09.瑞穂区 名古屋を歩こう

高級は高級でも由緒ある高級

記事公開日:2004年10月22日 更新日:

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シティマラソンであこがれの競技場に-瑞穂陸上競技場

 山手グリーンロードを南へ下って行くと右側に大きな競技場が見えてきます。名古屋のスポーツの殿堂、瑞穂公園です。27,000人を収容する瑞穂陸上競技場はJリーグ・名古屋グランパスエイトのホームスタジアムとなっており、他にも名古屋国際女子マラソンのスタート・ゴール地点としてなど大きな大会に使用されます。また、ハーフマラソン、10キロ、4キロの部があり多くの市民が参加する名古屋シティマラソンでも発着点にもなっていて、私も一度10キロの部に参加したことがあります。私は特に学生時代に陸上をやっていたわけではないので、あの瑞穂のグランドを踏めるというだけでワクワクしたものです。今回はその瑞穂公園から中央を流れる山崎川に沿って北に歩きます。

今も昔も重要な分岐点-道分け地蔵

 環状になった地下鉄名城線が地下を走る、山手グリーンロードを下ります。するとその名も山下通という交差点があります。真新しい瑞穂運動場東駅入口が目に入りますが、南西角に不思議な空間があります。山手グリーンロードはこの交差点で湾曲していて、その角にはショートカットできる左折車線があります。本線とその左折車線に囲まれた三角地帯にはお地蔵さんがあります。お地蔵さんはその名も道分け地蔵。今も昔もここは重要な交差点なのです。

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▲新駅、瑞穂運動場東。やはりデザインにはこだわります。
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▲その名も道分け地蔵。三角地帯で交差点を見守ります。

湧き水に例えた恋心-あゆちの水伝承地

 ではその交差点を、運動場のある西ではなく北方向に歩きます。田辺通5丁目交差点の1本手前の道路を左折すると、右側に万葉集に詠まれた場所があります。名古屋は水がおいしいと言われますが、万葉集の時代もそうだったようです。巻十三にて「小治田(おばりだ)の年魚道(あゆち)の水を間(ひま)無くぞ人は汲むとふ、時じくぞ人は飲むとふ、汲む人の間(ひま)なきがごと飲む人の時じきがごと、吾妹子(わきもこ)にわが恋ふらくはやむ時もなし」とあり、この尾張名水あゆちの水を絶え間なく人は汲み、思いがけず人は飲む、そのように私の彼女への恋心もやまない、と詠まれています。とめどない恋心に例えるほどに、次々と人がこの水を求めてやってきていたのでしょう。残念ながら今はもう水はありません。

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▲あゆちの水伝承地です。水を恋にたとえるとは、相当はまってましたね。

競技場の周りは遺跡だらけ-東児童園・大曲輪貝塚

 周辺は瑞穂公園東児童園として整備されていて、緑が豊かです。陸上競技場の壁に沿って南にあるくと、平日であれば多くの営業車が止まっていて営業マンが休憩しています。木陰になりますし、人通りも無いので休憩するにはいいところです。再び山手グリーンロードに出ると、北側が陸上競技場の正面入口、南側がラグビー場になります。正面入口には次回のグランパス戦の案内の書かれた垂れ幕があり、ホームスタジアムであることがすぐにわかります。800台収容の駐車場がありますのでそれを越えて、歩道橋をくぐると右にアーチがあるので入ります。

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▲瑞穂公園東児童園です。昼間でも木陰で涼しい。
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▲名古屋グランパスエイトのホームスタジアム、瑞穂陸上競技場です。
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▲このアーチから陸上競技場に入ります。

 入るとすぐ左側に、かつての陸上競技場炬火台が飾ってあります。この陸上競技場は1941(S16)年2月に完成、1950(S50)年の第5回国体にあわせて改修され、1980(S55)年には改築、そして1994(H6)年にさらに改修され現在に至っています。建設工事が始まったのは1939(S14)年なのですが、その際貝塚が発見されています。その跡がもう少し先にあります。

 現在も一部保存されているのですが、この大曲輪貝塚は国内では珍しい縄文時代の貝塚として発見され、陸上競技場が完成した1941(S16)年には国の史跡に指定されています。さらに改築の際、古いスタンドを取り壊したところその下に遺跡がきれいに残っていて、再度調査が行われました。すると貝塚だけでなく埋葬された人骨までもが発見されました。また貝塚には石斧、土器、陶器までもが発見され、縄文時代から古墳時代まで長い間ここに人が定住していたと思われます。瑞穂区全体に古墳や貝塚が広がっているのも納得できます。相当大きな村だったのでしょう。そしてこの瑞穂公園内にも古墳が残されています。

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▲旧陸上競技場の炬火台です。1980(S55)年まで使われました。
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▲大曲輪貝塚の跡は今もしっかり残されています。
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▲こういったものが貝塚から発見されました。

 陸上競技場から山手グリーンロードの可和名橋を渡り野球場側に行くと、野球場の南に瑞穂古墳群のひとつが残されています。かつては50メートルくらいの間隔で3つの円墳が残されていて三つ塚と呼ばれていました。残されているのは瑞穂二号墳で、原形はとどめていないものの直径30メートル、高さ7メートルの規模だったと推定されています。一号墳は隣の豊岡小学校に、そして三号墳は野球場になっています。これらの古墳は古墳時代後期6~7世紀のものと思われるので、このあたりは縄文時代からずっと人が住みつづけていたということになります。

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▲可和名橋です。この南側にラグビー場があります。
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▲瑞穂公園の中央を流れる山崎川。左に野球場が見えます。
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▲瑞穂古墳群のひとつ瑞穂二号墳跡。古墳も三兄弟。

お花見の名所・桜のアーチ-山崎川

 野球場の東側を山崎川に沿って歩きます。ここは桜のアーチとしても有名で、お花見の名所でもあります。瑞穂橋周辺は川辺も山崎川親水広場として綺麗に整備されています。川岸には1950(S25)年の国体を記念しての聖火像や、カキやハマグリなどが発見された下内田貝塚跡があります。結構いいもの食べていたんですね。そして左右田橋を越え、右手に北陸上競技場が見えると瑞穂公園の北端です。

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▲国体を記念しての聖火像です。陸上競技場らしくていいです。
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▲下内田貝塚跡です。カキにハマグリ、いいなあ。
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▲山崎川親水広場です。桜の時期はすごいことになります。

 縄文時代、海岸沿いであったとはいえなかなかいい暮らしをしていたようです。豊富な海産物と、瑞穂の名のとおりおいしいお米、そして万葉集にも歌われた名水...。ここから北側には再び山の手のような静かな住宅街が続きます。瑞穂区のこのあたりは、縄文時代から続く由緒ある高級住宅街と言えるのではないでしょうか。新興の高級住宅街に住む人は「街の歴史」を欲しがるといいます。瑞穂区は、それさえも満たしてくれるのです。


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