三重 東海あまのじゃくツアー

絶景と島の習わしと海の幸-鳥羽・答志島後編

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 鳥羽市答志島のお話の続きです。前回のブログでは、九鬼水軍の将、九鬼嘉隆にまつわる遺跡を見て周りましたが、今回は今の答志島を見ていきます。九鬼嘉隆の首塚から築上山遊歩道を北へと歩きます。旅館の方が「この時期は草が覆い茂って歩ける状態じゃないかも...。」と仰っていたので覚悟はしていたのですが、蜘蛛の巣はあるわ蚊は飛び交うわで結構難儀しつつも、数分で「見晴らし台希望の丘」に到着です。眼下に広がるその景色にびっくり。この答志島を一望できるのはもちろんのこと、この先にある神島、そして愛知県の渥美半島まではっきり見えます。伊良湖水道の向こう側、伊良湖岬にあるふたつのホテルをはっきりと目視できますし、さらに三河湾のむこうにある発電所までをも見渡せます。バブルの頃の計画通りここに橋が架かっていたら、愛知県と三重県はもっと身近になったでしょうね。

 何か気配を感じふと振り返ると、その木には無数に何かがくくりつけてあります。一体...。

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 木に吊るされていたのは何と「しゃもじ」です。よく見るとそれぞれのしゃもじには願いごとが書かれています。なんでも、しゃもじに願いごとを書いてここに吊るすと願いごとが叶うというのですが、それはなぜかと聞きましたら「しゃもじだけにすくわれる」だからだそうです。ダジャレ...いやいやダジャレだっていいんです。願いごとを文字にして表すことが、叶えるための第一歩なのですからね。私たちはしゃもじを持参していなかったので吊るすことができませんでした...信じていないからではないんですよ。後から知ったのですが、島の宿泊施設やお土産やさんでは願いごとを書くためのしゃもじを売っているのだそうです。買ってから登ればよかった。

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 景色を堪能したので築上山を降ります。登ってきた時も急坂でしたので当たり前ですが、下山ルートもかなりの急坂です。降りるとそこは九鬼嘉隆の胴塚でした。そこから、いかにも漁師町という風景の中を歩いていきます。答志島には約800世帯、3,000人が暮らしているのですが、その8割が漁業に携わっていらっしゃるのだそうです。漁獲量も多く、住民の結束は固いといいます。そのわけは、結束を固める島独特の風習が今も息づいているからです。

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 大きな通りに出ない限り、道路を車が走るということはありません。と言いますか無理です。路地はとても車が通れる幅ではありません。また、大きな通りに出ても走っているのはほとんどが軽自動車です。私たちが普通車に遭遇したのは、旅館など宿泊施設の送迎用車両と、ヤマト運輸の配送車のみです。しかしヤマト運輸の配達車両が走っているということは、ヤマトの配送基地がこの島の中にあるということでしょうか...。それにビックリ。

 島を歩いていると、商店に「コンニャク針あります」「大刀サガリあります」という張り紙が。前者はなんとなくわかりますけど、後者は一体...。たぶん漁業用のものだとは思うのですが、張り紙がしてあるということは、結構マイナーな漁師グッズなのかな。ガラガラと扉を開けて聞きたいところでしたが、どんな回答が返ってこようとも、私たちが購入することはまずないので、冷やかしになってしまうと思いやめました。

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 島内を歩いているとひとつ気づくことがあります。それはどの建物にも「○」のなかに「八」と書かれたマルハチマークがあるのです。それはどれもまるで墨で書かれたような文字です。マルハチといえば名古屋の市章。まさか関係があるとは思えません。これも旅館の方に聞いてみました。するとこれは、毎年旧暦の1月18日に行われる八幡神社の大漁祈願祭のなかの「お的」という行事で運ばれる神聖な墨を、島の男たちが奪い合って、その墨で描かれたものなのだそうです。家内安全になる魔よけの印とのこと。喪中の男はその行事に参加できないので、そういう場合は近所から墨をもらうのだそうです。

 極たまに、名古屋市内でも同じように筆調で同じような文言の落書きを見かけますが、それとは大違いです。あちらには怨念が篭っています。

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 そしてこの答志島には古くからの風習が残っています。それが島民の結束を高めているのです。その風習とは「寝屋子」です。鳥羽市の無形民俗文化財にもなっています。寝屋子とは、「寝屋」となる家が一定の年齢に達した男を数名一緒に預かる制度で、男達は食事の時だけ実家に帰るのと、仕事をする時以外はその寝屋で一緒に生活をするのです。同じ寝屋で暮らすことになったもの同士は生涯義兄弟となり、冠婚葬祭はもちろん、何かあった時にはいち早く駆けつけるのだそうです。実はこの制度、先述の九鬼水軍が始めたという説があります。若い男衆を寝屋に集めておくことで、寝屋をまわることで船のこぎ手をすぐに集められるようにしたということのようです。驚くべきは、今もその制度がこの島には残っているという点です。

 では、そろそろ日も傾いてきましたので宿へと戻ります。宿の前には水の透き通る海岸があります。伊勢湾とは思えない透明感。シーズンとなれば多くの海水浴客で賑わうことでしょう。

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 私たちが宿泊したのは答志島温泉「中村屋」さん。大浴場には男女ともに展望露天風呂があるほか、別料金はかかりますが貸切露天風呂が2つあり気兼ねなくゆっくりと温泉を楽しめます。お造りは伊勢海老に鯛にコリコリのほら貝、スズキなど魚三種。サザエとハマグリ、海老の焼き物に、シャコ、そして煮魚にグラタンと、もう海の幸三昧です。思い出しただけでもよだれが出てしまいます...。なかでもすごかったのが小さなエビたち。生きたままのものが置かれていまして、茹でても良しそのままでも良しとのこと。鍋に入れるときはすぐに蓋をしなければなりません。なぜなら茹でている間も跳ねる跳ねる!そして、生きたままのエビをむいて食べるのはちょっとカワイそうだったけど、美味しかった...人は時として残酷なものです。

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 朝、目覚めると窓の外はまるで雲の上のようでした。このあたりでは雨が降る前に濃い霧が発生するそうで、雲の上にいるかのような錯覚に陥ります。朝食も品数がたくさん。海の幸を堪能しました。味噌汁がおいしかった~。そしてやはり朝も贅沢に温泉です。中村屋さんは従業員のみなさんとても親切で気さくでしたし、ぜひともまた訪れたい旅館ですね。屋上には星見デッキという展望デッキがありまして、夜は星空が本当に綺麗でした。でも星を見るなら初夏よりもやっぱり冬ですよね。冬はまたフグとかカキとか、海の味覚にも違った魅力があるのでしょうね~。

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 また冬に来るためには、仕事頑張らなきゃな...。そう思いつつ朝10時半の船で答志島を後にしました。

 そうそう、橋についても旅館の方に聞いてみましたところ、確かにバブルの頃に渥美半島から鳥羽へと、島伝いに橋を架ける計画があったとのこと。それは私も知っていたのですが、てっきりバブル崩壊で計画が倒れたのかと思いきや理由はそれだけではないとのこと。島の人々が橋を架けることに猛反対したのだそうです。その理由は「外から悪い文化が入ってくるから」。確かに、橋が架かるとそれだけ利便性が高まりますが、島の独特な文化というものが希薄になってしまうという側面がありますよね。その閉鎖性が島の魅力でもあるわけで。一概に「橋が架からなくて良かったですね」とは言い難い側面ももちろんありますけど...。今後橋が架かることはもうありませんから、答志島はこれからもこのままの姿を残していくことでしょう。

 (お金が貯まったら)また来ます!

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関連リンク

答志島旅館組合
水神の宿 中村屋

答志島(三重・鳥羽市)


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