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住宅街に残る昭和の遺物-NHK名古屋・桶狭間ラジオ放送所

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 名鉄有松駅から南へ約1.5キロ。愛知用水を越えたところに、その廃墟はあります。廃墟はL字形の土地にあり、周囲はびっしりと戸建住宅が立ち並ぶ住宅街となっています。住宅密集地にポカンと空いた空地に残る廃墟は異様な空気を発しています。この廃墟の入口は南側にあり、門には道路が繋がっています。

 しかしその道路の両側にもやはり住宅がずらりと立ち並び、かつてはこの施設のために作られたであろう道路は、今や住宅街の袋小路となっています。門には「日本放送協会・桶狭間ラジオ放送所」という文字が。そうなんです。ここはNHKのラジオ放送所なのです。しかし、外観からはとても現役とは思えません。激動の昭和。その昭和を名古屋の人々に伝え続けた桶狭間ラジオ放送所を今回は見ていきます。

桶狭間にあったNHKのラジオ送信所

 場所は緑区有松町大字桶狭間字神明廻間。桶狭間という地名が示すとおり、桶狭間の合戦跡はここから東へ数百メートルのところにあります。かつては広大な野原が広がっていたこのあたりも、現在はベッドタウンとなっており、周囲は古戦場公園など整備された公園と池を除いて、住宅が密集しています。

 住宅街は北に対して斜めに走っている道路に並行するように形成されているのですが、桶狭間ラジオ放送所は北から南へ真っ直ぐと存在しているため、整然と立ち並ぶ住宅街を遮るように、NHK桶狭間ラジオ放送所は存在しています。放送所の入口は南側にありますが、近くまで寄らない限り、住宅に遮られその存在に気づくことはないでしょう。

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戦前戦後を生き抜いた「ラジオ」

 門まで近づくと、その空間の異様さに気づきます。普通のラジオ送信所とは違い、建物に立派な玄関があり、煙突が立っています。ここは電波を出す役目だけではなく、スタジオや簡易宿直施設などもあったのかもしれません。戦時中はスタジオが焼失した場合、ここから放送する必要があったということも推測できます。そうなんです。この放送所はそんな時代を生き抜いてきたのです。

 桶狭間ラジオ放送所が作られたのは1929(S4)年のことです。NHKがまだNHKと呼ばれていなかった頃です。NHK名古屋放送局は当時、「日本放送協会東海支部」と呼ばれていました。その年の12月27日、ここから電波が発射されるようになったのです。

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日本初のプロ野球中継に戦火

 1936(S11)年には日本で初めてのプロ野球中継を行い、戦火により名古屋中央放送局(当時)が焼失した際の放送も、そして玉音放送もここから電波が発射されたのです。1946(S21)年に「NHK」と呼ばれるようになり、その後もずっと名古屋の人々にラジオ放送を送り続けてきたのが、この桶狭間ラジオ放送所なのです。

 南側の門からは入ることはできませんので、逆に北側からこの放送所に近づくと、その全貌を見ることができます。すると、門の近くにあった建物の他に、送信局舎があることがわかります。その局舎には昔の「NHK」というロゴが残されています。

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中部本部・名古屋中央放送局

 送信局舎の前には、現役だった頃の看板も残されています。その看板では「NHK中部本部」「NHK名古屋中央放送局」といった、今では使われていない名称を見ることができます。

 NHKは1934(S9)年から中央放送局制をずっと導入しており、さらに1971(S46)年には各地域に本部を置く体制をとっていて、この桶狭間ラジオ放送所が現役だった頃はそのような呼び方をしていたのです。中央放送局制、本部制が廃止され、現在の「NHK名古屋放送局」という名称になったのは1980(S55)年のことです。

 この桶狭間ラジオ放送所がその歴史に幕を降ろしたのは、ちょうどその頃のことです。

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かつての送信出力は10kWだった

 名古屋のラジオ局は、戦後ずっと10kw(キロワット)という出力で放送をしてきました。

 しかし都市雑音が増加し、さらに東海3県の隅々まで放送を届ける必要があったことから、50kwへの増力が認められることとなり、民間放送のCBC(中部日本放送)は1971(S46)年の11月に、そして東海ラジオはその翌月に50kw化を完了し、エリアをグンと拡大し、広い範囲で良好な聴取ができるようになりました。しかし、NHKは増力せずその後も10kwのまま放送を続けます。

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 なぜNHKは増力できなかったのでしょう。それは、この桶狭間ラジオ送信所の立地に限界があったのでしょう。周囲にこれだけ住宅が密集している場所から、50kwの電波を送出するのには無理があったのではないでしょうか。

 事実NHK名古屋放送局は、新設した鍋田ラジオ放送所(弥富市)からの送信に切り替えた1983(S58)年12月22日、民放から遅れること12年、50kw化を果たしているのです。ただし、同じく鍋田から放送されている第2放送は現在も10kwです。

ずっと残されている送信所跡地

 この桶狭間ラジオ放送所は、その時に54年の歴史に幕を降ろしているのですが、この場所に来てもそれを説明するものは何も無く、「ラジオ放送所」という看板を残しているのみで、現役なのか廃墟なのかどうかも普通の人にはわからないかもしれません。マニアであれば、肝心のアンテナが無いことから現役ではないことはすぐにわかるはずです。地図には現在も「NHK放送所」という記載があります。

 昨今NHKは、遊休不動産の売却を検討しているという話を耳にします。緑区のこのあたりは住宅地として人気がありますから、高い価格で売却することができるかもしれません。しかし、この昭和の遺物を遺産として後世に残して欲しい気がします。

 戦争、伊勢湾台風、そして高度経済成長。激動の時代「昭和」。この桶狭間ラジオ放送所は、その間ずっと名古屋の人々を支え、励まし、ともに歩んできたラジオ放送を送り続けてきた場所なのです。

※08.06追記

08年3月に全て解体が完了しました。

関連情報

NHK名古屋放送局

取材協力

KAZ Communications

NHK桶狭間ラジオ放送所跡(名古屋・緑区)MAP

35.054416, 136.964661

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コメント

  1. しゅう より:

    なかなか感慨深い記事ですね‥‥着眼点が面白いので、読み入ってしまいましたよ。(σ_σ )
    (2006/08/23 5:17 PM)

  2. 電波発射場 より:

    ちなみにここから、戦後数年ほどはNHK第三放送の名目で、FEN名古屋が1270kHzで出ていました。
    しかも、出力は10kwでした。
    (2006/08/24 11:21 PM)

  3. 友さん より:

    始めまして!この記事に食い入り、万博レポートの『芝生で弁当くってんじゃねー!』に腹を抱えた、名古屋っこです。大変文才のあるかただと思ったら、やはり執筆業されていたんですね!
    私も、音楽を仕事にしておりますので、何となくいつしか出会ってもおかしくない気がしてなりません(笑)
    今後も楽しみに読ませていただきます!
    (2006/08/26 2:27 AM)

  4. ラッキー より:

    トピーネットから来ました・・・
    サイト内をいろいろ見ました。
    名古屋の味や散策など面白そうなのでこれからも寄らせてもらいます。
    (2006/08/26 11:18 PM)

  5. トッピー@管理人 より:

    >しゅうさん
    こんにちは。コメントありがとうございます。これからも名古屋に埋もれたいろいろなものに注目していきます。
    >電波発射場さん
    こんにちは。第3放送が出ていたのは資料で知っていましたが、内容はFENだったんですね…。ずっと続けて欲しかったなぁ。
    >友さん
    はじめまして、こんにちは。他の記事もご覧いただきありがとうございます!執筆業を営んでると言いましても、まだ駆け出しの駆け出し。全然未熟者です。ご指導ご指摘いただけると嬉しいです。
    >ラッキーさん
    はじめまして、こんにちは。現在はブログ形式でいろいろと書いていますが、将来的には名古屋の情報サイトとして見やすく検索しやすくしたいとは思っておりますので、末永くお付き合いいただきたいと思います。
    (2006/08/27 4:56 PM)

  6. ラジオ大好き より:

    NHKラジオは東海やCBCより出力を上げたのが遅いというのを初めて知りました。東海ラジオの送信所は前七宝にあるのを見てきましたよ。場所によっては入りにくいですが
    (2006/08/29 6:51 AM)

  7. トッピー@管理人 より:

    >ラジオ大好きさん
    こんばんは。東海ラジオは七宝、CBCラジオは桑名市長島にありますよね。両局ともにいつまでAMステレオ放送を続けてくれるのか気になるところです。
    (2006/09/04 12:29 AM)

  8. お邪魔虫 より:

    AMステレオはぜひ存続してほしい。つい5~6年ぐらい前までは、AMステレオ対応のカーオーディオが有ったが今は多分皆無。聴取者の多くがカーオーディオなんだから、何とかしてよメーカーさん!特にラジオには熱心なソニーが頑張ってくれないと。トーク番組が多いが、野球などのスポーツ中継は歓声や応援団のステレオ効果は最高です!
    (2007/03/02 9:23 PM)

  9. トッピー@管理人 より:

    >お邪魔虫さん こんばんは
    友人がメーカーに問い合わせて事情を聞いてくれたのですが、残念ながら、AMステレオについては基幹部品の製造が終了してしまったため、ソニーなどメーカーがどう頑張ってもAMステレオラジオ自体を生産できない状態になっているとのことです。あとはその部品の在庫がメーカーから無くなり次第、すべての機種が世の中から消えるそうです。
    放送局側も、福岡のKBC九州朝日放送がAMステレオ終了を発表しましたし、もうAMステレオはダメかもしれませんね。デジタルラジオに期待するしかないかもしれません…。
    (2007/03/03 12:44 AM)

  10. Piichan より:

    AMステレオはやはりNHKがやらなかったことが普及しなかった最大の原因でしょう。NHKのラジオは受信料を徴収しないので増収に結びつかないわけですからね。
    デジタル化でAM局とFM局が音質で同じ土俵に立った時、番組編成にどのような変化が生じてくるのか興味深いです。
    (2007/03/04 3:01 PM)

  11. トッピー@管理人 より:

    >Piichanさん こんばんは
    微妙ですね、デジタルラジオ。既に多くのFM局はAM化していますし、FMもAMも似たような番組編成になると思いますよ。下手すると局数が増えて、レコード会社プッシュ曲とパブリばかりかも。
    (2007/03/10 1:15 AM)

  12. AMステレオ より:

    AMステレオについて
    名古屋のある民放は昨年ラジオ送信機を更新したので、後15年ぐらいは、AMステレオ放送のサービスが継続されると思います。ここ数年で2、3局のAMステレオ放送局がラジオ送信機を更新しています。
    (2007/06/24 1:25 AM)

  13. トッピー@管理人 より:

    >AMステレオさま こんばんは
    更新したのは、上場している会社の方ですよね。確か事業報告書で触れられていた気がします。更新したなかで九州朝日放送はモノラル送信機にしてケチったということですか…。
    (2007/06/26 12:41 AM)

  14. アスカ より:

    この跡地の売却も決定したようで宅地となるようです。
    残念です
    (2007/07/29 11:22 AM)

  15. トッピー@管理人 より:

    >アスカさま こんにちは
    売却決定ですか…。逆に今まで残っていたのが奇跡なのでしょうかね。寂しいですね…。
    (2007/07/31 2:12 AM)

  16. ミニカ より:

    今日ここに行ってきました
    探すのに大変でした
    今は草が多いですね

  17. トッピー@管理人 より:

    >ミニカさま コメントありがとうございます
    今はすっかり住宅街に姿を変えていますよね。
    道路の角度すら、面影がありませんから、
    探すの大変ですよね…。

  18. ミニカ より:

    どうもお久しぶりです!
    また久しぶりにいってみました
    前回の2012年に行ったときよりもまた変わってしまったようですね
    前回はまだ空き地だったのですがもう今は新しい家がいくつかあって全くわからない状態でした
    古いものがなくなっていくのも悲しいですね

  19. yac25 より:

    はじめまして。
    かなり昔、中学生日誌?(題名うろ覚え)というNHKの番組で、授業中に不良が同級生を廃墟の地下室に監禁するが、鍵が壊れて逆に閉じ込められてしまったというのがありました。
    その廃墟、窓が鉄板で塞がれた独特な建物で、工場?研究所?とずーっと20年以上謎だったんですが、この送信所(身内)だったんですね。
    このお写真がなかったら永遠の謎で終わるところでした。
    貴重な資料ありがとうございました。

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