03.ぶらり関西 おでかけレポ~全国・海外~

お江の生誕地へ歩いて登ったら湖国の絶景!小谷城

記事公開日:2011年9月8日 更新日:

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★お江の生誕地は悲劇の始まりの地
★桜馬場跡からはドラマで見た絶景
★戦いの痕跡を辿りながらの山歩きは汗だく

 今年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」。前回は「江・浅井三姉妹博覧会」の「小谷・江のふるさと館」と「小谷城戦国歴史資料館」をご紹介しました。今回は実際に、小谷城のあった小谷山へと登ってみたいと思います。ガイド付きバスも運行しているのですが、日頃の運動不足解消と、徒歩で登ってこその絶景の素晴らしさを体感するために、無謀にも真夏に徒歩で頑張ることにしました。果たして、本丸跡までたどり着けるでしょうか...。

いきなり生い茂る木々

 小谷城戦国歴史資料館のある「清水谷」から「小谷城址」へは「追手道」を歩きます。「小谷城登山道・歩行者ルート」という看板がありますので、そこを歩いていきます。歩き始めは、道の両側に畑もあって長閑なのですが、歩き始めてわずか3分でその道は登山道のような様相に変わります。いや「ような」じゃないですね「登山道入口」という標識がありましたから。

 真夏の昼間、晴れているにもかかわらず、生い茂る木々のなかであたりは薄暗く、ひと気もほとんどありません。しかし、暗いといっても真夏。蒸し暑さは尋常ではなく、汗が滝のように流れ落ちます。もうこの時点で「バスにすればよかった」と思ったものの、先ほどの理由を挙げて無理に付き合わせた相方の前で、そんなことは絶対に言えません。

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援軍の名残2つを経由して登る登る

 歩くこと20分。最初の見どころ「真柄峠」です。ここは、六角高頼が小谷城を攻めた際、浅井亮政を助けるため、越前から朝倉金吾教景が来援。その際に従ってきた武将・真柄備中守がここを守ったことからその名が峠につけられたところです。1525(大永5)年7月のことです。

 さすが、急な山道を20分登ってきただけあって、既にここから見える景色は爽快感があります。爽快感を味わう目的は達成したと今さら言っても、ここからバスに途中乗車というわけにはいきませんので、山道をさらに歩いて登ります。

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 真柄峠からは、周囲の木々の背丈が低くなり、登山道は日陰ではなくなってしまいます。汗は止まりません。そんななか、さらに15分ほど歩きますと、なんだかこんもりと盛り上がった場所への分岐点が現れました。登山道自体はそれを迂回するようになっていますが、あえて、盛り上がっている方にいってみます。

 そこは「金吾丸跡」。先ほどの真柄峠でのエピソードに登場した、1525(大永5)年の小谷城攻めの際、越前から来援した朝倉金吾教景が布陣した場所と伝えられていて、その名がつけられています。四段の曲輪と土塁からなっており、もう、この時点で爽快感に続いて山城大満喫です...が、小谷城の本番はまだまだこれから。

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ここからはバスの人も徒歩です

 歩き始めて40分。「小谷城跡絵図」という大きな看板が登場。その先が「番所跡」です。林道もここで終わっていて、ここから先は全ての人が徒歩となります。

 番所から先が、小谷城の主要部となります。番所は複数の曲輪で構成されていて、登城道に面して細長く石垣が組まれ、東側には高さ1.3メートルの土塁が築かれています。

 さあいよいよ、ここからが本格的な小谷城です。お江の生誕地にお邪魔します。

 なお、博覧会期間中はバスか徒歩でしか登ってこられませんが、それ以前は、自家用車でここまで来れたとのことで、博覧会終了後も同様の状態に戻ると思います。絶景はもうすぐ。

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思いを馳せるはずが?なんだか違う気分に

 ここから先、「御茶屋」「御馬屋」「桜馬場」と続きます。それぞれ標高が高くなっていくところがまさに山城。山城らしさはどんどんエスカレートしていきます。

 まずは「御茶屋」。名前を聞くとなんだか優雅で、ここでお茶会でも開いていたのかと思いきや、御茶屋は主郭の最先端に位置する軍事施設だったそうです。敵を欺くためにはまず名前から?

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 つづいて「御馬屋」とその横に「馬洗池」。三方を土塁で囲まれた曲輪で、本丸跡の前面にあり、まさに、本丸を守るための曲輪であったと考えられています。

 お江の生誕地である小谷城に思いを馳せるための登山のはずが、さきほどから「布陣した場所」「主郭の最先端に位置する軍事施設」「本丸を守るための曲輪」と進んでくると、なんだか、小谷城に攻め入っているかのような気分になってしまいます。

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やられた気分のち絶景

 さあようやく、絶景を見られる「桜馬場」...の前に、大きな岩が現れました。「首据石」です。もうその名前から、何に使われた石かは想像できますよね。

 浅井亮政が六角氏に攻められた際、家臣の今井秀信が敵方に内通していたことを知った亮政は、神照寺で今井を殺害し、ここに首を晒したと伝えられているのです。

 小谷城に攻め入っているかのような気分はここで絶たれてしまいました。ああ、やられた...と。

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 山道を歩くこと1時間弱。たどりつきました「桜馬場」です。ここには浅井氏と家臣の供養塔が建てられています。

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 その桜馬場の先に行きますと、そう、待ちに待った絶景です。琵琶湖の竹生島はもちろんのこと、彦根城や伊吹山まで見られます。さらに、目の前に見えるのは虎御前山。小谷城が攻め落とされる際に、織田信長が拠点とした山です。

 NHKの大河ドラマでも、ここから浅井長政とお市が琵琶湖を眺めるシーンがありましたね。

 頑張って1時間、登山してきた甲斐がありました。ふもとから歩いて登ったからこその爽快感ですねこれは、やっぱり。

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 ただ...。目の前には、信長が小谷城に攻め込む拠点とした虎御前山、坂を下ったところには、信長に攻め入られた際に浅井長政が自刃した赤尾屋敷と、お江ら浅井三姉妹の悲劇がまさにここで始まったんだなと思うと、爽快感とは別の感情が湧いてきてしまいますね。実際にこの場所で、その悲劇は起きたわけですから。そして、大河ドラマの撮影も実際にここで行われているのです。

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もう少し頑張って...本丸へ

 桜馬場の絶景と、お江生誕の地である小谷城の実感は得られたわけですが、せっかくここまで来たのですから、山頂までは行かなくとも、本丸までは行ってみることにします。

 別名「千畳敷」とも呼ばれた大広間には、黒金門から入ります。南北85メートル、東西35メートルという曲輪は小谷城最大です。かつてここには御殿が建ち、その先には井戸や土蔵があったということがわかっています。そんな大広間の先にあったのが本丸です。

 本丸には今も石垣が残り、地形からしかその面影を感じることはできませんが、ここに城主・浅井長政が住んでいたのだということに想いを巡らすには充分です。広さは南北40メートル、東西25メートル。

 かつては、ここにあった小谷城天守が、彦根城西の丸三重櫓として移築されたという説があったそうですが、昭和30年代の解体修理の際に、そのような痕跡は確認されなかったとのこと。残っていて欲しいという思いが、そういった言い伝えを残したのかもしれませんね。

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 ふもとから歩くこと1時間強。小谷城の本丸まで登りきることができました。お江が生まれたこの場所から、波乱の人生は始まったのです。その小谷の地を、自分の足で踏みしめて空気を感じられたのは、大きいですね。その場に実際に立ってこその感慨です。

 さあ続いては、この小谷から浅井へと移動して、大河ドラマに関する展示品が並べられている「浅井・江のドラマ館」と、この小谷城をお江たちが脱出する様子などがジオラマや人形で展示されている「浅井歴史民俗資料館」、さらに、合戦の舞台となった古戦場を見て回ることにしましょう。

 その前に。

 1時間かけて山を降りないといけません。バスの片道利用はできませんので、下りも歩きです。

 合計2時間の山歩き、いい運動になりました。ただ、付き合ってくれた相方に、借りを作ってしまった格好になってしまったことは、言うまでもありません...。

 ちなみに。小谷城バス(500円)を利用しますと、「小谷・江のふるさと館」から「番所跡」まで5分で行ける上に、ガイド付きです。もちろん帰りのバスも込み込みです。でもまあ、これから涼しくなっていい季節ですし「小谷城を攻め込む気分で山歩き」おすすめです。お江の生誕地を踏みしめるにも、名古屋っ子はやっぱり信長視点でいきましょうか。

関連情報

江・浅井三姉妹博覧会

取材協力

・樋口正孝さん

小谷城跡(滋賀・長浜市)MAP

長浜市 小谷城跡

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