千鳥丘-狐に化かされる奇妙な階段

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緑区[14] 千鳥丘

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縄文・弥生時代の貝塚や住居跡-清水寺遺跡・鉾ノ木貝塚

 成海神社から再び、旧東海道沿いにあった光明寺方向へと戻ります。そして光明寺の東側の道路を北に歩きます。いかにも区画整理がされていないという路地を行きます。道路は太くなったり細くなったりしながら、急坂を登っていきます。すると舗装もされていない一角につきあたります。清水寺遺跡です。ここには縄文・弥生時代の貝塚、住居跡が残されていました。この周辺には貝塚や古墳跡をたくさん見ることができます。今回は遺跡を巡ることになります。しかしこの清水寺遺跡、名古屋市と書かれた工事用バリケードがひとつ無造作に置かれているだけで、遺跡だとは到底思えません。

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▲クネクネと細い道路を北へ。
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▲まだまだ急坂は続きます。
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▲ここが遺跡…?

 道路はそこで折れ曲がるので、急坂を下って旧東海道へと出ます。このあたりは本当に勾配がきつく、建物も坂にへばりつくように建っています。旧東海道を右折して200メートルほど歩くと、右側に今度は鉾ノ木貝塚があります。こちらは先ほどとは対照的に整備されており、一面にキンモクセイの黄色い花が咲いています。鉾の木貝塚は縄文時代前期の貝塚で、貝層はバイガイを主としていますが貝層は薄く、その下には縄文のあるやや厚い土器や薄手の細線文土器が、そして上部の貝層は縄文時代前期中頃の羽状縄文、爪形文を施した平底の深鉢型土器が主体でした。その土器の形が「鉾ノ木式」と名付けられたことから、この貝塚は鉾ノ木貝塚と呼ばれるようになり、現在の地名も「字鉾ノ木」、土器の形式名がそのまま地名になっています。鉾ノ木貝塚を発見した野村三郎氏はその後、周辺の上ノ山、大根、光正寺など貝塚をいくつも発見しました。ここから東800メートルほどにある新海池近くには古墳の跡も見ることができます。後程行くことにします。

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▲旧東海道へと坂を下ります。
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▲斜面にマンションがへばりつきます。急勾配なのがわかります。
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▲鉾ノ木貝塚跡はキンモクセイがとっても綺麗。

立ちはだかる階段と松尾芭蕉の句が彫られたオブジェ-千句塚公園

 そのまま旧東海道を歩くと、県道名古屋第2環状線と三王山交差点でぶつかりますが、その1本手前の「王一位緒畑稲荷神社」という石碑のある自動車は通れなさそうな細い道路を右に曲がります。するとやはり急坂。ここは三王山、千句塚公園です。三王山は、今回の出発点にあった光明寺が創建された場所です。では千句塚公園に…と入口を見て愕然。ものすごい数の段がある階段が立ちはだかります。それは数え切れないほどです。「うわ…。」と一瞬思いましたが、「登ったら景色は良いだろうなぁ。」とプラス思考で行くことにします。

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▲車は通れないでしょうねえ。
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▲覚悟はしていましたが、予想を越える急な階段。

 千句塚公園の入口には「星崎の闇を見よやと啼く千鳥 芭蕉」と彫られたオブジェがあります。そう、ここには芭蕉の句碑があるのです。しかもそれは芭蕉の句碑としては最古のものだそうです。オブジェには海の荒波と千鳥が描かれています。かつてはこの丘から星崎界隈と海を見渡せたのでしょう。景色に期待がかかります。

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▲松尾芭蕉の句が掘られた公園入口の彫刻。

 やっとのことで階段を登りきると、大きなクスノキの下に石碑がありました、千鳥塚です。1687(貞享4)年11月、寺島安信宅で先程の「星崎の闇を見よやと啼く千鳥」を立句とした歌仙が完成したのを記念してこの碑は建てられました。1977(S52)年には名古屋市指定文化財となっています。なんとこの碑文は芭蕉の自筆。この碑は芭蕉存命中に建てられた唯一の碑なのです。

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▲クスノキと千句塚。
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▲芭蕉生前唯一の碑。芭蕉の自筆とは。

 この千句塚公園には屋根のある休憩所やトイレ、遊具などが整備されています。まさか…。そうです、やはりここの公園にも住んでいる人がいました。句碑の写真を撮るのにもかなりの神経を使います。入口に石碑があったとおり、公園内には稲荷神社があるので、人の住んでいる頂上を避けるようにして赤い社殿へと向かいます。緒畑稲荷神社にお参りをして、そそくさと公園を立ち去ることにしました。神社の西側は見晴らしが良いので、この日は残念ながら雨で良い写真は撮れなかったのですが、そのまま階段を降りることにします。ところがです。

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▲明らかに人の気配がします。
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▲緒畑稲荷神社の本殿。近代的な社殿です。
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▲かなり高いところにいるということがわかります。

 階段をしばらく降りると、両側の草がかなり繁ってきます。おかしいなと思っていると、階段の先が無くなっています。そして「この先通り抜けできません-緑土木事務所」という看板が登場。あのー、そういう大事なことは階段の最初に書いていただけませんかねぇ。再び急な階段を登り、人の住んでいる公園の頂上へと向かいます。これ、もし追いかけられてこの階段に迷い込んでしまったら逃げられませんよ…。階段を下まで通す気が無いのなら、ぜひとも頂上で階段を封鎖するか、案内を示していただきたい。無駄骨もいいところです。

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▲さて、階段を下って道路に出ますか…。
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▲あれれ?そういうことは先に言って欲しかった。

一対の白い狐が住みついて神社を守った-緒畑稲荷社

 地図を見ても、この千句塚公園から北へ降りる通路はありません。と再び緒畑稲荷社へ。よく見ると社殿の奥に下る階段を発見しました。今度はちゃんと続いていますように…と願いながら急な石段を降りていきます。すると左手に小さな塚を発見しました。狐塚です。かつてこの塚の近くに一対の白い狐が住みついて、この神社を守っていたことからこの塚は狐塚と呼ばれているのだそうです。近くには注連縄のかかった岩の洞穴がありました。本当にここに狐はいたのでしょうか。さらに石段を下ると赤い鳥居がいくつもあり、ふもとの両側には白狐の像がありました。どうやらこちらから神社に入るべきだったようです。何はともあれ、県道笠寺緑線に無事出ることができました。

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▲狐塚。ここに白狐が住んで神社を守っていました。
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▲謎の洞穴。
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▲こちらが本当の入口のようです。白狐がお出迎え。

 そっか「狐塚も見て行けよ」と、こっちの階段を通らせるために狐は私を化かしたんだ。さっきの行き止まりの階段は狐の仕業かぁ。狐だ狐だ。化かされちゃった。

 そういうことにしておきましょう。ほったらかしの中途半端な公共工事という実態よりもそちらの方が夢があります。

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