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明知と明智-明知鉄道沿線の旧郡部をぶらり

記事公開日:2010年4月4日 更新日:

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★新設・極楽駅で癒される?
★女城主そして大正ロマン
★なぜ明知鉄道で明智駅なのか勝手に考える

 さて先日、「NAGOYA NOW」のコーナーにて、岐阜県の明知鉄道でDVM実証実験が行われたというレポート「線路から道路そして未来へ...DMV実証実験-明知鉄道」を掲載しましたが、その際に、もちろん明知鉄道沿線をあちこち見てまいりました。

 せっかくですので、今回は明知鉄道が走る町の様子をお届けしたいと思います。特に、現在は合併して恵那市となっていますが、5年半前の2004(H16)年10月まで恵那郡であった、恵南地区の町を中心に、これぞ東濃の山間部という風景とともに、歴史を感じさせる街並みを見て、進み行く過疎化を感じながらも、その環境下で頑張る明知鉄道の奮闘ぶりに注目です。

かつては恵那市と郡部を結んでいた

 明知鉄道の歴史は古く、1934(S9)年に国鉄明知線として開業し、1985(S60)年11月16日に沿線の自治体が出資する第三セクターの「明知鉄道」が運営を引き継いでいます。

 明知鉄道明知線は、JR中央本線と接続されている恵那駅を出発し、いったん中津川市へと入った後、再び恵那市内へと戻っているのですが、5年半前まではそこは恵那市ではなく、恵那郡の岩村町、山岡町、明智町と2市3町を結んでいました。

 終点の明智駅を含めて、他の鉄道路線とアクセスしているわけでもなく、恵那市になったとはいえ、主に旧郡部である東濃の山間部を走る明知鉄道の置かれた状況は厳しく、利用者数は右肩下がりです。また、沿線に観光地は点在しているものの、列車の本数も少なく、観光地も駅から距離があることから、鉄道を使って観光地を巡るのは難しく、逆に明知鉄道そのものが観光資源になるようにと、明知鉄道は様々な話題づくりを行っています。

 そのひとつがグルメ列車です。山里ならではの四季折々の食材を使った料理を楽しめる「四季の里山・花白ごほうび列車」や、山岡町特産の寒天が味わえる「寒天列車」を通年運行しています。また、季節ごとに「山菜列車」「きのこ列車」「じねんじょ列車」と、東濃ののどかな風景と特産の料理を味わうことができるものです。

 グルメ列車にはフリー切符もついていることから、明智駅到着後には日本大正村の散策などをすることもでき、ちょっと変わった鉄道の旅を一日満喫することができます。

 しかし、明知鉄道の話題づくりはそれだけに止まりません。鉄道路線そのものにもどんどん新しい魅力を作っているのです。

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日本1位2位の駅を作りました

 明知鉄道は恵那駅を出発し、東野駅を過ぎると中津川市に入ります。そして次に停車するのが、国鉄時代には無かった、日本一の飯沼駅です。

 1991(H3)年10月に開業した飯沼駅は、普通の鉄道としては日本で最も勾配が急な場所にある駅で、33‰(1キロで33メートルの高低差)という坂にあるのです。日本では、一定の勾配がある場所に駅を設置するには特別な手続きが必要で、その一定の勾配というのがなんと5‰。基準の6倍以上の坂にこの駅はあるのです。

 もちろん、この飯沼駅が設置された本来の目的は、地元の集落の人のためなのでしょうけれども、「日本一」という称号は、鉄道ファンを集めるには充分な話題づくりとなっています。

 ちなみに。日本で2番目に勾配が急な場所にある駅もこの明知鉄道にあり、終点の明智駅のひとつ手前にある野志駅も30‰という急勾配に設置されています。もちろんこちらも国鉄時代には存在せず、1994(H6)年12月に誕生しています。

 さすが山間部を走る明知鉄道。しかも日本1位2位がここにあるとは。坂に強い鉄道、明知鉄道と言うことができますね。

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ピカピカの真新しい駅は...

 飯沼駅、阿木駅を過ぎますと、明知鉄道は中津川市を離れ岩村町へ。そして飯羽間駅の次に停車するのが、岩村町時代には無かった極楽駅です。

 2008(H20)年12月25日に開業した極楽駅は、当初から駅名を公募するなど、話題づくり要素満載。しかも駅には様々な、現世とあの世を感じさせるようなものがたくさんあり、待合室でボタンを押せば、疲れたあなたも元気になること請け合いです。

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 極楽といいますと、名古屋市名東区にある「極楽」を思い浮かべる方も多いと思います。あちらは公募でも何でもなく地名です。一方こちらの極楽は、公募で何の根拠もなく決まった...というわけではなく、もともと駅の近くには「字極楽寺」という地名もあり、それはその名のとおり極楽寺というお寺に由来するものなのです。

 では、極楽駅に訪れるとともに、その極楽寺にお参り...といっても、極楽寺は五輪塔群が残されているものの、廃寺です。ああ無常。

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 さて、この極楽駅には立派なコンクリート床板が埋め込まれているのですが、実はこれ、私はかつて踏みしめたことのあるコンクリートでした。

 使われているのは、2005(H17)年に開催された愛・地球博の際に、アクセス駅としてホームがその時期だけ臨時に延長された、愛知環状鉄道の万博八草駅のホームだった床板なのです。リサイクルといいますか、まさに流転。

 そういえば、愛知環状鉄道も明知鉄道と同じように、国鉄から第三セクターに運営が移った鉄道でしたっけね。ただあちらは、沿線の宅地化、大学増加などで、かつて国鉄のお荷物だったとは思えないほどの発展...あ、この話はまた別の機会にしましょう...。

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極楽駅の極楽が意味するものとは

 極楽駅には、岩邑知新の会が贈呈した石碑が置かれ、そこには同じ岩村藩出身の儒学者・佐藤一斎の言葉が彫られています。

「人は須らく忙裏に間を占め 苦中に楽を存ずる工夫を著つべし」

 石碑の横には説明版があり、要約すると...忙しさのなかに静かな時が持てるように、苦しみのなかでも楽しみの心が持てるように工夫すべき、つまり「どうせやるなら楽しんでやろう」ということだそうです。

 実はこの極楽駅、極楽寺にちなんだのともうひとつ、名前に意味があるそうで、それは「楽しさを極める・極楽」ということなのだそうです。だからこそ、どうせ生きるなら苦しさのなかにも楽しさを極めようという、この佐藤一斎の石碑は、この駅にふさわしいものなのです。

 極楽駅、深いなぁ...と思い、待合室に入ると、何やらボタンが。

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 極楽駅の待合室にあるボタンをポチっと押してみると、音楽が流れ始めました。「♪辛いことなら誰にもあるよ 辛さ隠して前見て歩く~」

 極楽おんどです。歌詞の内容も先ほどの佐藤一斎の言葉に通ずるものがあるなぁ~と、意外にも高音質で流れる極楽おんどに耳を傾けたのですが、これ...フルコーラスなんですね。明知鉄道は列車の運行間隔も長いですから、じっくりと聞くことが出来ますね...。

 ただ、気になったのが、この極楽おんどにつけられたキャッチフレーズ「天国からの応援歌」。やっぱり極楽ってのは、天国という意味合いの方が強いのかな?の思いながら駅周辺を見渡すと、意外にも発展しています。

 真新しい極楽駅の周辺には、同じように真新しいスーパー・バロー、バローホームセンター、そして三洋堂書店などがドーンと建っています。もちろん、それらはロードサイド店としてあるのですが、駅からも徒歩圏内でとても便利です。

 ちなみに、この極楽駅を設置するにあたって、そのバローが1,080万円を寄付してくれたとのこと。だからといって、バロー岩村駅とならなかったあたりが、同じ岐阜県内の第三セクターにあるあの駅とは違うところですね。

 あ、そうか。極楽駅の本当の意味は、駅の建設費用の半分をバローが出してくれたということで、明知鉄道にとって極楽だったということなのか。

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女城主の里には腕木式信号機

 極楽駅の次にあるのが、岩村町の中心部にある岩村駅です。この駅は明知鉄道のなかで数少ない有人駅で、列車の行き違いが可能な唯一の駅となっています。

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 岩村駅は中部の駅百選にも選定されており、木造の駅舎には味があります。初めて訪れた自分にも、懐かしさを感じさせてくれます。

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 懐かしさを感じさせてくれるのは駅舎だけではありません。ここには、この地方で最後まで使われた「腕木式信号機」があるのです。このアナログな腕木式信号機、なんと1934(S9)年6月の明知線開通の時から、2004(H16)年3月までずっとこの岩村駅で活躍してきたのです。

 しかし、時代の流れからその役目を終え、一時は撤去されていたのですが、これも鉄道ファンを呼び込むためでしょうか、2006(H18)年4月に見学用として復元され、今では駅員さんに申し出ると誰でも操作させてくれるのだそうです。

 もちろん、その操作に列車が従ってくれるわけではありませんけどね。

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 この岩村駅からは城下町風情が漂う街並みがずっと山へと続いています。その先にあるのは岩村城址。岩村城は日本三大山城のひとつと言われ、女城主の悲しい物語がありますが、それはまた岩村城に訪れた際にレポートするとしまして、明知鉄道を先に進みます。

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リニューアル?昔のまま?山岡駅

 岩村駅を出ると、明知鉄道は山岡町へと入ります。花白駅を越え、次に停まるのが山岡駅です。山岡駅は見た目にはとてもカラフルで、驚きます。どうやら、かつてこの駅舎には学習塾が入っていたことがあるようで、そのイメージで駅舎の壁面にアートが施されているのですが、駅のなかに一歩足を踏み入れると、まさに別世界です。

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 山岡駅は国鉄時代の1974(S49)年に無人化されているのですが、まさに駅舎のなかはその頃のままで時間が止まってしまっているかのようです。ただ、コカコーラの自販機だけがそうでないことを思い出させてくれます。

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 そしてもうひとつ、コカコーラの自販機とともに、国鉄時代にはなかったであろうと感じるのが、明知鉄道の運転情報を示す情報盤です。と言っても、他の鉄道会社のようにモニターに運行情報が表示されるというわけではなく、着くランプはふたつ。「10分遅れ」と「運休」のみです。1時間に1本もないのに、「運休」というランプが着いたらそれはもう、絶望ですよね...。それにしてもこの情報盤、色が名鉄っぽいのはなぜだろう。ひょっとして名鉄に作ってもらったとか?

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 この山岡駅は、山岡町の役場から少し離れた場所にあり、さらには山岡町自体に、明確な中心部といえる発展した場所が存在していなかったことから、岩村駅や終点の明智駅とは異なり、町を代表する駅でありながら、寂しい状態となっています。

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 しかし、だからこそ、国鉄時代のままではないか...と思えるような風情も漂わせているのです。でも、古さが残っているからといって、汚く荒れていると言うわけではなく、トイレなどの清掃も行き届いていて、地元の人に駅が愛されている様子は伝わってきます。

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 でもやはり、活気はありません。どちらかといいますと、同じ山岡町の駅でも、瑞浪市との市境にある小里川ダムにある「道の駅 おばあちゃん市・山岡」の方が賑わいが感じられます。

 しかし明知鉄道は、線路と道路を両方走ることが出来るDMVの実証実験にて、鉄道の駅からそのままこの道の駅へと運行できる未来へと着実に歩みだしています。実現すれば、その賑わいを鉄道に導くことが出来る日がやってくるかもしれません。

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終点は日本大正村

 山岡駅を出発しますと、いよいよ最後の明智町に入ります。冒頭にお話しました、日本で2番目に急勾配の野志駅を越えると、終点の明智駅です。ここには明知鉄道の本社もあり、明智駅からは、本数こそ少ないものの、ライバルとなる瑞浪駅とを結ぶバス路線なども運行されていて、駅前はターミナルのようになっています。

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 明智駅の周辺は、「日本大正村」と呼ばれるエリアになっています。日本大正村は、明治村や昭和村のようにテーマパークになっているわけではなく、明智町に残る大正時代の建物を生かし、街全体で大正時代を感じさせるように整備されているものです。

 なので、有料施設はそれぞれ入場券が必要だったりしますが、共通券もありますし、そもそも街並みを見て歩くだけでも楽しいものです。

 今年、2010年は大正99年。いよいよ来年2011年は大正100年です。来年は明智町は大正100年事業で盛り上がるでしょうから、これから様々なイベントが繰り広げられることが期待できます。

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明知と明智

 十六銀行の支店も、レンガ造りで大正村の街並みに溶け込んでいます。ここは株式会社十六銀行ならぬ、第十六国立銀行といった感じです。ちなみに、単独でその頃から存続している銀行としては、十六銀行は第四銀行に次いで、日本で2番目に古い銀行なのです。すごいですね。第四が最古なら第三は?と思われるかもしれませんね。三重県の第三銀行は名前はそれより古そうですが、あちらは相互銀行なので、歴史が違うのです。

 さて、この十六銀行の支店名なのですが、「明知支店」となっています。

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 ここまでずっと、明知鉄道を見てきましたが、ずっと気になってきたのが、「明知」と「明智」の表記の混在です。

 町の名前は「明智町」なのに、十六銀行の支店は「明知支店」。鉄道会社の名前は「明知鉄道」なのに、駅の名前は「明智駅」。これには、歴史的な経緯があるのです。

 明知鉄道が国鉄明知線として開通した頃、ここにあった銀行の支店が十六銀行になった頃、この町の名は「明知町」だったのです。

 明知町は1954(S29)年、静波村と合併するのですが、その際に「明知町」は「明智町」と名前を変えているのです。しかし、当時国鉄は路線名も駅名も改称することなく、ずっとそのまま「国鉄明知線」「明知駅」という表記を続けたのです。

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 そしてその国鉄明知線が第三セクターとして民営化された1985(S60)年、明知駅は町名にあわせて「明智駅」と改称されたのでした。しかし、路線名および会社名としては歴史的に長年使われてきた「国鉄明知線」をそのまま採用し「明知鉄道・明知線」としたことから、明智と明知の表記が混在することとなったのです。

 駅の名前は町の表記に合わせたものの、路線名としては、それまで50年以上の歴史を踏まえて表記を残したのでしょうか。

 DMVといった新しいものを取り入れ、面白い駅を作り、変わった料理列車を走らせ、話題を作り、集客を図る明知鉄道ですが、腕木式信号機を復元したり、過去の木造駅舎を大切に残すなど、未来だけなく、過去だけでもない。それが明知鉄道の姿です。

「明知鉄道」という名を残しつつも「明智駅」と改称。会社の出発の時点で、そんな会社の姿勢が既に現れていたということでしょうね。明知鉄道は今日も、過去と未来を繋ぐレールの上を走り続けています。

 ちょっと...深読みしすぎかな?

関連情報

明知鉄道

明智駅・明知鉄道本社(岐阜・恵那市)MAP

恵那市 明智駅

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