伏屋-前田家発祥の地で名古屋弁音頭

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中川区[15] 伏屋

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旧海部郡富田町へ-伏屋駅

庄内川を越えて西に向かいます。庄内川は名古屋市の市境となっているところが多く、その外側は名古屋市外であることが多いのですが、庄内川を越えた部分が名古屋市となっている場所も4地区あります。

その部分が名古屋市になったのは、一部を除いて1955(S30)年のことです。中川区の場合、庄内川以西一帯は海部郡富田村で、庄内川と新川に挟まれた中洲状になっている部分の南側だけが愛知郡下之一色町でした。

そのうち下之一色町だけが1937(S12)年に名古屋市へ編入され、富田村は1944(S19)年に富田町となります。そして1955(S30)年、現在名古屋市となっている庄内川の外側部分、西春日井郡山田村、楠村、海部郡富田町、南陽町が同時に名古屋市に編入されました。

富田町の区域は広く、北は中村区の西に食い込む形になっています。今回からは旧富田町と旧下之一色町を散策することになります。

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▲名古屋から普通電車で13分。近鉄伏屋駅

近鉄名古屋線伏屋駅周辺を歩きます。ここは東を流れる庄内川と西を流れる新川に挟まれた地域で、現在も地名に「一色」という名が残っている南部分が旧下之一色町、それ以外の部分が旧富田町です。

旧下之一色町の南端では50メートルほどの細さになってしまいまうのですが、旧富田町地内でも幅400メートルほどになっている部分もあり、それ程広い場所ではありません。

これは名古屋市内のどこでも同じですが、名古屋市と合併したのが遅い町村は、旧町村名をそのまま残して合併しています。そして、区画整理が済んだところから新たな地名につけかえられています。

西区の旧山田村や北区の旧楠村は、区画整理が既に済んでおりその面影はありませんが、この中川区の旧富田町は現在進行形です。

この近鉄伏屋駅周辺でも、区画整理が済んでいる場所は「中川区伏屋」なのですが、まだの場所は「中川区富田町大字伏屋字川東腰畑」といった具合になっており、中川区富田町という地名は旧富田町の至るところに点在しています。

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▲近鉄沿線はその列車のせいか三重県っぽい雰囲気

駅前がのどかな風景に…-七所神社・宝蔵密院

では散策を始めましょう。伏屋駅はのどかなローカル駅という佇まいで、駅の北側にはTAC-MATEという見慣れないコンビニがあります。

これも三重県が近い影響かと思ったらそうではなく、このTAC-MATEは名古屋市中区に本部を置くコンビニで、ココストアの関連会社が運営するコンビニです。コンビニと宅配業務を融合させた新業態ということで、今後増える可能性があります。

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▲伏屋駅の北にある七所神社

そのTAC-MATEの角の一本北側を右に歩くと、七所神社と宝蔵密院があります。七所神社はいつ創建されたかは不明で、大明神社とも呼ばれています。境内には伏屋土地区画整理完成記念碑があります。ということは、富田町大字伏屋はこれからもほったらかしなのかな。

そしてふたつの地蔵堂の向かいにあるのが宝蔵密院。行基が開基したと伝えられていて、行基作の木仏立像の地蔵菩薩が本尊です。

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▲行基が開基したと伝えられる宝蔵密院

このあたりは道路が入り組んでいて、本当に区画整理が完成しているのかと疑問を持ちます。近鉄線が斜めに横切っているせいもあるでしょうけど。

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▲宝蔵密院前には地蔵堂

もうひとつの利家出生地・前田城址-称円寺・円盛寺・前田速念寺

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▲大野光明寺の末寺、称円寺

宝蔵密院から南へ歩き、伏屋駅の東側にある踏切を渡ります。そして左に歩くと長須賀小学校があり、周辺は前田西町となります。小学校の南側には、大野光明寺の末寺である称円寺、西側には円盛寺、前田速念寺と、小学校が3つのお寺に囲まれる形になっています。

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▲円盛寺は長須賀小学校の北側

さて、この場所で前田速念寺ということは、そうです。前田利家縁のお寺です。前田速念寺の山門横には前田城址という碑が建っているとおり、ここには前田城がありました。

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▲前田速念寺の山門は小学校と反対の東側

前田速念寺は利家が寄進した阿弥陀如来像を本尊としていて、境内には至る所に前田家の家紋が見られます。寺伝では、利家はここで生まれ、幼少期に前田城の出城として新設された荒子城に移ったと伝えられています。

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▲山門脇には、前田城址の碑が

前田城は、1584(天正12)年の長久手の合戦の後に秀吉方についたために、家康方の攻撃を受けて落城してしまいました。お寺の境内には前田家の古墳や、最後の城主前田與十郎の墓もあり、前田家発祥の地として、荒子観音をスタートした観光ルート・犬千代ルートの終点となっています。空に伸びる前田速念寺本堂の屋根は、兜に見えなくもありません。

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▲本堂は兜の形にも見えます

名古屋弁は必須科目?-西前田小学校

ところで、長須賀小学校から程近いのですが、前田速念寺から南へ400メートルほどのところには、その前田家発祥の地で育つ子ども達が通う西前田小学校があります。

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▲道路は入り組んでわかり難いので、犬千代ルートマップをもらいましょう

西前田小学校は音楽に力を入れており、学校のイメージソングや、名古屋市中津川野外教育センターでの課外活動ソング、そして音頭までもが作られています。その音頭とは、西前田わいわい音頭。

1番の歌詞は、西前田の「に」は日本のに、西前田の「し」は幸せのし、といった具合に始まり、「明日に向かって頑張りましょう」「明日はいいことあるでしょう」と続くのですが、面白いのはその2番です。2番は「1番を名古屋弁で歌います」とだけ書いてあるだけのです。

「名古屋弁で歌います」の一言で、子ども達の歌詞が揃うのかどうかが疑問で仕方ありません。

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