トッピーの放送見聞録 名古屋の放送史

上岡龍太郎さん出演の番組から誕生した「燃えよドラゴンズ!」と名古屋の草野球

記事公開日:2023年6月3日 更新日:

★名古屋で草野球をしていた上岡龍太郎さん
★CBCラジオ「ばつぐんジョッキー」を18年担当
★番組から生まれた「燃えよドラゴンズ!」

初めて実際に見た芸能人が上岡龍太郎さんだった

父は上岡龍太郎さんが出ているテレビ番組が好きで、家族で番組を見るたびに父から私は「お前が初めて実際に見た芸能人は上岡龍太郎さんなんだぞ」と、幼少期から聞かされ続けたものの、実際に見たという記憶はありません。

父は、CBCラジオで1968年(昭和43年)から1986年(昭和61年)まで放送されていた午後のワイド生番組「ばつぐんジョッキー」のヘビーリスナーでした。月曜は板東英二さんが担当されていた期間が長く、木曜日は番組開始から終了まで18年間、ずっと上岡龍太郎さんが担当されていました。

ラジオ好きだった両親の影響もあり、私は物心つく前から、CBCラジオのイベントや、当時NHK名古屋放送局にあった「CKホール」のイベントに連れていかれているのですが、残念ながらそちらも記憶にはありません。

上岡龍太郎さんを見たのは、そういった番組関連のイベントなのかというとそうではなく、父の話では「草野球の試合が近くであったから連れて行った」というのです。「上岡龍太郎さんを草野球で見た」ことについて長年、疑問を持っていたのですが、上岡龍太郎さんの訃報に接し、ツイッターを検索したところ……。

上岡龍太郎さんは十数年にわたって、名古屋の草野球チーム「アクターズ」でプレーをしていたというのです。一緒にプレーをされていた方のツイートを発見し、父の言っていたことが本当であることがわかったのです。私が生まれて初めて見た芸能人はやっぱり上岡龍太郎さんだったのです。

ピンになってすぐスタートした「ばつぐんジョッキー」

上岡龍太郎さんは、横山パンチという名で、横山ノックさん、横山フックさん(2代目・現:青芝フック)さんとともに3人漫才「漫画トリオ」で一世を風靡。しかしノックさんが参議院議員選挙に出馬を表明し、漫画トリオは解散します。その選挙が1968年(昭和43年)7月のこと。

CBCラジオの「ばつぐんジョッキー」はその年の11月にスタートしていますから、横山パンチさんが上岡龍太郎さんへと名前を変え、ピンで活動を始めてすぐに、名古屋でラジオ番組の担当をしていることになります。

ラジオ番組から誕生した「燃えよドラゴンズ!」

父は、「ばつぐんジョッキー」をきっかけに、上岡さんや板東さんが出演していた番組を好み、私は幼少期からその薫陶を受け続けてきました。そして、この番組から誕生したのが、あの中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」です。

父の話によると、月曜日の担当だった中日ドラゴンズOBの板東英二さんは中日ドラゴンズを応援し、木曜日の担当だった上岡龍太郎さんは阪神タイガースの「陰のオーナー」を名乗るほどに熱烈応援。曜日を超えた応援合戦は熱を帯びるのですが……。

上岡龍太郎さんが事あるごとに阪神タイガースの歌「六甲おろし」をかけていたのに対し、板東英二さんは「中日ドラゴンズはかける歌がない!」となり、そこで、リスナーの山本正之さんから送られてきたデモテープを採用し、発表。そのまま板東英二さんがレコーディングして発売になったというのです。

東海ラジオの逃がした魚だった

ところが。この話にはサイドストーリーがあります。「ばつぐんジョッキー」は、裏番組の東海ラジオ「ぶっつけワイド」が人気となったことで終了となってしまうのですが、その「ぶっつけワイド」を担当していた松原敬生アナウンサーに生前、雑誌の取材でご当地ソングについてお聞きした際に余談として、この「燃えよドラゴンズ!」について悔しい思いがあるという話を聞いたことがあります。

松原さんの話によると、山本正之さんの「燃えよドラゴンズ!」のデモテープに先に反応したのは東海ラジオだったというのです。東海ラジオでは松原さんが局内で「これはレコードにすべきだ!」と主張したものの具体的には動かず、山本さんはCBCラジオにもデモテープを送っており、そちらでレコード化が実現したという流れだったのです。

逃がした魚は大きく、東海ラジオにとっては他局の番組の曲ということになるので、野球中継「ガッツナイター」では球場で「燃えよドラゴンズ!」がかかるタイミングになると、インフォメーションなどを入れて電波に曲が流れないようにするといったことをしていた時期もあったといいます。

燃えよドラゴンズ!は上岡さんの置き土産?

上岡龍太郎さんの煽りがあったからこそ、板東英二さんが中日も歌が欲しい!となり、そこでリスナーの山本正之さんが送った曲が採用され誕生した「燃えよドラゴンズ!」。それが1974年(昭和49年)のこと。あれから半世紀。

今も「燃えよドラゴンズ!」は中日ドラゴンズのファンに親しまれています。この曲は、阪神タイガースの陰のオーナーであり、名古屋でずっと草野球を楽しまれていた、上岡龍太郎さんの置き土産とも言えるかもしれませんね。


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