06.千種区 名古屋を歩こう

水道はじめて物語

記事公開日:2004年7月6日 更新日:

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名古屋の非排他特区?社宅が集中-市之御前社・弁天公園

 茶屋が坂から西方向に歩いていきます。茶屋ヶ坂公園の西側にはひっそりと市之御前社があります。そして少し歩くとまたもや公園が登場します。弁天公園です。こちらは住宅街の中にある普通の公園といったものです。この日は子どもたちを遊具の上に乗せて、何やらテレビの撮影が行われていました。周囲は路上駐車の車が多くあります。ここに停めて地下鉄茶屋が坂駅からお出かけでしょうか。そして公園の周囲には社宅が多くあります。このあたりにも転勤族が多く住んでいるようです。

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▲弁天公園。何の撮影だったのだろう。見張りの人がいて近づけない雰囲気。
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▲市之御前社は木々に囲まれ、日差しの強いこの日でも少しひんやり。

ひょうたんで交通安全・受験も必勝-上野天満宮

 弁天公園から南西に歩いたところに上野天満宮があります。ここは中区の桜天神社、北区の山田天満宮とともに名古屋三大天神のひとつとなっています。創建は不明ですが、1800(寛政12)年以前よりこの地にあったという記録が残っています。祭神は菅原道真ですが、最近は1962(S37)年に浅間社を合併するなど多くの神々が祀られています。古くから天満宮社として信仰を集め、必勝鉢巻、福だるまといった受験必勝グッズも売られています。

 また、たくさんの瓢箪が納められている厄除けひょうたん奉納所があります。瓢箪の中に願いごとを入れ、奉納すると厄除けになると言われています。特に交通安全にご利益があるそうです。先ほどあった市之御前社と、西の天満通を越えた上野にある八坂社、さらに西の北千種にある愛宕神社も上野天満宮の社となっています。かつてはこのあたり一帯を占める広い敷地だったのかもしれません。

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▲名古屋三大天神のひとつ、上野天満宮です。
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▲本殿は鮮やかな赤。
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▲たくさんの瓢箪が納められています。

せせらぎの音が心地よい散歩道-茶屋坂通・天満緑道

 上野天満宮のすぐ北側には東西に走る茶屋坂通があります。この道路は瀬戸市と名古屋港を結んでいて「瀬港線」とも呼ばれていますが、この界隈では茶屋坂通で通っています。道路は名古屋方面へ向かう方向が3車線、瀬戸方面へは2車線となっていますが、中央1車線は基幹バスレーンとなっているため、瀬戸方面は実質一車線となってしまっており、夕方はいつも渋滞します。バスレーンが無くなる名東区引山あたりまではいつも混雑します。

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▲瀬戸方面を望みます。色が違う車線はバスレーン。

 その茶屋坂通と上野天満宮を結ぶのが天満緑道です。名古屋市水道局の通水70周年を記念して1985(S60)年に建設されたものです。せせらぎに耳を傾けながら緑のなかを散歩できます。水が流れている区間は特に「水と緑のエリア」として整備されたもので、北側にはダムに似せた水源地広場を、そして南端には浄水場を形どった浄水場広場を作り、その間を流れる人工川のほとりには、木曽川の上流から下流までに実際ある樹木を同じように植えてあります。ダムから名古屋市の水道水がやってくる過程を再現してある公園なのです。歩いていると、1931(S6)年から鳥居松沈殿池で使用されていたY字管や、同じく沈殿池で1911(M44)年から70年使われた仕切弁などが展示されています。

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▲天満緑道です。南側は緑だけですが。
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▲北へ歩くに従って水のせせらぎが聞こえます。
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▲こちらは「Y字管」1931(S6)年製です。

 そして仕切弁のある歩道橋を渡ります。歩道橋からはナゴヤドームが見えます。少し北に歩くと東区です。その歩道橋からは鍋屋上野浄水場が見えます。見ると煉瓦の古い建物があります。どうやらかなり古くからここにある様子。そう言えば水道っていつ頃からあるのだろう、そう疑問を抱いたその時です。

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▲70年使われた仕切弁は歩道橋のたもとに。
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▲歩道橋からはナゴヤドームが見えます。
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▲都市景観重要建築物に指定されている1914(T3)年完成のポンプ所。

名古屋の水道はじめて物語-鍋屋上野浄水場

「名古屋の水道の歴史を知りたいかい?」

 唐突にピンクのまんまるな猫が現れました。

「結構古そうな浄水場だよね。水道っていつ頃からあるんだろうね。」

 私がそう言うと、猫は指をパチンと鳴らしてこう言いました。

「じゃあお兄さん、名古屋の水道のはじまりを見にタイムスリップしてみない?それ~。ナモナモミソンチョドテッピポ、シャビシャビデドモナランチョナのミャ~タン。」

 時は1893(M26)年、それまで名古屋市では井戸の水を飲み水に利用していました。しかし、洪水などが発生すると汚い水が井戸に流れ込み、赤痢やコレラといった伝染病の原因となっていました。また、井戸の水量では火災を消すことができず、火事のときは周囲の建物を壊すことで燃え広がるのを防ぐしかありませんでした。

「なるほどね。でも井戸に雨水が流れ込んでも、当時は酸性雨ってわけでもないしそれほ
ど汚い気がしないんだけど、どうして伝染病が流行ったんだろう。」

「当時は水道が無いから、もちろん水洗トイレも無かったんだよ。ということはあちこちの肥溜めにウンコが溜まってるよね。洪水になればそういうものが井戸に流れこむよね。それを飲めばどうなるかわかるよね。」

「リアルな説明ありがとうございます。」

「名古屋で初めて水道と言えるものがひかれたのは、庄内川から名古屋城のお堀に向かって掘削された御用水なんだ。1663(寛文3)年のことだよ。」

「北区で見た。今は埋め立てられて黒川沿いの緑道になっていたところだね。」

「そうそう。でも、やっぱりそこから井戸に水を貯めて使っていたから、洪水になればウンコが入ってくるのは同じことだったんだ。」

「ウンコはもういいよ。」

 そこで名古屋市は1893(M26)年、イギリス人のW.K.バルトンさんに水道・下水道工事の調査をお願いします。8ヶ月後、バルトンさんは犬山の入鹿池を水源とする計画を意見書として名古屋市に提出します。しかしそれには莫大なお金がかかるために、名古屋市はもう少し安くできる方法はないかと、今度は愛知県技師の上田敏郎さんに調査をお願いします。それが1902(M35)年のことです。今度は木曽川を水源とした計画を立てるのですが、日露戦争が勃発してしまい計画は頓挫してしまいます。

 そして戦争が終わるのを待って、1906(M39)年に市会にて上水道・下水道の建設が可決され、まずは1908(M41)年に下水道の工事が始まりました。上水道の工事はそれから2年遅れてスタートします。1912(T元)年には下水道が供用開始します。

「どうして下水道が優先されたのかな。」

「そりゃ、ウンコを処理すれば伝染病は少し防げるからじゃない?それに上水道はまず水を綺麗にして給水しなければいけないけど、下水道はとりあえず集めるだけで、1930(S5)年までは特に処理していなかったみたい。」

「処理していないって...。」

「まぁ、どこかがウンコまみれだったわけだね。」

 下水道から遅れること2年、1914(T3)年にこの鍋屋上野浄水場が完成、給水がスタートします。当時は名古屋市の面積も狭かったことから、給水地域は現在の中区、東区、熱田区と港区の西側に限られていました。その後8回の拡張工事を重ねることで市域全域をカバー、給水量も当初の1日5万1200立方mから142万4000立方mとなっています。

「それじゃあ元の世界に戻るよ。よいしょっと。」

「なるほどね~。この浄水場ができたお陰で、伝染病を食い止め、火災の消火にも水が使えるようになり、井戸で水を汲む手間からも開放されたわけだね。」

「そうそう。現在はこの鍋屋上野浄水場と、1946(S21)年完成の大治浄水場、1969(S44)年完成の春日井浄水場から名古屋市全体に水が送られているんだ。そして、その1914(T3)年最初に水道が通った時に建てられたのがあの煉瓦の建物なんだ。名古屋市都市景観重要建築物にも指定されているんだけど、1992(H4)年まで現役だったって言うんだから驚きだよ
ね。」

「ところで君は...。」

「それじゃ、また名古屋の『はじめて』を知りたくなったら呼んでね。バイバーイ。」

「『また呼んでね』って呼んだ覚えは無いんですけど...。」

 今更、言うほどのことではありませんが、今回は一部空想を含んでお送りしました。

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▲奥には浄水場が見えます。
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▲道路に面したところには水道公園水の丘が整備されています。

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