トッピーの放送見聞録 放送事情レポート

住宅街に残る昭和の遺物-NHK名古屋・桶狭間ラジオ放送所

記事公開日:2006年8月23日 更新日:

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 名鉄有松駅から南へ約1.5キロ。愛知用水を越えたところに、その廃墟はあります。廃墟はL字形の土地にあり、周囲はびっしりと戸建住宅が立ち並ぶ住宅街となっています。住宅密集地にポカンと空いた空地に残る廃墟は異様な空気を発しています。この廃墟の入口は南側にあり、門には道路が繋がっています。

 しかしその道路の両側にもやはり住宅がずらりと立ち並び、かつてはこの施設のために作られたであろう道路は、今や住宅街の袋小路となっています。門には「日本放送協会・桶狭間ラジオ放送所」という文字が。そうなんです。ここはNHKのラジオ放送所なのです。しかし、外観からはとても現役とは思えません。激動の昭和。その昭和を名古屋の人々に伝え続けた桶狭間ラジオ放送所を今回は見ていきます。

桶狭間にあったNHKのラジオ送信所

 場所は緑区有松町大字桶狭間字神明廻間。桶狭間という地名が示すとおり、桶狭間の合戦跡はここから東へ数百メートルのところにあります。かつては広大な野原が広がっていたこのあたりも、現在はベッドタウンとなっており、周囲は古戦場公園など整備された公園と池を除いて、住宅が密集しています。

 住宅街は北に対して斜めに走っている道路に並行するように形成されているのですが、桶狭間ラジオ放送所は北から南へ真っ直ぐと存在しているため、整然と立ち並ぶ住宅街を遮るように、NHK桶狭間ラジオ放送所は存在しています。放送所の入口は南側にありますが、近くまで寄らない限り、住宅に遮られその存在に気づくことはないでしょう。

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戦前戦後を生き抜いた「ラジオ」

 門まで近づくと、その空間の異様さに気づきます。普通のラジオ送信所とは違い、建物に立派な玄関があり、煙突が立っています。ここは電波を出す役目だけではなく、スタジオや簡易宿直施設などもあったのかもしれません。戦時中はスタジオが焼失した場合、ここから放送する必要があったということも推測できます。そうなんです。この放送所はそんな時代を生き抜いてきたのです。

 桶狭間ラジオ放送所が作られたのは1929(S4)年のことです。NHKがまだNHKと呼ばれていなかった頃です。NHK名古屋放送局は当時、「日本放送協会東海支部」と呼ばれていました。その年の12月27日、ここから電波が発射されるようになったのです。

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日本初のプロ野球中継に戦火

 1936(S11)年には日本で初めてのプロ野球中継を行い、戦火により名古屋中央放送局(当時)が焼失した際の放送も、そして玉音放送もここから電波が発射されたのです。1946(S21)年に「NHK」と呼ばれるようになり、その後もずっと名古屋の人々にラジオ放送を送り続けてきたのが、この桶狭間ラジオ放送所なのです。

 南側の門からは入ることはできませんので、逆に北側からこの放送所に近づくと、その全貌を見ることができます。すると、門の近くにあった建物の他に、送信局舎があることがわかります。その局舎には昔の「NHK」というロゴが残されています。

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中部本部・名古屋中央放送局

 送信局舎の前には、現役だった頃の看板も残されています。その看板では「NHK中部本部」「NHK名古屋中央放送局」といった、今では使われていない名称を見ることができます。

 NHKは1934(S9)年から中央放送局制をずっと導入しており、さらに1971(S46)年には各地域に本部を置く体制をとっていて、この桶狭間ラジオ放送所が現役だった頃はそのような呼び方をしていたのです。中央放送局制、本部制が廃止され、現在の「NHK名古屋放送局」という名称になったのは1980(S55)年のことです。

 この桶狭間ラジオ放送所がその歴史に幕を降ろしたのは、ちょうどその頃のことです。

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かつての送信出力は10kWだった

 名古屋のラジオ局は、戦後ずっと10kw(キロワット)という出力で放送をしてきました。

 しかし都市雑音が増加し、さらに東海3県の隅々まで放送を届ける必要があったことから、50kwへの増力が認められることとなり、民間放送のCBC(中部日本放送)は1971(S46)年の11月に、そして東海ラジオはその翌月に50kw化を完了し、エリアをグンと拡大し、広い範囲で良好な聴取ができるようになりました。しかし、NHKは増力せずその後も10kwのまま放送を続けます。

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 なぜNHKは増力できなかったのでしょう。それは、この桶狭間ラジオ送信所の立地に限界があったのでしょう。周囲にこれだけ住宅が密集している場所から、50kwの電波を送出するのには無理があったのではないでしょうか。

 事実NHK名古屋放送局は、新設した鍋田ラジオ放送所(弥富市)からの送信に切り替えた1983(S58)年12月22日、民放から遅れること12年、50kw化を果たしているのです。ただし、同じく鍋田から放送されている第2放送は現在も10kwです。

ずっと残されている送信所跡地

 この桶狭間ラジオ放送所は、その時に54年の歴史に幕を降ろしているのですが、この場所に来てもそれを説明するものは何も無く、「ラジオ放送所」という看板を残しているのみで、現役なのか廃墟なのかどうかも普通の人にはわからないかもしれません。マニアであれば、肝心のアンテナが無いことから現役ではないことはすぐにわかるはずです。地図には現在も「NHK放送所」という記載があります。

 昨今NHKは、遊休不動産の売却を検討しているという話を耳にします。緑区のこのあたりは住宅地として人気がありますから、高い価格で売却することができるかもしれません。しかし、この昭和の遺物を遺産として後世に残して欲しい気がします。

 戦争、伊勢湾台風、そして高度経済成長。激動の時代「昭和」。この桶狭間ラジオ放送所は、その間ずっと名古屋の人々を支え、励まし、ともに歩んできたラジオ放送を送り続けてきた場所なのです。

※08.06追記

08年3月に全て解体が完了しました。

関連情報

NHK名古屋放送局

取材協力

KAZ Communications

NHK桶狭間ラジオ放送所跡(名古屋・緑区)MAP

35.054416, 136.964661

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