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旅人がエサまきゃ…やってきたのは集団の…コワイ...種まき権兵衛の里

記事公開日:2010年2月16日 更新日:

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★ゴンベが種まきゃカラスがほじくる
★なぜ日本庭園に鈴が?
★必死さが伝わってきて怖い...

「♪ゴンベが種まきゃ、カラスがほじくる~」

 そんな権兵衛さんが住んでいたという、紀北町の海山区へとやってきました。

 トッピーネットではこれまで、ごんぎつね、桃太郎、浦島太郎、かちかちやまなど、様々な物語の舞台の地をレポートしてきましたが、今回はこの歌で知られる「権兵衛」さんの舞台です。

 ところが今回、これまでと違って大きな問題が...。

旧海山町は権兵衛さんのふるさと

 旧紀伊長島町と旧海山町が2005(H17)年10月に合併して誕生した紀北町。今回の旅で宿泊した紀伊長島区から海山区に入ると、たくさん目に入ってくるのが「種まき権兵衛」さんとカラスのイラストです。

 私は前々から、海山が権兵衛さんの町だと知っていたので、得意げに相方に「ここが種まき権兵衛が住んでいたところだよ」と話したのですが、どうも様子がおかしい。

 そう...相方は種まき権兵衛さんを知らなかったのです。ショック...。ひょっとして権兵衛さんって、伊勢湾岸ローカルな存在?(相方は岐阜県民)

 いや、昔なんかのアニメでパロディをやってたこともあるし、そんなことはないはず!「歌を聴けばきっと思い出すよ」と言ったのですが...。

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 そんな海山には、権兵衛さんのことを学べる施設と日本庭園が一体となった「種まき権兵衛の里」という施設があります。ホームページには有料と書いてあるのですが、到着してみると無料開放されていました。

 権兵衛さんは実際にこの海山区便ノ山地区に生まれており、私は「ここが権兵衛さんの生まれたところかぁ~」と感慨深くなったのですが、どうもやはり相方はピンと来ない様子。

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歌を聴けば思いだ...

 ここには、権兵衛さんが動きながら歌を奏でるからくり時計があると聞いていたので、歌を聴けば思い出すでしょう!と、からくり時計はいつ動くのかな...と見ると、「故障中」の張り紙。

 うーん...。

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 気を取り直して、権兵衛さんをはじめ、この海山に伝わる民話を集めた資料館の方へと行ってみます。すると、先ほどまでのかわいらしいイラストの権兵衛さんとは打って変わってリアル権兵衛さんの彫刻が...。

 もちろん、今にも種を蒔こうとしているところで、さらに肩にはカラスが。こ、こんなにリアルにオッサン加減まで再現しなくても...と思う一方で、彫刻の出来の良さに驚き。

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 するとその横には、先ほどまで何度も見かけた、かわいらしい権兵衛さんのイラストの顔がくりぬかれたパネルが。

 ところで、まいた種をカラスにほじくられた権兵衛さんというのは、どういう人物なのでしょうか。農業が板に付かない...不況に仕事が無くて、農業に参入したもののうまく行かない若者という、まさに今を象徴するようなイメージなのですが...実はそうではありません。

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歌を聞かせてください...

 資料館に入ると、先ほどまでのカラスを肩に乗せた権兵衛さんとは全く違う表情をした、銃を構えた権兵衛さんの姿があります。

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 モニターでは、そんな権兵衛さんの生い立ちが、一昔前の最先端技術によるフルCGアニメーションで展開されるのですが、ここでもやはりあの歌を聴くことはできませんでした。

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 さらに、自動で回転するパネルを使って、勇敢に戦ったという権兵衛さんの生い立ちについて解説が続き、権兵衛さんはもともと武士の家系に生まれ、現在子孫は鳥取県に住んでいるという、重要な情報を知ることができます。

 権兵衛さんの逸話については、このあと菩提寺を訪れますので、そこでお話したいと思います。

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静寂を打ち破る鈴

 資料館を出ますと、そこには日本庭園が広がっていて、背後に見える便石山とともに一体となって、大自然が静寂に包まれています。この日は平日ということもあり、広い庭園にいたのはわずか数人。本当に静かです。

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 そんな静かな池のほとりには、なぜか鈴がぶらさげてあるではありませんか。しかもひとつではなく、橋のところにもあったりと複数の鈴が...。

 一体これは何だろう?と思って、「シャンシャン」と鳴らしてみると...。

 池の表面が波を打ったかと思うと、集まってくる!集まってくる!どんどんどんどん集まってくる!

 そう、集まってきたのは色とりどりの鯉たち。どうもこれは「エサをあげるよ」と鯉たちに合図を送るための鈴だったのです。

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今買ってくるからちょっと待ってて

 そういえば!と、権兵衛の里の入口に、鯉のエサが売られているガチャガチャがあったことを思い出し、エサをよこせといわんばかりに大迫力で訴えかけてくる鯉たちに「ちょっと待っててね」と言い残し、慌てて戻ってエサを買い求めます。

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 今度こそ、準備万端で鈴を鳴らします。

 するとまた、集まってきました、集まってきました。今度は得意げに「ジャーン」とエサを見せて少しずつパラパラとエサをあげていると...。

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これでもか!これでもか!これでもか!

 エサをあげ始めた時には、数えるほどだった鯉ですが「こんな平日にエサをくれる珍しい旅人がいるぞ!」という評判が鯉の間でどんどん広まったのか、鈴を鳴らし始めた時とは比べ物にならないほどの数の鯉がこれでもか!と集まってくるではありませんか。

 しかも、鯉の数が増えるということは、エサの争奪戦が激しくなるということ。次第に鯉たちの勢いが尋常でなくなってきます。

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 そんな鯉たちの迫力に負けて、こちらも「鯉にエサをあげる」から「鯉にエサをまく状態」になってきてしまい、鯉たちの争奪戦も熾烈を極め、鯉が鯉に覆いかぶさったり、他の鯉が取ろうとしているエサを俊足(?)で横取りしたりと、大混乱。

 挙句の果てには、どの鯉も口を開きっぱなし。

 こ、怖いよ...。

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 当初の「鯉たちとコミュニケーションが取れるくらいにゆっくりエサをあげよう」なんて思っていた気持ちはどこへやら。まるでカツアゲにでも遭った後のような寂しい気持ちになってしまいました。遭ったことないけど。

 ここは「ゴンベが種まきゃ、カラスがほじくる~」の地ですが、今ここでは「旅人がエサまきゃ、コイがバトル~」ですね。

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 おっと、話がかなり脱線してしまいましたが、実は権兵衛さんはそんな、ただのお人よしなお百姓さんだったわけではありません。もしそうだったら、現代まで語り継がれ、こんな日本庭園が整備されるなんてことはないでしょう。

 権兵衛さんは人の良さと勇敢さを兼ね備えた人物で、この海山の村人たちを救い、自らは命を落としてしまっているのです。

 そんな権兵衛伝説を、この種まき権兵衛の里のすぐ近くにある、権兵衛さんの菩提寺を訪れながら、紐解いてみたいと思いますので、次回もお楽しみに...。

関連情報

種まき権兵衛の里(三重・紀北町)MAP

種まき権兵衛の里 紀北町

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