やなせ宿(三重・名張市)
名張のまちなか歩きも3回目となりました。前回は、あまりにも衝撃的な風景を見て冷えてしまった心と体、そしてお腹を温めてくれるお店をいくつかご紹介しました。道路の真ん中にドーンと存在する、大きな鳥居と松の木に旧初瀬街道の面影を見ることはできましたが、まだ宿場町風情は感じていません。
そこで今回は初瀬街道を南西へ、本町から新町へと歩いていきます。するとどうでしょう、街道沿いは一気に宿場町の様相を呈すようになり、建物を生かしたまちかど博物館がいくつも登場します。そして最後は、昔の町屋を交流・観光スペースとして生かした「やなせ宿」に辿り着きます。ようやく観光らしくなってきましたよ。江戸時代の初瀬街道にタイムスリップです。
敷居が高い?低い?まちかど博物館
前回も登場しましたが、この名張市など伊賀地域には「伊賀まちかど博物館」という、それぞれのお店や建物にまつわるものを展示している施設が全部で128館あり、そのうち36館がこの名張市内にあります。
本町通りに差し掛かって、まず登場するのが「歌人・稲森宗太郎博物館」です。稲森宗太郎はここで1901(M34)年に生まれ、同人誌「茜ぞめ」「地上」で短歌の作品を次々と発表するのですが、結核によって29歳の若さで亡くなっています。その間に書かれた短歌は遺歌集「水枕」にまとめられ、直筆の短冊や扇子などとともにこの生家で展示されています。しかし、開館しているのは4月中旬の一時期のみ、しかも要予約とのことです。うーん…。
続いて登場するのが、「栗羊かん博物館」の大和屋です。創業150年の和菓子屋さんで、建物の歴史はさらに古く、170年以上前の江戸時代のものとのこと。もちろんお店は営業中なら入れますし、見ることができるのですが、博物館としてはこちらもやっぱり要予約。うーん、うーん…。
さらにその先、道の反対側には「高砂地酒博物館」という、酒造りのお話を伺いながら、ギャラリーを楽しむことができる博物館があるのですが、やはりこちらも要予約…。
名張は、思い立ったら行こう!という場所じゃないのかな…と思いつつ、初瀬街道をたどって右斜め前に曲がり、新町通りへと歩いていきます。
ようやく体感!町屋を満喫
まちかど博物館は要予約のところが多いのは確かですが、本町通りに差し掛かったあたりから、歩いているだけでも宿場町であったことを感じられる町並みが続き、タイムスリップ感はしっかりあるので、町歩きとしては充分楽しめますし、その先にようやく…。
しばらく歩いていきますと、左手に何やら真新しくリフォームを施されたような町屋が登場します。旧細川邸の「やなせ宿」です。
ここまで要予約のところが多かったことから、おそるおそる覗いて聞いてみます。すると、「どうぞどうぞ、ご自由にご覧下さい」と言われ、ほっとしました。
江戸時代、名張川は鮎がよく採れることで有名で、その鮎を採るための仕掛けである「簗(やな)」がたくさんあり、「簗瀬(やなせ)」と呼ばれていて、「名張」となったのは明治以降なのだそうです。ではさっそく、あがってみましょう。
江戸・明治の面影を感じられますが…
靴を脱いで上がりますと、そこから「店の間」「中の間」「奥の間」と続きます。中の間の襖には松と一羽の白い鳥が描かれています。
この建物、「やなせ宿」という名が付けられていますが、見ての通り宿だったわけではありません。薬商細川家の支店、つまり薬局だったのです。なので「店の間」があるわけですね。
細川家とは、現在はアステラス製薬となっていますが、かつての「藤沢薬品」の創始者・藤沢友吉の母方の実家でして、薬商を営んでいました。奈良県宇陀市に本店を構えていて、そちらは現在「薬の館」として一般公開されているとのことです。
旧細川家は虫籠窓や袖卯達などを持つ典型的な町屋で、この宿場町が賑わっていた頃の面影を残している一方で、その割には、随所にピカピカ感を感じます。実は、一般公開できるように整備されたのがつい最近なのです。
まちなか再生プランの産物
やなせ宿は、旧細川邸を様々な意味で拠点にするため、名張市の「名張地区既成市街地再生計画・名張まちなか再生プラン」プロジェクトに沿って改修工事が行われたもので、2008(H20)年6月にオープンしたばかり。だからまだ真新しいのですね。
まちなみ再生ということで、歴史的景観の保存整備と、人々との交流を目指しています。交流は観光客と市民という意味だけではなく、地元の人々同士も含んでいます。それがよくわかるのが「ワンデーシェフ」です。
やなせ宿のワンデーシェフは、市民らが日替わりでシェフとして食事を提供していて、地元の高校で調理を学ぶ学生らも参加したりしているとのこと。しかも、ちゃんとやなせ宿のサイトで毎日のメニューとシェフが公表されているので、「この前食べたあの人の料理がまた食べたいな♪」なんて交流も生まれていそうですね。
蔵もそんな風に生かしちゃいましたか
実は、先ほど通ってきました店の間や奥の間、さらにはお庭の向こうにある中蔵もそれぞれ展示スペースとして借りることができ、発表の場とすることができるのです。名張在住のクリエーターが個展を開催するのに、持って来いですね。
そしてさらにびっくりするのが、最も奥にある川蔵です。なんとこの蔵は、FMなばり(なばステ)のサテライトスタジオになっているのです。蔵がスタジオってすごいですね。町屋をスタジオに活用したFM局は他にもありますけど、蔵をスタジオにしてるのは珍しいのではないでしょうか。声が響きそうな気がしますけど…どうなんでしょ。
交流すればいいのにね…
やなせ宿は、初瀬街道と反対側に出ると名張川河畔でして、この日は夕闇せまるなか、頬に当たるそよ風がとても気持ちよく感じられました。かつてはこのあたりにやながたくさんあって、鮎が採れたんですね。灯る明かりは電気に変われども、日が暮れ行くこの感じは、あの頃の情景と通ずるものがありそうです。
そよ風は心地よかったのですが、後日やなせ宿についてインターネットで調べてみると、ホント、ネガティブな内容のものが多く、風当たりが強いみたいですね…。まあ、もともとは歴史資料館として整備するという経緯があったのが、費用の問題からダメになったことに要因があるのはわかります。
もちろんそれでも、多額の税金が投入されているわけですし、名張市の財政が厳しい状況であることは報道されていますから、中には気に入らない人もいるでしょう。でも…ここまで歩いてきた中で、観光客がふらっと立ち寄れる施設はここだけですよね。しかも、これがオープンしてまだ1年にも満たないということは、これまで、名張のまちなかは観光客を受け入れる体制すら届いていなかったと…。
市民相互と観光客の交流を願って作られた観光交流施設。行政が出せるお金の問題で、市民が運営するという形になってしまった以上、活用する鍵を握るのは市民ですものね。たぶん、ネガティブなことを書いてる人も市民だと思うのですが…。
展示スペースは開放されているわけですし、だったら自分から、私財を投入してでも動けばいいのにね。
それでは次回は、名張といえばやっぱりあの人。ということで、江戸川乱歩の生誕地を訪れて、今回の名張まちなか探訪を締めくくりたいと思います。
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