再び「お目に懸れた」のは、「懐かしさ」でいっぱいです。この「親子カンガルー」は、「渋谷駅・ハチ公像」と同様の存在でした。確かに、この像の前「遅れて来て謝る彼氏、それを叱る彼女」「夏休みに、帰省して来た娘と再会した父母」などを 私も来店するたびに見掛けました。正に「名古屋市民」を見守って来た「親子カンガルー」でした。
今回のToppy様のブログにより、「三重丸に中」のトレード・マークは、「名古屋人」の心に永遠だと知り、私は嬉しかったです。
>ara40oyajiさま こんばんは
私は残念ながら、「オリエンタル中村百貨店」という
その名の看板自体をはっきりとは記憶していないのですが、
このカンガルー像は、幼少時の記憶にはっきり残っていて、
三越の屋上遊園地もその頃行った記憶はあるので、
オリエンタル中村を意識はしていなかったものの、
その当時のことを記憶していることは一応している…
という年代なので、
オリエンタル中村百貨店という名前が、
逆に琴線に触れるといいますか、その頃のことをもっと知りたい
という衝動に駆られるキーワードになっています。
名前が三越となり、さらに三越本体に吸収されたものの、
再び分社化で名古屋三越に戻り、
現在は「名古屋栄三越」という呼称になるなど、
なかなかこの百貨店は落ち着きませんね。
何かそこにも、ただの三越の支店じゃないんだという、
そんな思いがどこかに残ってるかのような印象を持ちます。