ナゴヤなラジオはここから!東海ラジオを探訪

広告

写真

  • 名古屋ことばが聞きたければ東海ラジオ
  • スタジオを見せていただきました
  • 実は見学がメインじゃなくて

「名古屋の人って名古屋弁しゃべらないのね。」

と、名古屋を訪れた旅行者にメールをいただくことが結構あります。名古屋に行けばネイティブな名古屋ことばが聞ける…わけではありません。名古屋っ子はよっぽど気心の知れた間柄でなければ、名古屋ことばを話すことはありません。ですから、旅行者がそれを聞くのは困難を極めます。

 そんなとき、オススメするのが「東海ラジオ」です。そんな、いかにもナゴヤなラジオである東海ラジオのスタジオを探訪してきました!

主流じゃない立ち位置のラジオ

 東海ラジオは、平日の日中ずーっといかにも名古屋な言葉遣いでの放送を伝統としていて、それが正当な名古屋ことばかどうかは賛否両論ありますが、とにかく名古屋な放送をモットーとしています。

 名古屋には2つの民間AMラジオ放送局があります。日本初の民放である伝統の「CBCラジオ(1,053KHz)」とこの「東海ラジオ(1,332KHz)」です。東海ラジオにはちょっと変わった経歴があります。それは、合併放送局であるということ。

 かつて岐阜県にあった「ラジオ東海(旧・岐阜放送※現在の岐阜放送とは無関係)」と、三重県にあった「近畿東海放送(旧・ラジオ三重)」が共同で名古屋に設立したのが「東海テレビ」で、その2つのラジオ局が合併して名古屋に移転して誕生したのが、東海ラジオ放送という流れなのです。

写真

 したがって、生粋の名古屋のラジオがCBCラジオであるのに対し、東海ラジオは非主流派。どちらかというと岐阜・三重寄りの後発で、長年にわたって、CBCに追いつくべく、果敢に独自の深夜放送でアタックしたり、広告料金での差別化、日本初のスタジオカーの導入など、努力を重ねてきました。その結晶こそ「より名古屋」なのです。

 平日午後、CBCラジオが1968(S43)年にスタートさせ、あの「燃えよドラゴンズ」を生み、上岡龍太郎さんや板東英二さんが大人気だった「ばつぐんジョッキー」に向こうを張って、東海ラジオが1978(S53)年に誕生させたのが「ぶっつけワイド」。いかにもアナウンサーというしゃべりではなく、名古屋ことばを中心としたのです。

 その後、東海ラジオの平日午後は「かにタク言ったもん勝ち」「宮地佑紀生の聞いてみやーち」の2本立てとなり、今ではその2番組が朝9時から午後4時までの7時間を押さえ、まさに名古屋ことばアワーとなっています。

写真

東海ラジオの独特な文化

 それ以外にも、東海ラジオにはちょっと独特な雰囲気があります。今ではすっかり東京の文化放送によって、アニメ系のラジオ番組「アニラジ」が大きな存在感を示していますが、そんなアニラジが全く見向きもされなかった時代、下火だった時代にもずっと独自でアニラジを編成しており、また、声優業や歌手業もしつつも、本業をラジオの「トークジョッキー」という立ち位置でラジオ番組を持ち続け、当時人気を集めた小森まなみさんが長年番組を持ち続けた局でもあり、「夢」とか「希望」とか「憧れ」を言葉にすることをためらわない放送局、建前ではなく本音でぶつかるラジオ局という印象があります。

 全国的な人気となった、小森まなみさんの「mamiのRADIかるコミュニケーション」は、2009(H21)年に25年の歴史に幕を下ろしていますが、今でも、小森さんのラジオを聞いていてこの業界を目指したという放送関係者は多く、私も複数の方を知っています。

 もちろん、私も小さい頃から東海ラジオっ子でしたから、小森まなみさんの番組は聞いていましたし、高校生の頃はモンキーパークや名古屋城のイベントにも足を運びました。社会人になっても、東海ラジオのイベントによくでかけましたし、営業車ではいつも東海ラジオをかけていました。何より、ひょっとしてパーソナリティさんに会えるかも?という不純な動機で、東海ラジオの横のビルの会社に転職したくらいですからね。実際、会うことはできました。

 そんな東海ラジオを見学させていただけるというのですから、大興奮です。

写真

新社屋に移ったのは10年前

 東海ラジオは東海テレビと同居していまして、かつては今のidc大塚家具のビルにありました。当時も一度だけ入ったことがあるのですが、旧社屋には楽器の演奏もできそうな大きなスタジオもあり、まるで牛乳瓶のようなガラスで仕切られたスタジオは、いかにもで、味がありました。

 そんな東海ラジオが新社屋に移ったのは2003(H15)年。10年前です。その際にスタジオ設備などは一新されているのですが、外部とのネットワークや中継設備など、旧社屋から運んできたものもあるそうです。

写真

ここから放送してるんですね!

 最初に見せていただいたのは、ブルーの壁の「Bスタジオ」。ここからは、午前の「かにタク言ったもん勝ち」、夕方の「夕焼けナビ」などが放送されています。ということは…そう、スタジオには魔除けがしっかり貼ってあります。

写真

 いつも蟹江さんが座っているという席に座られていただき、手元を見ると大きなカフが。これでマイクのスイッチを入れたり切ったりしているわけですね。最近ではボタン式のところが多いそうですが、東海ラジオはこだわってこのカフにしたそうです。

写真

 それにしても時計が大きい!もちろんアナログ時計です。いつもこれを見ながら、タクちゃんや蟹江さんは時間を答えているわけですね。

写真

 そして、スタジオとガラスで仕切られたところがサブです。無数のフェーダーがありますね。ちなみに、メールは全て読みやすい文字の大きさで自動でプリントアウトされるのだそうです。メールを画面で読むというわけではないのですね。

写真

隣り合っているもうひとつのスタジオへ

 つづいて、ガラスの壁で隣り合っていて、互いに様子を伺うこともできる、オレンジ色の壁のスタジオが「Aスタジオ」です。こちらも、Bスタジオとほぼ同じ構造となっていまして、こちらからは朝ワイド「モルゲン」、そして東海地区平日午後の最高聴取率ラジオ番組「宮地佑紀生の聞いてみや~ち」が放送されています。

写真

 スタジオには、サークルKで販売された「食べてみや~ち!!」ののぼりや、宮地さんのCDのポスターなどがずらり。同じ構造なのに、スタジオの雰囲気はガラッと変わります。

 この2つのスタジオから、大爆笑の名古屋ことばラジオ番組が毎日送り届けられているというわけです。

写真

マスター&レコード室

 放送局の心臓部であるラジオマスターも見せていただきました。こちらは写真はNGだったのですが、東京の放送局からの回線、東海ラジオ東京スタジオからの回線、そしてジャパネットたかたと結ぶ回線などのコーデックがずらり。

 さらにマスターの横にもアナウンスブースがあり、野球中継の合間のアナウンスなどはここから直接入れられるそうです。ちなみに、ニューススタジオは東海ラジオのフロアではなく、6階の東海テレビのなかにあり、ニュースはそこから伝えているとのこと。

 このラジオマスターで様々なソースが集約され、APS(自動番組制御装置)によって送出され、光回線によって、実際にラジオの電波を発射するあま市七宝の送信所へと放送が送られます。七宝の送信所は現在、時折週末の深夜放送を休んで工事が行われていますが、この工事は「送信空中線の耐震補強」「送信機の更新」「送信新局舎の建設」という3本立てになっているため、かなりの長期間にわたってしまっていますが、新局舎は津波対策のために2.5メートルの高床構造を採用した鉄筋コンクリート造になるとのことで、より災害時に威力を発揮するための工事となっています。

写真

 そしてレコード室の規模にびっくり。ここは東海テレビの方も利用に来るそうで、昭和の頃からのライブラリーがずらりです。これでも、新局舎移転の際に随分整理したとのことです。パソコンで検索して、該当するところからCDやレコードを引っ張り出して借りる形になっています。

写真

3つの録音スタジオ

 先ほどはAとB2つの生ワイド用スタジオを見せていただきましたが、続いては録音用のC・D・Eスタジオです。もちろん、生ワイド用のスタジオよりは小さいですが、それでも、4人で番組をするには充分な広さです。

写真

 3つのスタジオとも同じ構造になっていて、サブとはガラスで仕切られています。サブにはCDプレーヤーはもちろん、レコードプレーヤーやMOも。また、収録は全てパソコンで、波形を見ながら切ったり貼ったりの編集です。

 今でも、主流はMOのようで、番組収録はMOにて行われました。

写真

 え?番組収録って?

 そうなんです。実は、東海ラジオを見学させてもらったのは、見学そのものが目的なのではなくて、番組制作に関わらせていただいたのです。

 小さい頃から一番聞いていたラジオ局で、単発の特別番組ではありますが、まさか、構成作家として番組に関わらせていただけるなんて夢のようです。

写真

 東海ラジオの番組で小森まなみさんに教えられた「夢+努力=現実」の夢の方程式。東海ラジオの松原アナウンサーの「やりたいことがあるのなら、ずっと手をあげ続けることが大事なんだ」という言葉。

 現実になりました。届きました。あの日、入社試験には落ちたけど、ここで仕事をさせてもらえる日がやってきました。しかもです。まさか、その後者の言葉を仰っていた、松原さんの番組を担当させていただけるとは…です。感慨無量の一日でした。

番組についてはこちらから

東海ラジオの特番の構成を担当しました!
写真:東海ラジオ放送Cスタジオ(名古屋・東区) そうなんです。東海ラジオで5月25日(土)放送される特別番組、「ヒットせんでいかんがね!検証名古屋ご当地ソング」この番組の、構成を担当させていただきました!きっかけは、

 これからの時代、ラジオという音声メディアの役割は大きく変わっていくかもしれませんが、そんな時代でも、東海ラジオの放送は名古屋っ子の夢や希望、理想を育み、創造性豊かな人をたくさん輩出していくことでしょう。かつてのジングルではありませんが「あなたへ、あしたへ、東海ラジオ」です。

 次の時代のラジオへ。変わらないこと、変わること。東海ラジオには、これからも名古屋に寄り添うラジオ局であり続けてほしいです。

関連情報

コメントはこちらから

Loading Facebook Comments ...

コメント

  1. ネモッチ より:

    CBCがキー局に負けない規模で番組を作っているのに対して、東海ラジオは地域密着型で歩んできたというのが、感じ取れます。
    野球好きの東京人の一人としては、東海ラジオというとやはり『ガッツナイター』のイメージが強いです。CBCは隣国の電波の影響で聴けないですが、たまにTBSラジオで中継されるCBCの中継と東海ラジオの中継を聞き比べても、個人差はありますが、東海ラジオの方がファン目線で実況をしている雰囲気があります。
    「♪(効果音)ガッツナイタ~~東海ラジオ!(効果音)」のジングルが好きで、先日ラジオICレコーダーで録音してしまいましたw

  2. トッピー@管理人 より:

    >ネモッチさま コメントありがとうございます
    そうなんですよね。CBCラジオと東海ラジオって、
    色が全くと言っていいほどに違うんですよね。
    TBS系にもかかわらず、
    CBCは中部ニッポン放送というだけあって、
    ニッポン放送の色もCBCの方が濃くて、
    東海ラジオは文化放送色が強いのもまた、
    変わった空気感になっている原因の一つだと思います。
    ファン目線、そうですね。
    特にCBCは、一昨年までの監督について、
    どう思ってるんだろ…という放送も多かったですからねえ。
    私もガッツナイター派です。昔のジングルも好きでしたねえ~。

  3. かつひろ より:

    名古屋のAMを聞くなら、うちも東海ラジオ一択になります。
    「かにタク」「みや~ち」なんか聴いてると、
    東京のAMでは少なくなったベタなしゃべくりが聞けて
    これぞAMラジオという雰囲気があって好きなんですよ。
    一方CBCはどうも好かんのです。なんというか、
    ニッポン放送に似た「あざとさ」を感じたり。
    あとつボイさんの番組は変なペンネームばかり読み上げて
    それだけで終わるような番組だし(^_^;)
    頑張ってCBCに追いついて欲しいと思うのですが、
    4月の聴取率調査で、全日全世代平均で
    ZIP-FMが首位になったらしくて、びっくり。
    CBC以上に厳しいライバルですよ。色合いが
    全然違うから攻略のしようが無いと思います。

  4. >かつひろさま コメントありがとうございます
    そうなんですか。東京のAMラジオも時代とともに
    変わっているんですね…。
    東海ラジオは、変わってないわけではないのですが、
    変わらないものを強く感じますね。
    4月の聴取率の情報ありがとうございます。数字を見てみましたが、
    ZIP-FMの聴取率自体は前回調査と変わっておらずで、
    ZIP-FMが首位になったのはつまり…という状況のようですが、
    いつかまた、東海ラジオがトップに返り咲くといいなと
    思いますね。radikoもあるわけですから、かつてのように、
    CBCに比べて調査エリアで特に入りにくい場所が影響する、
    ということも減るでしょうしね。

  5. まはら より:

    『まはらにトーク』ってご存知ですか?
    1990年頃だったと思うのですが、午前0時からの『J-POP Magic』の前10分間、2人の女性が”名古屋弁丸出し”のトークをしていた番組で、遠距離受信で聞いていた僕にとっては強烈な印象でした。関西以外にも地元の言葉でしゃべる番組があるんだ、と・・・その後日本移動通信の0時の時報があってJ-POP Magic
    に入っていきました。

  6. 115.36.225.150 より:

    「ぶっつけワイド」、こないだ仕事休みのときにがっつり3時間聞かせていただきましたが、やっぱり”ええもんはええ”ですねー。
    「あなたへー明日へー東海ラージオー!」というジングルから、けたたましいファンファーレ音の後に松原さんのタイトルコール、それから深町さんの「On the move」にのって松原さん、蟹江さんの応酬合戦の開始・・・というあの一連のオープニングの流れを聴いた途端、「ああ、これやわこれ。これやってたん小さい頃やったのになんでか覚えとるわー」とちょっとした感動と郷愁を覚えてしまいました(笑)。
    年齢的なこともありますから、3週間限定というのは致し方ないかもしれませんが、できることなら8月以降も週1でもええんで、「ぶっつけ」を続けて欲しいと思っているリスナーは私だけでしょーかねぇ?(笑) 

タイトルとURLをコピーしました