★半田の男たちは祭りに懸ける!
★見どころは坂上げ
★え?これで自粛ムードだったんですか
半田市で3月19日(土)、20(日)の2日間に渡って行われた「乙川まつり」を見てきました。知多半島に春の訪れを告げるこのお祭りでは、四山と呼ばれる四つの山車が坂の上の乙川八幡社へと曳き上げられるのですが、その激しさから「けんかまつり」とも呼ばれています。
このお祭りは、2日間のうち必ずどちらかが悪天候になると言われていると聞いたため、天気予報が「晴」となっていた、19日(土)の始楽を見てきました。その激しさ、やっぱりすごいな...と思いながら見ていたら、驚くべきことが後で判明したのです。
なお、今回「イベントレポート」というコーナーでの紹介となっていますが、乙川まつりはイベントでなく神事であるという認識はあります。しかし、コーナーとしては便宜上こちらにアップさせていただきますことを、ご了承ください。
見どころは「坂上げ」です
JR武豊線に揺られて乙川駅へとやってきました。さすが多くの見物客が集まると見込まれているだけあって、いつもは無人の駅に係員がたくさん。パンフレットも配布されていて、賑わいを見せていました。さっそく、乙川八幡社へと歩いていきます。
乙川まつりはかつて1912(M45)年まで、2月上旬(旧暦1月15・16日)に行われ、「糸きり風」と呼ばれる季節風のなか山車が曳かれていたのですが、今では春のお彼岸に行われるようになり、乙川まつりで春が来る...という風物詩になっています。
このおまつりは、神輿にのった神様が、乙川八幡社から若宮社に渡御され、翌日また乙川八幡社に還ってくるとされているもので、その神様を警固するために、神様と一緒に四山(山車四輌)が曳かれるという神事です。
朝9時、乙川八幡社の参道へと、それぞれの山本から四つの山車が曳きこまれます。ここから、坂の上にある乙川八幡社へと、若者たちの手によってひきあげられるのです。それが「坂上げ」です。
乙川まつりの歴史は古く、1755(宝暦5)年の「乙川村祭禮絵巻」には、既にこのおまつりの様子が描かれています。そしてこの坂上げこそ、男たちの戦いの場となるのです。
この坂上げで人生が決まる?
今年は坂上げの前に、3月11日に発生した東日本大震災の犠牲者へ黙祷が捧げられました。おまつりの開催の是非をめぐっては、あちこちで意見がわかれていますが、やはりそこは神事ですので、祈りを捧げる意味でも行った方がいいのではないかと、私は思います。
そして坂上げが始まります。まずは「浅井山・宮本車」。1859(安政6)年と1950(S25)年に大改修されている山車です。この山車が、若者たちの手によって坂を駆け上がる姿はまさに勇壮。でも、それだけにはとどまりません。
押し上げる若者たちは「ちょっさき」と呼ばれる、御幣下の梶棒先を取り合うのです。この、一番梶を守り通したものは、乙川一の娘を妻として迎えることができると言い伝えられており、その争奪戦こそが「けんかまつり」と呼ばれる所以です。
坂を押し上げながらのちょっさきを巡る戦い。砂煙を巻き起こしながら。若者たちは激しく取り合います。
え?これで?そうだったんだ...
2つ目の山車は「殿海道山・源氏車」。こちらは1852(寛永5)年、1921(T10)年、1949(S24)年と、3度の大改修が施されています。
私は今回、乙川まつりを見るのは初めてでしたので、これでも充分激しいな...と思ったのですけど、関係者の方にお話を伺うと、なんと今回はやはり地震への配慮で、ちょっさきの奪い合いも自粛しているとのこと。
この激しさで自粛だったんだ...。だとしたら、いつもはどんな戦いなのか...目が点になってしまいました。
続いて坂を上がってきたのは、天保年間(1830-1844)に建造され、1910(M43)年に改造された「南山・八幡車」です。
四山が揃いました!
最後は「西山・神楽車」がギュオン!という感じで激しく坂を上り、四山が乙川八幡社の境内に揃いました。引き上げる人数もすごいですし、下から押し上げる若者たちの力も、ものすごいパワー。これだけの山車がこの坂をものすごい勢いで上がってくる様は、見ていると、思わず口が開きっぱなしになってしまうくらいの勇壮さでした。
しかも例年だと、そこにちょっさきの奪い合いが加わるわけですから、それはもう、想像を絶するような激しい戦いなのだろうな...。
それにしても、山車の彫刻の繊細さには何度も目を奪われます。勇壮で激しい男たちが巻き起こす砂埃の向こうに見える芸術。その対比こそがまさに日本の伝統美とでもいいましょうか。落ち着いてじっくり鑑賞したくなるくらいのものばかりです。
ガラっと雰囲気がかわります
先ほどのまでの「けんかまつり」から変わり、神様への奉納へと神事は移ります。まずは、浅井山・宮本車の前棚人形「三番叟」。そして、四山それぞれがお囃子を奉納します。砂煙はおさまりきっていませんでしたが、辺りの空気は一変したように感じました。
からくりが春の訪れを告げます
続いてからくり人形の奉納です。まずは浅井山・宮本車の「唐子遊び」。華麗な乱杭渡りを披露し、最後は「乙川祭禮」「浅井山」の文字が登場します。
そして南山・八幡車の「役小角大峯桜(えんのおづぬおおみねざくら)」。桜吹雪が登場し、まさに春の訪れ。最後は、おもいっきりその人形が上から落ちてくるという結末で、ちょっと驚きでした。
子どもたちがとびつくとびつき太鼓
奉納が一通り終わると、復活して今年で6回目という向山地区による「とびつき太鼓」を子どもたちが披露します。太鼓が高い位置にあるため、子どもたちがとびついて叩くことから「とびつき太鼓」と呼ばれています。これらが、坂上げからの一連の神事ということになります。
半田は乙川を皮切りにお祭りシーズン
乙川まつりの四山はこの後、坂下ろし、曳き揃えを経て若宮社へ。そして翌日の「本楽」では、若宮社で三番叟、からくり人形の奉納を行った後、再び若宮八幡社へと曳き揃えられ、さらに再び坂上げ、奉納、坂下ろしをして、おまつりは無事終わることになります。
本気の坂上げが見られなかったのは残念でしたが、それでも山車の迫力や美しさは変わらないわけで、さらに繊細さも加わって、本当にいいものを見せてもらったという感じです。やっぱり、その勇壮さと繊細さの同居がとてもいい対比になっていますね。
さて、半田市では、この乙川まつりを皮切りに、あの海岸へと山車を曳き揃える5月3日(火)・4(水)の亀崎潮干祭まで、山車まつりが続きます。今年は、知多半島のお祭りで春の訪れを感じてみてはいかがでしょうか。祭りに懸ける男たち、アツいです。