江戸川乱歩生誕地碑広場(三重・名張市)
4回に渡ってお送りしてきました、三重県・名張市のまちなか歩き。ここまで、名張藤堂家邸跡を出発して、旧初瀬街道をメインに歩いてきました。街道沿いの宿場町風情はしっかり満喫できたのですが、前回ご紹介しましたとおり、観光施設もようやく拠点が整ったという段階で、お隣の伊賀市と違って、町歩きがそれほど観光の目玉とはなり得ていない印象を受けます。
そんな名張が今、イチオシかどうかはわかりませんが、観光の目玉として位置づけようとしているのが「江戸川乱歩」です。
江戸川乱歩といいますと、少年探偵団の「怪人二十面相」などを執筆した推理作家として活躍した人物で、私のような名古屋っ子から見ると、「名古屋の人」という印象が強いのですが、実は生まれはここ名張市なのです。
そんな乱歩の生誕地を訪ねようとするのですが…なかなか…。
乱歩で町おこし…
旧初瀬街道である新町通りを歩いていますと、街灯には怪人二十面相のイラストと、江戸川乱歩の文字が書かれています。
私は幼い頃にテレビドラマで「怪人二十面相」を見て、あの頃の独特なフィルムの質感とそのつかみきれないストーリー展開に、幼心にドキドキした記憶があるためか、「面白さ」よりも「得体の知れない怖さ」という印象が強いので、そのイラストを見ただけでドキっとしてしまいます。さて私は、乱歩の作品について評論できるほどに精読しているわけではないので、作品についての話はここではせず、散策を続けます。
それにしても、前回紹介した「やなせ宿」に乱歩関連の展示をする予定があったものが無くなってしまったということもあり、名張市図書館には乱歩コーナーがあるとのことですが、このまちなかでは今のところ、乱歩を感じさせるものはこの街灯だけか…と思っていると…。
生誕の地にたどりつけない…
手元の観光マップに「江戸川乱歩生誕地」の表示はあり、旧初瀬街道を歩いていると、「江戸川乱歩誕生の地」という矢印を発見することができたので、その方向へと歩みを進めていくのですが…。
これが不思議なことに、なかなかたどり着けないのです。名張のまちなかは旧街道はそれなりに道幅があるものの、一歩路地に入るとそこはもう迷路。車は絶対に通ることのできないような細さになります。こういった路地を「ひやわい」といい、名張まちなかの特徴のひとつとなっています。
何度も地図を確認するのですが、乱歩の生誕地にたどり着けません。
お寺が現れると…
曲がるところがわからないまましばらくひやわいを歩いていくと、「宗泰寺」「妙典寺」「専称寺」と、お寺が3つ並んでいる風景に遭遇します。地図を見ると、完全に方向違い。
それにしても、クネクネとした細い路地にこういったお寺が並ぶ風景は昔ながらでとても味があります。これらのお寺は名張藤堂家の家来や町人の菩提寺で、その昔は「寺町」と呼ばれていたとのこと。
そんなひやわいの細い道路の傍らに流れている水路は「簗瀬水路」。農業用水や防火用水として名張川から引かれた人工的な水路で、かつての風景を思い出したいところですが…これも観光として見られるような姿にはなっていませんね。
探偵気分でようやく到着
何度も地図を見直します。すると、先ほどのひやわいよりもさらに細い、普通の地図には載っていない道を歩いていくと生誕地があることがわかり、まるで人の家の敷地に入っていくかのような気分で歩みを進めると…ようやくありました!
なんだか、工事現場のようなところにポツンと「江戸川乱歩生誕地碑」が…。
実は、2月1日の「江戸川乱歩生誕地碑広場」オープンに向けて、この時は整備の真っ只中だったのです。
乱歩は名古屋っ子じゃないの?
名古屋っ子の私からすると、江戸川乱歩は名古屋検定の問題にも登場しましたし、名古屋の人というイメージが強いのですが、どうなっているのでしょう。
当サイトでは「名古屋を歩こう」と題して名古屋市内を徒歩で歩くコーナーがあるのですが、瑞穂区の直来地区で乱歩ゆかりの地に遭遇しました。それは「瑞陵高校」です。
乱歩は高校時代までを名古屋で過ごしています。では、名古屋にやってきたのはいつなのかといいますと、それは3歳。さらに2歳から3歳の間は亀山で過ごしているとのこと。
つまり名張は、乱歩の生誕地と言えども、乱歩自身の記憶としては全く印象の残っていなかった街なのです。
そんな乱歩がこの名張の地に再び訪れたのは1952(S27)年のこと。還暦を迎える直前となってようやく、「見知らぬふるさと」を訪れたというわけです。
その3年後、1955(S30)年にあの「江戸川乱歩生誕地碑」がこの地に置かれ、除幕式には乱歩夫妻が臨席したのだそうです。
しかしその後、生誕地碑は桝田医院の第2病棟にひっそりと佇んでいただけでした。それが今、桝田医院の好意により名張市に土地が寄贈され、広場として整備されることになったというわけです。
ようやく、乱歩の生誕地が観光名所としてスタートすることになりました。しかしそこは財政難の名張市。あくまでも広場は広場です。当初は生家を復元して文学館に…という話もあったようですが。
市民の間では乱歩をモチーフにしたゆるキャラ構想もあるとか?そんな話も聞きます。名張市の観光地化はまだ始まったばかり。これからもいろいろな意味で注目をし続けていきたいと思います。
それにしても、生誕地に到達するのは本当に大変でした。ひやわいも味がありますし、チェックポイントを設けて、まちなか探索を探偵をかけてみるとか、アイデア次第では面白いことになると思うんだけどな。
でも…この街はなんとなく「官民一体」となることが難しそうな印象を受けるので、難しいかな。だったら「民」だけでやっちゃえばいいのに…振る袖が無いのは「官」だけじゃないということかな。いやそれ以前に、実は市民は、観光地化を望んでいないとか?
この名張のミステリーはいつ解けるのでしょうかね、乱歩さん。
名張市まちなか探訪シリーズはとりあえずここまでです。近いうちにまた訪れます。
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