熱田区[9] 陣屋
足利尊氏が堂宇を建立-円福寺
では白鳥の反対側、国道1号の南側を散策します。この先では堀川と新堀川が合流していますが、かつて海岸だったその場所には東海道の渡し跡が残されています。国道1号と伏見通が交差する熱田神宮南交差点から歩くことにします。
まず、この交差点の南西角にあるのが円福寺です。足利氏の一族とされる厳阿が1319(元応元)年に開基したお寺で、足利尊氏も祈願所として堂宇を建立したといわれています。1432(永享2)年には六代将軍義教は富士遊覧のついでにこのお寺に3日間滞在し連歌会を催しました。この時の連歌懐紙は県の指定文化財として現在も保存されています。また、このお寺は尾張二代光友のときに芝居興行が行われ亀井道場とも呼ばれました。お寺の境内で狂言が興行されたのが尾張における芝居の始まりともいわれており、芸事に縁のあるお寺です。
▲交差点角にある円福寺。600年前の連歌懐紙が残されているとは。 |
失明した景清を祀る眼病の神さま-景清社
その角を南に歩くと南西方向に斜めに入る道があり、入ったところに景清社があります。平景清は腕力のある平安時代の武将でしたが、平家が滅亡すると縁のあったこの熱田に隠れ住みました。景清は眼病を患い失明してしまいます。謡曲「景清」では、景清が失明すると、遊女との間に生まれた娘が遊里に身を売って父を看病したとあります。今でも眼病の神さまとして信仰を集めています。
▲道路沿いにひっそりと佇む景清社。 |
▲眼病治癒にご利益。 |
高級武士専用宿泊所に香ばしい香り-宿赤本陣・蓬莱陣屋
景清社を越えつきあたりを左に曲がると、かつて宮の宿赤本陣があった場所です。いまはただの駐車場になっています。本陣とは武家、公家など高級武士だけが使用できる宿泊施設で、熱田の宮には赤本陣と白本陣、そして脇本陣の3つがありました。赤本陣は熱田奉行所の北であるここに、そして白本陣は東海道を少し歩いた伝馬町に、脇本陣はその名のとおり渡しの脇にあったそうです。赤本陣は236坪の規模を誇りましたが、熱田空襲で跡形も無くなってしまいました。そしてその本陣跡ではいい香りが漂います。そううなぎを焼く香りです。
▲赤本陣跡は見事に駐車場。 |
▲写真に写るほど、うなぎを焼くけむり。 |
赤本陣跡の近くには、蓬莱陣屋と呼ばれるあつた蓬莱軒本店があります。蓬莱軒といえば「ひつまぶし」。備長炭で焼き上げたうなぎを独特のタレで味をつけ短冊状に切ります。そしてご飯とタレとともに小さなおひつに盛り付けられます。しかしそのままおひつから食べるわけではなく、ひつまぶしには作法があります。おひつの蓋を開けたらしゃもじで十字に線を入れ四分割し、一区画ずつを茶碗にとって食べます。1杯目はそのままの味を楽しみます。2杯目はネギ、わさびなど薬味を入れて、3杯目は薬味にだし汁をかけていただきます。そして4杯目はその3つの食べ方のうちベストだった食べ方で食べます。一般的なうな重やうな丼とは味も異なり、うなぎの蒲焼は苦手でもひつまぶしは好物という人も結構います。
▲たまたま人のいない瞬間の写真ですが、周囲にはたくさんの人。 |
▲蓬莱軒松坂屋店でのひつまぶし。(参考写真) |
蓬莱とは熱田の別名で、神々が住み、不老長寿の薬があるという中国の蓬莱島伝説の地が熱田であるという言い伝えから古くからそう呼ばれていました。蓬莱の陣屋跡にあることから蓬莱陣屋と、熱田蓬莱軒の本店は名乗っています。ちなみにあつた蓬莱軒は1873(M6)年創業です。そして「ひつまぶし」はあつた蓬莱軒の登録商標なので、他の店は「ひつまぶし」と名乗ってはいけません。そのため「ひつまむし」と苦肉の策を練っているお店もあります。
女将の名古屋弁も有名です。蓬莱陣屋はいつも大変混んでおり、しかも注文があってからうなぎを焼くのでかなりの時間がかかります。仕事中のランチに立ち寄るとハマる可能性が高いので気をつけたいところ。ちなみにすぐ近くの熱田神宮南にも神宮南門店を構えていますし、栄の松坂屋にも出店していてそちらの方が比較的空いています。それでもやはりこの本店で食べたいという人は多く、いつも駐車場が空くのを待ち、さらに席が空くのを待つ行列ができています。
ひつまぶしは食べるまでに時間がかかるので、いい暇つぶしになるというわけです。
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