トッピーの放送見聞録 放送事情レポート

三重と岐阜が力を合わせ名古屋に進出した放送局-東海ラジオ

記事公開日:2013年6月20日 更新日:

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★東海ラジオはもともと2つのラジオ局だった
★名古屋地区AMラジオ局の電波の変遷をたどります
★後発局その挑戦の歴史

 名古屋を中心に周波数1,332kHz、50kWの出力で、2,074万人の人口をカバーするAMラジオ局・東海ラジオ放送。

 その東海ラジオが昨年から半年以上にわたって、一部深夜の放送を休止しての工事を行っています。この工事は「送信空中線の耐震補強」「送信機の更新」「送信新局舎の建設」の3本立てで、名古屋では唯一、開局以来同じ送信所、送信局舎を使用し続けてきた東海ラジオにとって、開局以来の大工事となっており、53年間に渡って東海ラジオの放送を送り届けてきた送信局舎とのお別れとなります。

 そんな東海ラジオの七宝送信所を取材させていただくことができました。まもなくお別れとなる東海ラジオの送信所局舎にお邪魔させていただきます。

 その前に、東海ラジオの特殊な経歴を振り返ります。

10kW時代と送信場所が変わらないのは東海ラジオだけ

 名古屋には3つのAMラジオ局があります。729kHz・50kWの第一放送と909kHz・10kWの第二放送をもつNHK名古屋放送局、1,053kHz・50kWのCBCラジオ、そして1,332kHz・50kWの東海ラジオ放送です。各局の電波送出の歴史を振り返ってみましょう。

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 NHK名古屋はかつて、1929(S4)年より緑区の桶狭間ラジオ放送所から出力10kWで電波を出していましたが、周囲が住宅地となってしまい、50kWの増力をすることができず、1983(S58)年12月22日に弥富町(現・弥富市)の鍋田ラジオ放送所へと移転して、ようやく増力を果たしました。そのため、50kW化は民放より12年も遅れる格好となってしまいました。

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 桶狭間ラジオ放送所は、2009(H21)年までそのままの姿で残されていましたが、売却され、今は住宅地に姿を変えています。

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 CBCラジオは、中部日本放送(CBC)として1951(S26)年9月1日に開局。日本初の民間放送でした。当時の送信所は愛知郡鳴海町伝治山(現・名古屋市緑区)。現在の送信所である長島ラジオ送信所への移転は1978(S53)年11月23日。国際的な周波数変更によりそれまでの1,050kHzから1,053kHzへと変更するタイミングで、送信所を移転しました。

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 CBCラジオも2009(H21)年、アースの張替えなどのため、1ヶ月という長きに渡って深夜放送をお休みし、大工事を行っています。

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 このように、NHK名古屋もCBCラジオも、送信所の移転を経験しているのですが、東海ラジオは名古屋に本局を置いて以降、ずっと同じ送信所、同じ送信局舎を使い続けているのです。しかし東海ラジオには他の局にはない歴史があります。そう、東海ラジオはかつて、2つのラジオ局だったのです。

発祥の地は三重・岐阜と合併して...

 東海ラジオのルーツを探ると、日本で31番目に開局した民間放送局、1953(S28)年12月10日開局の「ラジオ三重(RMC)」という放送局にたどりつきます。コールサインはJOXR、出力0.5kWで、当初は伊勢新聞社内に創立事務所を開設し、開局時には津市下田部町松ヶ崎通に本社を置きました。そして1956(S31)年8月15日には三重会館へと本社を移し、その年の10月には1kWへと増力。当時から10kWを出していたCBCには遠く及ばなかったものの、860kHzという低い周波数のため、愛知や岐阜でも広く受信できていたそうです。

 一方、岐阜県にもラジオ局が開局します。1955(S30)年3月10日開局の「岐阜放送(GHK)※現在の岐阜放送とは無関係」です。岐阜市水道山に本社を置き、コールサインはJOOF、出力0.1kW、周波数は1,460kHzでした。ラジオ三重に対して岐阜放送は周波数も高く、出力も弱かったことから、岐阜市正木(現在のマーサ21)からの電波は名古屋に届かず、飛騨はもちろん、美濃全域をカバーすることもできずエリアは狭かったといいます。

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 その後、ラジオ三重は上野局を開局、コールサインはJOXO、出力0.1kW。周波数はなぜか岐阜放送と同じ1,460kHzが割り当てられますが、すぐに1,560kHzへと変更になります。当初から10kWで広域放送を実現していたCBCに対抗すべく「10kWへの増力およびテレビ放送実現のための準備委員会」を設置、さらにFM局の免許申請をしたり、社名を「近畿東海放送(KTB)」とし、規模拡大を画策します。

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 一方の岐阜放送は、恵那局を開局、コールサインはJOOL、出力0.1kW、周波数は800kHzでした。そして岐阜放送も本局1kWへの増力が認められます。こちらも社名を「ラジオ東海(RTC)」とし、羽島市に10kW局を申請したり、テレビ局を開局しようとしたりしますが、テレビのチャンネルも割り当てられず、現実味はありませんでした。

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そして名古屋へ

 そこで、近畿東海放送とラジオ東海は共同で、現実味のあるテレビ局の開設を計画します。三重と岐阜が手を組んで、名古屋への進出を果たすのです。1958(S33)年2月1日に「新東海テレビ放送」を設立、そして12月25日に東海テレビ放送(THK)が開局します。

 三重と岐阜のラジオ局が、共同で名古屋にテレビ局として進出したのです。するとそこからの動きは早く。翌年、1959(S34)年に近畿東海放送とラジオ東海は共同でCBCラジオに対抗すべく10kWの「中部ラジオ放送」を免許申請。合併へとまっしぐらです。

 9月にコールサインJOSF、周波数1,490kHz、出力10kWの予備免許が降ります。これでやっと、CBCと同じ土俵に立つことが決まったのです。悲願がようやく叶うことになったのです。10月には七宝の土地を購入。そう、現在の七宝送信所です。

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 11月20日には「東海ラジオ放送株式会社」として合併。近畿東海放送は東海ラジオ津局、ラジオ東海は東海ラジオ岐阜局となり、津と岐阜からそれぞれ1kWにての放送を続けます。

 そしてようやく1960(S35)年4月1日、東海ラジオは名古屋本局からの放送をスタートします。ただ、ここまでの道のりは決してスムーズなものではなく、8社の競願申請があり、「いろいろな勢力をバックとしてそれぞれの立場に固執し有形無形の妨害とともに流言および憶測が横行した」と当時の記録が残されています。

 近畿東海放送は三重会館のなかにあり、今もそこには東海ラジオの三重支局があります。一方のラジオ東海は岐阜市水道山に単独で本社を構えており、のちにその場所は岐阜ボウルというボウリング場となります。しかし90年代なかばには既に廃業。廃墟となったボウリング場のなかに、東海ラジオ岐阜支局だけがあるという状態が続きました。その後、岐阜中日ビルの完成により岐阜支局は移転。岐阜ボウル跡もなくなりました。

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 名古屋に移った後も東海ラジオは、夜間20kWへの増力申請、50kWへの増力申請、100kWへの増力申請、さらには300kWへの増力申請と、果敢に増力を求めます。これには、1,490kHzという高い周波数の不利な電波の条件からの脱却、何よりも、CBCに追いつけ追い越せの精神があったといいます。その思いは、東海ラジオの送信所を見ることでさらに実感することができます。

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電波が不利だった東海ラジオ

 AMラジオというのは、周波数が低いほど電波はよく飛び、チューニングもしやすいという特性があります。また、ラジオの受信機というのは、530~1,620kHzの間で、もっとも真ん中が受信しやすく設計されていることから、低い周波数とまんなかの周波数のラジオ局は有利で、高い周波数になるほど不利になっていくという構図になっています。

 つまり、729kHzのNHK名古屋第一には周波数の有利さ、1,053kHzのCBCラジオには受信機の特性という有利さがある一方で、東海ラジオには不利しかありませんでした。しかも当初は1,490kHzという非常に高い周波数で、ようやくCBCと同じ10kWの土俵に立てたように見えて、実はエリア条件はハンデのある状態でのスタートでした。

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 東海ラジオは当初、近畿東海放送が使用していた860kHzでの10kW化を目指していたのですが、860kHzは近隣の福井放送も1kWで使用しており、同じ周波数での10kW化は認められなかったのです。そのため、この860kHzは豊橋中継局に引き継がれ、現在も東海ラジオ豊橋局は864kHzで放送を行っています。

 ちなみに、それまで近畿東海放送とラジオ東海が使っていたコールサインは、沖縄が本土に復帰する際、沖縄の放送局に割り当てられることとなりました。ラジオ東海のJOOFは沖縄テレビに割り当てられ、近畿東海放送のJOXRはラジオ沖縄に。しかも、ラジオ沖縄は当時まったく別の周波数でしたが、現在は東海ラジオ豊橋局と同じ864kHzとなっており、こちらは10kW化を果たしています。

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 東海ラジオは、1,490kHzは周波数が高すぎるため不利であり、本局でこんな周波数を使っている局は無い!加えて外国との混信も多すぎると陳情を続け、周波数の変更が認められます。そして1962(S37)年2月10日、現在のチャンネルと同じ1,330kHzとなります。

 実は戦後、名古屋では進駐軍放送が1,340kHzで出ていたのですが、それがNHK名古屋第3放送(FEN名古屋)になる前後に1,270kHzへと周波数を変更し、空いていたというタイミングでもありました。実際には東海ラジオが開局する前にFEN名古屋は放送を終了していましたが、かつてそれら進駐軍放送とFEN名古屋は10kWで電波を出していました。

 さらに、1971年(S46)12月1日にはCBCとほぼ時を同じくして出力50kWへと増力。1978(S53)年11月23日には国際的な取り決めで、日本はそれまでの10kHzステップから9kHzステップへと変更され、現在の1,332kHzとなるのです。

 東海ラジオは、先発で条件の良いCBCラジオに追いつけ、追い越せの精神で、日本初のスタジオカーの導入、ニュースの速報性を増すために中日新聞社内へのニューススタジオの設置、他局に先駆けての他球場速報の実施、名古屋初のヘリコプター交通情報の導入、東海3県下全ての新小学生へ「児童交通安全手帳」の配布、独自の深夜放送の開拓、民放初の「ラジオ無料巡回相談」、名古屋で初めての大規模花火大会の開催、全国初の放送自動制御化、特許を持つ二重折り返し式送信アンテナの開発...とまあ、攻めに攻めてきたラジオ局なのです。

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 特許の二重折り返し送信アンテナは、新城市の東海ラジオ新城放送局に採用されているほか、和歌山放送の複数の中継局など、他社でも採用されています。

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 一方で、現在も戦略エリアを「岐阜・三重」に設定していたり、伊勢神宮に国旗掲揚台を寄贈するとともに「日の丸を掲げようキャンペーン」を行ったりと、名古屋偏重にならず、まさに「東海」のラジオ局であるという立ち位置をとり続けている面もあります。

 そもそも、三重と岐阜のラジオ局が合併して、別の県である愛知・名古屋のラジオとテレビ両方の第2局の座を射止めるというウルトラCは、日本の放送の歴史において唯一無二の事例であり、いかに東海ラジオが野望を持った熱のある特殊なラジオ局であるかということが、歴史からも垣間見えます。

 では、その名古屋へ進出した当時からの設備を使い続けてきた、東海ラジオの送信所へ!いざ。

資料協力

東海ラジオ放送

取材協力

KAZ Communications

関連情報

東海ラジオ放送七宝送信所(愛知・あま市)

35.174087, 136.788277

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