トッピーの放送見聞録 放送事情レポート

「伊賀は関西」が地デジでも認められた?伊賀と名張の県をまたいだ放送事情

記事公開日:2009年1月4日 更新日:

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 トッピーネットでは3年ほど前、三重県の伊賀地方が抱える地上デジタル放送にまつわる問題を取り上げたことがありました。

「今までが偶然だった」名張は名古屋圏?(06.03.26)
なぜ東海地方にならないといけないの?名張市(06.05.17)

 三重県の伊賀市・名張市からなる伊賀地方は、関西との結びつきが強く、大阪のベッドタウンとなっている地域もあり、これまでアナログ放送では、大阪のテレビ放送を見るのが当たり前でした。しかし、地デジになると大阪のテレビは見られず、名古屋のテレビ放送を見ることを強いられるという問題が起きている...というレポートをいたしました。

 あれから時は流れ、地元の人が嬉しがる大きな動きがあったということで再び伊賀へと取材に行ってきました。しかしそこで新たな問題が発生していたのです。伊賀と名張の放送施設を巡りながら、伊賀が抱える独特な放送事情について再び取り上げます。

NHKが流しているのは

 伊賀地域で初めて放送というものが開始されたのは、1942(S17)年10月のこと。「NHK上野放送局」のラジオ放送が開始されたのです。現在も「NHK上野ラジオ中継放送所」と名を変え、伊賀市上野桑町より、伊賀地方の約5万世帯に向けて(1,161kHz・100w)ラジオ第一放送の電波が発射されています。

 かつて記事に書きましたとおり、法律上三重県は、名古屋を中心とする「中京広域圏」に含まれるため、この上野ラジオ中継放送所から流されているのは、「名古屋第一放送」です。

 では、民放のAMラジオはどうかといいますと...。

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最初に登場したのは「ラジオ三重」

 実は戦後、この伊賀を巡って大阪と名古屋で綱引きが行われるのです。1951(S26)年、大阪に朝日放送(ABC)ラジオが開局すると、ABCはこの伊賀地域への中継局設置を計画します。

 しかしそれが認められることはありませんでした。一方、名古屋に同じく1951(S26)年に開局した中部日本放送(CBC)ラジオは、豊橋や高山への中継局設置を急ぎ、伊賀どころではありませんでした。

 そして、大阪や名古屋とはまったく別のところから、伊賀で初めての民放ラジオが登場することになります。

 それは、1953(S28)年に津市に開局した「ラジオ三重(RMC)」です。ラジオ三重は伊勢新聞社内に準備室を構え、その後完成した津の本社から放送を開始(860kHz・500w・JOXR)すると、その3年後の1956(S31)年、上野局(1,560kHz・100w・JOXO)を開設。伊賀地域に初の民放ラジオが登場したのです。伊賀の民間放送は、大阪でも名古屋でもなく、三重の電波からスタートしたのです。

ラジオ三重はその後...

 ここで「ラジオ三重?」と首を傾げる方がほとんどだと思います。ラジオ三重は現存していません。その後どうなったのかといいますと、ラジオ三重は近畿東海放送と社名を変え、1960(S35)年に岐阜市のラジオ東海と合併し、現在の東海ラジオ放送となるのです。

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 東海ラジオは名古屋に本社を構え、ニューススタジオを中日新聞社内に設け、完全な名古屋の放送局となり、この合併により伊賀地域のラジオ放送は、完全に名古屋の傘下に収まることとなったのです。

 結果として、伊賀地域を放送対象として大阪と名古屋のどちらが支配するかという綱引きは、三重県域局を吸収するという大胆な形で、名古屋が勝利を収めたというわけです。まあ実際には、名古屋は伊賀が特に欲しかった、というわけではないと思いますが。

 そしてそう、ラジオ三重上野放送局は現在、東海ラジオ放送上野放送局となっているのです。

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テレビ放送は違った

 ラジオに続いて開始されたのが、テレビ放送です。大阪の内陸部から電波が発射されたラジオ放送とは違い、大阪のテレビ放送は生駒山から電波が発射されることとなり、1956(S31)年に大阪テレビ(現・朝日放送テレビ)が開局すると、上野を中心に伊賀の多くの地域で放送が受信できるようになります。

 利権の綱引きで勝った名古屋に対し、電波の地の利で大阪が一転攻勢という形になったのです。

 しかしその9年後、NHK名古屋の番組を流すNHK名張テレビ中継局が1965(S40)年に開局、1968(S43)年にようやくCBCラジオの上野中継局が開局すると、その翌年にはNHK-FM津と同時に名張FM中継局が開局と、一気に伊賀は電波銀座へと発展します。

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大阪と名古屋が混在

 結果として伊賀地域では以下の放送が受信できる状況となりました。

・大阪の生駒山からのテレビ放送
・伊賀(上野)からの名古屋のAM放送
・名張からの名古屋と三重のテレビ放送
・同じく名張からの三重のFM放送

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 さらに、名張の茶臼山からは地元に向けたコミュニティFM放送、「FMなばり・なばステ」の放送が2006(H18)年4月にスタートしました。

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伊賀と名張の違い

 しかし同じ伊賀地域でも、伊賀市と名張市では大きな違いがありました。それは、アンテナを立てれば普通に大阪のテレビが受信できる伊賀に対し、名張の市街地は茶臼山の影になるため、ケーブルテレビに入らないと大阪のテレビが受信できないのです。

 そんな名張は、高度経済成長期以降に大阪のベッドタウンとして発展したため、急速に大阪出身者が増え、大阪のテレビを見るためにケーブルテレビに加入する、というのが当たり前になったのです。

 そのケーブルテレビというのが、先述の「なばステ」も運営しているアドバンスコープです。

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「伊賀は関西」と認められたけど

 地上デジタル放送がスタートし、完全移行が2011(H23)年に迫っています。問題となっていますのは、三重県は正式には中京広域圏であるために、大阪のデジタル放送に関して、ケーブルテレビでの再送信が基本的には認められないことなのです。

 こちらでは、新聞のテレビ欄はほとんどが大阪局メインとなっていて、大阪のテレビを見るのが当たり前なのです。名張では、そのためにアドバンスコープに加入している人がほとんどなのです。しかし、アドバンスコープや伊賀上野ケーブルテレビに大阪局のデジタル放送を流す許可がなかなか出されません。

 ところがです。なんと伊賀上野ケーブルテレビに単独で許可が下りるのです。2008(H20)年10月より、伊賀のケーブルテレビでは在阪局のデジタル再送信が始まったのです。伊賀の人々はさぞかし嬉しかったことでしょう。

なぜ名張は...

 では、どうして名張のアドバンスコープでは開始されないのでしょうか。

 本来のエリア外の局を再送信するためには、当該局と本来のエリアの局全ての承諾を得なければなりません。名張の場合は、名古屋と大阪の各4局、そして三重テレビということになります。関係筋に取材しましたところ、すでに名古屋と三重のテレビ局は承諾をしているとのこと。

 実は、当の大阪のテレビ局が、名張でデジタル放送を流すことに難色を示しているのだそうです。そしてその理由は、電波の到達具合ですとか、関西文化の浸透度合いですとかそういった類のものではなく、アドバンスコープのチャンネルラインナップをめぐるものという、なんともスケールの小さな話のようです。

 つまり、大阪のデジタル放送を流すには、現在アナログで再送信されている、あるチャンネルを削れ、という要求が突きつけられているものと思われます。

 こんなの、どちらかといえば私利私欲の話ですよね。視聴者はそっちのけですか...。名張で毎日放送やABC、関西テレビやytvがデジタルハイビジョンで見られるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。

追記

※10.06.11追記
アドバンスコープに対し、在阪広域4局の地デジ再送信が認められたとのことです。今後、アドバンスコープ内で再送信方式を決める会議で結論が出た後に、再送信開始の運びになったという情報が入ってきました。

※10.06.23追記
アドバンスコープでの、在阪広域4局の地デジ再送信は、8月1日から開始されるとのことです。

関連情報

伊賀上野ケーブルテレビ
アドバンスコープ

取材協力

KAZ Communications

アドバンスコープ(三重・名張市)MAP

三重県名張市箕曲中村18-2

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