13.緑区 名古屋を歩こう

何でも新鮮?わかりやすい高級住宅

記事公開日:2005年10月20日 更新日:

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 砦公園の北側を東西に走る県道諸輪名古屋線に出ます。そういえば、まだ旧東海道鳴海宿の西入口にあったという常夜燈を見ていません。ですので旧東海道の走る西方向へと歩いてみます。右手に名鉄自動車学校が見えると、反対の左側に大きな魚屋さんがあります。ここは地元、いや遠くからもたくさんのお客さんが激安の魚を求めてやってくる超有名店、「緑中央卸売市場・鮮魚問屋・ナルミ杉本」です。看板には「りくつぬき超・超・超激安店」のキャッチフレーズ。頻繁にテレビの番組にも取り上げられるこのお店は安いだけでなく、全国の市場から新鮮な魚が毎日到着しています。もちろん地元の三河湾や知多で水揚げされた魚も。忙しくない時であれば、お店の方に声を掛けると美味しい料理法も伝授してくれます。営業は日曜を除く毎日、朝6時半から魚が無くなるまでです。広告を一切せず、その分は価格で還元という心意気です。

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▲広告は一切出さずに価格に還元。ナルミ杉本。
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▲りくつ抜き超超超激安店。意気込みが伝わってきます。

 このあたりは、ポツンと輸入雑貨のオシャレなお店があったり、ビニル製のひさしに時代を感じる「すなっく」があったりと、知る人ぞ知るという感じのお店がたくさんあります。そして花井交差点を越えると、右側に東海49薬師霊場第34番札所の長翁寺があります。

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▲花井交差点。本当にさまざま業種の店が並んでいます。
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▲ビニルのひさしが時代を感じさせる「すなっく」。

 長翁寺は1582(天正10)年に海雄圭禅和尚が開山した曹洞宗のお寺で、当初ここから北東約600メートルほどのところ薬師山にあったのですが、江戸時代に現在地に移転しています。注目すべきは薬師堂にある宝物の薬師如来像です。薬師堂にある織田薬師如来とも呼ばれる薬師如来像は、長翁寺建立の際に信長の持仏を末弟の織田有楽斎が安置したものです。桶狭間の戦いの際も信長を守り抜いた守護仏です。他にもこのお寺には、安原備中守の家臣だった久野十太夫のものだったといわれる石仏や、1977(S52)年に開眼した水子地蔵菩薩、そして本尊の釈迦牟尼仏があります。桶狭間の戦いは天候も信長を味方したといいますが、それもこの織田薬師如来のおかげかも。

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▲信長の持仏を安置する長翁寺。

 長翁寺を越えて次の三皿という信号交差点を南北に横切るのが旧東海道なのですが、ちょっとお腹がすいたので、その先にあるイトーヨーカドーへ。フードコートにマクドナルドが入っていたので覗いてみると、見たことの無いすごい機械に「名古屋初ハンバーガーできたて工房」という文字が。注文すると、ハンバーガーを機械が自動で作るのです。しかもその機械はシースルーになっていて、作られていく様子がわかります。機械が作るので味気ない感じがしましたが、ちゃんと味は大丈夫でした。この界隈では魚だけではなく、ハンバーガーも新鮮に食べられます。

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▲ハンバーガーも新鮮なイトーヨーカドー。

 腹ごしらえも済みましたので旧東海道を北へと歩きます。

 三皿交差点から北へ。道路はやはり細く、旧街道の名残があります。右側の成海神社という石碑を越えると、居酒屋まる家の向こうに常夜燈らしきものが見えてきました。三皿交差点から300メートルほどのところです。この丹下町常夜燈が旧東海道鳴海宿の西入口でした。東入口から約1.7キロです。当時の鳴海宿の大きさに驚きです。火災厄除けを秋葉社に祈願したことから表には「秋葉大権現」、そして右にはこの常夜燈が建てられた「寛政四年」、左には「新馬中」、右には「願主重因」と彫られています。この常夜燈は1792(寛政4)年に篤志家の寄進で建てられたものです。宿場町の東端、西端にあった常夜燈が双方残されているところは少なく貴重です。今もはっきりと彫られた文字を読むことができるほど綺麗に残されています。

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▲旧東海道。まだここは鳴海宿内。
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▲この先、軽トラックがいるあたりで宿場町は終わりです。
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▲鳴海宿出口を示す、西の常夜灯。

 常夜燈のあたりはまだ区画整理中で、道路も入り組んでいて文字で説明するのも難しいほどのところです。常夜燈の北東にある光明寺には看板を頼りに行きましょう。この光明寺は1556(弘治2)年に剛庵和尚が開眼したもので、当時はここから北へ500メートルほどのところ、鎌倉街道沿いの三王山にあったものが、後に現在地へ移転しました。本尊は子安地蔵菩薩です。光明寺の入口は急坂になっていますが、その北側はさらに坂になっています。その北側には清水寺という地名があります。清水寺という名前のお寺はありません。その周辺には遺跡址がいくつもあります。それは後程行くとしまして、常夜燈の手前にあった、成海神社の石碑のある角を東に曲がって、成海神社へと向かいます。

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▲看板をたどらないと行き着くのは難しい光明寺。
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▲かつてはここから成海神社の参道だったのかな。石碑があります。

 ニコニコハウスという作業所を越えると成海神社の鳥居が見えてきます。神社は大きな森のようにも見えます。日本武尊、宮簀媛命、建稲種命を祭神とする延喜式内社の成海神社は、686(天武朱鳥元)年創建といわれていますから、1300年以上前に建てられた歴史ある神社です。当初は根古屋(鳴海)城址にあったのですが、お城の建設に伴い応永年間(1394-1427)に現在地へ移転しました。毎年10月には成海神社の例大祭である鳴海祭が行われ、山車が曳きまわされます。ちなみに、鳴海宿のところで紹介した鳴海祭とはかつては一体のお祭りだったのですが、元禄の頃から鳴海八幡宮の例大祭を表方、成海神社の例大祭を裏方に分けて開かれるようになりました。現在は表方祭が10月16日に近い日曜に、この成海神社の例大祭である裏方祭が10月第2日曜日に行われるようになっていて、同じ日に開催となると、9つもの山車が曳き回されることになります。

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▲クネクネと神社への参道が続きます。
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▲ようやく見えました、成海神社の西入口です。
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▲本当にたくさんの木に覆われ、神社の中の様子はまだわかりません。

 成海神社の境内には、赤い鮮やかな鳥居がいくつも並んだ東宮稲荷社があります。東宮とは、熱田神宮から見て東にあるお宮なことから名付けられたそうです。また、だるまを供養するだるま塚があり、願いの叶い終えただるま達が奉納されています。この神社は日本武尊が祀られているとおり、その縁の地であると同時に、松尾芭蕉がよく訪れた地でもあります。成海神社の茶室の庭には「初秋や海も青田も一みどり」という句碑が残されています。鳴海宿には芭蕉の供養塔もありました。そしてさらにこの北には、芭蕉が存命中に建てられた唯一の句碑のある公園もありますので、後程行ってみます。

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▲日本武尊を祀る本殿。
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▲赤い鳥居がいくつも並ぶ、東宮稲荷社。
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▲だるまを供養するだるま塚。

 さて、成海神社のすぐ北側には、トヨタ自動車の社宅があるのですが、トヨタはその一部の土地に分譲マンションを建設しました。トヨタの第1号分譲マンション「セルシオシティ鳴海」です。高級車「セルシオ」の名前を使うことでブランドイメージも高まり、なんとこのセルシオシティ鳴海は2001(H13)年3月に即日完売となりました。第1号にもかかわらず、かなり高い価格設定にもかかわらず即日完売とは、トヨタのブランド、そしてセルシオという名のブランド力に驚きです。マンションも新鮮なうちに全て売れてしまったということで、この界隈はやっぱり新鮮なものが好きなようです。

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▲東側からは本殿は見えず、稲荷者の赤い鳥居が目立ちます。
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▲この先にセルシオシティが。

 しかし、この一帯は先ほども申し上げましたとおり区画整理が済んでおらず、マンションの名前は「セルシオシティ」でも、その住所は「鳴海町字乙子山」と「字」がついてしまいます。住宅購入の際に住所に「字」が付くことを嫌う人も多いと聞きますが、セルシオという名前にはそんなことも吹き飛ばしてしまう威力があるようです。

 かつては「いつかはクラウン」でしたが、今や「いつかはセルシオ」、「もっといつかは家もセルシオ」ですね。


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