天白ゴルフセンターの西側、ミズホカーショップの前から島田方面へ県道名古屋第二環状線を北東へと歩きます。道路が建設されている下山畑交差点を越えさらに、中日ドラゴンズ公認という看板を掲げ、「焼酎オレ流」「清酒俺流」というお酒を売っている成田屋さんを越えると、菅田に入ります。道路の左側は住宅が立ち並ぶ菅田1丁目で、右側が3丁目です。3丁目は前回訪れたオアシスの森です。そしてその奥、菅田交差点の先の右側、2丁目地内へ斜めに道路を入っていくと、安産薬師如来と菅田神社があります。
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菅田神社が祀っているのは仁徳天皇を主祭神に9祭神。創建は不明で、1872(M5)年7月に若宮八幡宮と称して村社となりました。そして1909(M42)年3月に島田の熊野神社と合祀され島田神社と改称しました。菅田神社となったのは1923(T12)年11月のことです。2つの道路に面していて一見小さな境内に思えますが、菅田公園と一体となっていて意外と奥に広がっています。しかしかなり大きな木が覆い茂っているために外から中の広さを窺い知ることはできません。
▲道路を斜めに入ったところすぐにある安産薬師如来。 |
▲中の様子がよく見えないほど緑が深い菅田神社。 |
▲こちらが菅田神社の本殿。奥は公園と一体になっています。 |
菅田神社の南側の道を進み、最初の右折できる角を曲がると、車もすれ違えないような細い路地になっています。300メートルほど歩くと長方形の双子池という池があります。池の手前や右側には畑、そして奥には森が広がっているのに、対岸には真新しい住宅が広がっているところがいかにも天白区という風景です。近郊農業と新興住宅地が同居しているところが、緑区とは若干雰囲気が異なります。この先へと歩いてゆくと、オアシスの森の相生口へと繋がっているので再び引き返して菅田神社の前の道を歩きます。
▲この先はオアシスの森。自動車はすれ違えなさそう。 |
▲双子池。対岸には新興住宅地が広がります。 |
▲農業と新しい住居が同居する、いかにも天白区という風景。 |
周囲はすっかり住宅街の様相となるのですが、島田5丁目地内には島田城址があります。現在は石垣しか残されていません。島田城は室町幕府成立の頃に鎌倉街道の要所として、尾張・遠江・越前の三国の守護で、また管領家であった斯波高経(しばたかつね)が築城しました。当時は東西70メートル、南北180メートルの規模があったそうです。島田城は斯波氏の一族である牧氏が代々居城しました。では再び県道第二環状線に出て、島田交差点へと向かいます。
▲このあたりに島田城があったようです。 |
▲しかし今は完全に住宅街に姿を変えています。 |
島田交差点は区役所や銀行などが集まり、市バスの拠点ともなっています。その交差点の東側には島田神社と島田地蔵寺があります。島田神社は、島田城築城にあたって城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀っていたのですが、1909(M42)年に神明社、八幡社、天神社と合祀され、その後黒石の山神社と天神社を合祀して黒石に遷されました。そして1923(T12)年に現在地へと遷り、その3年後に天神社と秋葉社を祀り、名称を現在の島田神社に改めています。現在では伊邪那岐命、伊邪那美命など九柱を祀っていて、境内には神楽殿もあります。
▲飲食店などが店が賑やかで、バスターミナルにもなっている島田交差点。 |
▲9つの神さまを祀る島田神社。 |
そして地蔵寺は、幾多の困難を乗り越えて現存しています。1442(嘉吉2)年に島田広徳院として樵山和尚が創建したのですが、その後1491(延徳3)年に大洪水があって寺は破壊されてしまいます。そして1500(明応9)年には緑区・鳴海の瑞泉寺の秀建和尚が本殿を再建、この時に島田山地蔵寺という名に改称しています。ところが今度は、1560(永禄3)年の桶狭間の合戦の際に本殿を焼失。その後島田城主牧氏の男右近義汎が再建、古厩山地蔵寺と改称しています。訪問したこのとき、地蔵寺は耐震工事の真っ只中でした。お寺が耐震工事?と思ったのですが、かつて天災に何度も見舞われたお寺だからこそですね。
▲毛替地蔵で知られる島田地蔵寺。 |
地蔵寺の別棟には地蔵尊が祀られているのですが、雨降地蔵や毛替地蔵と呼ばれています。雨降地蔵は何となく由来がわかるのですが、毛替地蔵とは何でしょうか。その昔、島田には熊坂長範という大泥棒が住んでいました。彼はある時、お金持ちの家から馬を1頭盗んできてそれを馬市で売ろうとしたのですが、盗まれた馬だということがわかってしまい売れませんでした。そこで地蔵寺のお地蔵さまに、馬を売りたいと祈ります。するとなんと、馬の毛の色が一夜にして変わってしまい、難なく売れてしまうのです。そして彼は、お地蔵さんの力に恩を感じ、その馬が売れたお金を貧しい人に分けたのでした。現在では転じて、美しい髪を求める人が多く訪れるそうです。お地蔵さんは、彼が本当は優しい心の持ち主だということを、見抜いていたと言うことでしょうか。
さて、この先にはもうひとつ、お地蔵さんがいるお寺があるので行ってみます。島田交差点から南東方向へ歩きます。するとパチンコ店やロイヤルホストのある島田東があるので、そこを右斜め方向へと進みます。しばらく歩くと、右側には草で覆われた池とは思えない新池があり、その道路の反対側に、六つのお地蔵さまが鎮座する政林禅寺があります。このお寺は諸願成就祈祷のほか、水子・人形供養を行っています。六地蔵尊といいますと、かつて港区の西福田で高地蔵がありましたが、ここも同じ意味があります。
▲パチンコ店を越えると辺りは急に静かに。 |
▲池には見えない新池の向かいにあるのが…。 |
▲人形供養、水子供養の政林禅寺。 |
六地蔵尊は6つの世界「六道」を示しています。人間はこの6つの世界を生まれ変わっていると言うのです。前世で正しいことをしていれば「人間界」「天上界」に。悪いことをしていれば、飢えと乾きに苦しむ「餓鬼」、動物の世界「畜生」、生前の刑罰を与えられる「地獄」の三悪道に生まれ変わるのだそうです。六地蔵尊はその三悪道での苦しみを救って下さるのだとか。すると残るひとつ、争いの耐えない「修羅」へはどういう人が行くのでしょうか。
▲政林禅寺の入口に鎮座する六地蔵尊。 |
私は今、人間界にいるということは、前世で良いことをしたのでしょうか。それともここは、人間界のようで実は地獄だったりして。でも天上界でないことだけは確かだなぁと、六地蔵の前で思いにふけってみました。日本では六地蔵が11世紀頃に各所に祀られたそうです。
地蔵寺のところで登場した大泥棒・熊坂長範は、死後どの世界へ行ったのでしょうかね。馬を盗みましたけど、お地蔵様がその盗んだ馬の現金化の手助けをしていますからね…。でも、そのお金は貧しい人々に分け与えたわけで…。
そうか、お地蔵さまは馬をお金に変えることによって、彼をが改心するきっかけを与えたわけですね。金銭的に救ったという意味ではなく、願いを叶えることで彼の良心を呼び起こし、それによって三悪道に生かせないように救ったということですかね。なるほど。となれば、私も今からでも改心すれば良い世界に行けそうですね。別に過去に悪いことをした記憶はあまり無いのですけど、得てして加害者側は危害を加えたこと自体に気づいていなかったりしますからね…。
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