- HTBを退社してバングラデシュの放送支援活動に
- 両国・両地域の橋渡しから国民的ラジオ体操制作
- これまでは意識していなかった岐阜と世界という視野で…
当サイトでは以前、一時帰国された際にお話をお伺いしてご紹介いたしましたが、青年海外協力隊員として2年間、バングラデシュに地域放送支援のために派遣されていた、安藤恵理子さんが任期を終えて帰国され、報告会が2月15日に可児市で開催されました。
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安藤恵理子さんは岐阜県瑞浪市出身。北海道の大学を卒業後、テレビ朝日系列の北海道テレビ放送(HTB)で記者・ディレクターとして勤務をされたのちに退社され、その経験を生かしての活動に取り組まれました。
バングラデシュでは当初、どう支援したらいいのかわからなかったところから、自分の役割を見つけ、最終的には国営放送を動かすプロジェクトへと発展した安藤さんの活動。途上国の地域放送メディアという目から見た現状そして人生とは。
前例の無い派遣だった
安藤さんが派遣されたのは、バングラデシュの首都ダッカから約320キロ離れた、バスで8時間かかるというチャパイナワブゴンジ県にある「ラジオモハナンダ(Radio MAHANANDA 98.8MHz)」。
識字率が低く、テレビの放送は首都からのみ。情報が伝わらないことで不幸で理不尽を強いられている人がおり、その環境下で地域ラジオ放送の役割は大きく、情報が伝わることで人を幸せにできるという高い理想があったのですが…。
青年海外協力隊は、日本側の無償支援協力。地域のコミュニティラジオ支援隊員としての派遣は安藤さんが「初代」。前例の無いものでした。
バングラデシュの現状と衝撃的な価値観の違い
バングラデシュはイスラム教穏健派が9割を占め、ベンガル語を公用語としています。アジア最貧国のひとつといわれ、街なかに積まれた「牛のふん」を燃料として使い、マンゴーやジャックフルーツを育て、衝撃の高級カレーは「牛の脳みそ」だったりと驚きの連続。
なかでも印象的だったのは「犠牲祭」。その祭りに向けて、1ヶ月前からヤギがやってきて、名前をつけてかわいがっていたのですが…。犠牲祭の日、そのヤギは神に捧げられます。そして食肉となり3等分され、「家族」「親戚」「貧しい人」へと分けられたのです。
悲しみもあり、生臭くて悲しくて、おいしさを感じることはできなかったとのこと。
現地の人の中には「ヤギをかわいがってはいけなかった。ヤギは儀式用のマテリアル(物)だら」と言う人もあり、その犠牲祭のためにたった1日で多くの命が儀式によって消えていく大きな違和感と、それによって貧しい人に与えられる恵み。
幸せのカタチの違いを痛感されたそうです。
手探りの放送支援
地域の放送局を作り上げる支援ということで派遣された安藤さん。しかし、いざ現地に到着してみると、既に情報を伝える放送の「カタチ」はできあがっており、日本での記者・ディレクター活動を生かした、自分のできる役割を見出すことができない日々が続いたそうです。
そんななか、故郷である岐阜の地域ラジオ局「FMらら」と、北海道のFM局の2つにレポートを届けることが励みとなり、その一方で日本を紹介する番組を現地語で制作。それがさらに新しい発見へとつながり、日本にバングラデシュの現状を伝えることに現地の人を巻き込むことで、そして、自分のできることをとにかく書き出すことで、何をしたらいいのかが見えたとのこと。
国民的体操作りへ
安藤さんが驚いたのが、バングラデシュの人々の食生活です。信じられないほどの脂・糖分・塩分の多い料理やお菓子を好み、米の消費量も世界一。夜10時過ぎに晩ご飯を食べたり、1日3食カレーだったりと偏った食生活。
安藤さん自身もあっという間に体重が増えてしまい、さらに、体を動かすという習慣がなく、ご近所の40代の方が心臓発作で亡くなったのを目の当たりにし、「健康」という意識も皆無であることに気づいたのです。
ラジオと健康。安藤さんは日本のラジオ体操に着想。バングラデシュに新しい体操をと立ち上がります。
その安藤さんの申し出に「国立バングラデシュスポーツ学院」は、「日本人にはバングラデシュの体操は作れない」としながらも「一緒に作り始めよう」と、国民的ラジオ体操作りに取り掛かることを決定。
バングラデシュは音楽も盛んで詩人も多く、豊かな表現力と体操効果の兼ね備わったバングラデシュの国民的ラジオ体操「チョルチョル体操」の完成に漕ぎ付けたのです。
ご当地キャラとともに国営放送で
完成した「チョルチョル体操」には、ご当地キャラクター「ばんトラくん」も登場。ばんトラくんは、メルヘン画で有名なホセイン画伯の原画を元にキャラクター化。バングラデシュと日本の架け橋キャラとして誕生したもので、まさにこの体操にはぴったりですし、ばんトラくんがいることで、現地の子どもたちにも親しみやすくなっています。
10ヶ月という月日をかけて完成した「チョルチョル体操」は、国営テレビでも放送され、まさに国民的体操としての発信に成功したわけです。
地元と世界
任期中には日本人襲撃事件もあり、自宅待機期間もあったりと制約された活動のなかで、「放送」という手がかりで国を動かすまでに至った安藤さんの活動。
そのなかで、地元の岐阜と北海道のFM局にバングラデシュを伝え、逆に日本のことをバングラデシュのラジオで伝えた日々。
報告会の最後。学生時代とテレビ局員として勤めた間ずっと北海道にいた理由には、北海道が好きという思いがあった一方で、生まれ育った岐阜を飛び出したいという思いが強かったというのです。
しかし、バングラデシュと岐阜を繋いだことで、自分が生まれ育った地域を何か発信できないかという思いと、まだ、足りないものがあるという思いの両方を抱きつつ、次のステップへと足を踏み出したいとのこと。
まずは短期間で次の語学を習得し、その先で次の目標を追いかけたいという安藤さん。テレビ局での記者活動から、バングラデシュでの放送支援、地域ラジオを通した日本とバングラデシュの地域の橋渡し、そして国民的ラジオ体操の制作による健康促進。
後半の1年間は、FMららの私の担当番組「マンデーイレブン」のなかで月2回、バングラデシュからのレポートを届けてくださった安藤さん。この日は報告会に先立ち、午前11時からの番組生放送でゲストとして登場。報告会とはまた違った、現地での生活ぶりなどをリスナーに向けてお話していただきました。
帰国によってコーナーはいったん終了となりますが、きっとまたどこかで、安藤さんの名前を見かけることになるでしょう。その日を楽しみにしています。
取材協力
・安藤恵理子さん
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