
オーストラリア記念館(三重・四日市市)
※2013(H25)年に取り壊しが決定し、更地になりました。
別のコーナーで、四日市港から運航されている燃料代未払いの船をご紹介しましたが、そのターミナルに「霞ベイエリアをサイクリング&歩いてみよう」という看板があったので、散策してみることにしました。もちろん、私たちの場合は車でですが。
するとそこに、なんだか奇抜なデザインの建物が。明らかに周囲の建物と比較して浮いています。入ってみると、あ!あの懐かしいオブジェが!
ふたつの万博の面影を見ることができる、オーストラリア記念館です。行ってみましょう。
万博パビリオンをそのまま移築
オーストラリア記念館へとやってきました。よく見ると、外壁に時代を感じますが、恐竜の首のようなものから、円形のホールに降り注ぐ網という、なんとも奇抜なデザイン。実はこれ、1970(S45)年に大阪で開催された、日本万国博(大阪万博)のオーストラリアパビリオンが移築されたものなのです。
私の場合、万博というと2005(H17)年の「愛・地球博(愛知万博)」しか実体験として知らないので、パビリオンというと全て同じ形の建物というイメージがあるのですが、大阪万博はパビリオン全てが外観のデザインにもこだわって作られていて、このオーストラリア館は、葛飾北斎の描いた大波と富士山をイメージしたものとのこと。
てっきりオーストラリアなので、飛び跳ねるカンガルーの躍動感をイメージしたものか何かかと思ったら、そんな日本的なイメージだったんですね…。

名古屋なんかよりもずっと先です
四日市市になぜオーストラリア記念館があるのかというと、四日市港とシドニー港が姉妹提携関係にあるからです。
あれ?シドニーと提携してるのは名古屋じゃないの?だから名古屋にはコアラがいるんでしょ?と思われるかもしれません。
確かに、名古屋市はシドニー市と姉妹都市提携を結んでいます。それは1980(S55)年のこと。一方、四日市港がシドニー港と提携したのはそれより10年以上前の1968(S43)年。だから大阪万博のパビリオンが移築されたわけです。名古屋なんかよりも提携関係の歴史は古いのです。
でも、四日市にコアラはいませんけどね。
コアラはいないけど…びっくり
オーストラリア記念館に入りましょう。ここは財団法人日本万国博オーストラリア記念館によって運営されていて、入場料は無料です。入ると、まずはコアラ…ではなくカンガルーがお出迎え!
と言うと、なんだかかわいらしいものを想像されるかもしれませんが、そのカンガルーというのはオスのレッド・カンガルーの標本で、めちゃくちゃリアル。細部に渡ってリアル。オスな部分までリアルです。
時速60キロで走るとのことで、こんなのに追いかけられたら怖い怖い。でも想像すると、時速60キロでは「追いかけられる」という事態になり得ませんけど。

お互い寂しくなってますね…
オーストラリア記念館には、「オーストラリアってどんな国!?」「多くの変わった生き物たち」「先住民アボリジニ」「おもな産業」と、オーストラリアについての基本情報が様々なデータや標本とともに展示されています。そして、そのそれぞれのコーナーにある看板には、かわいらしいコアラの絵が。やっぱり、オーストラリアといったらコアラだよね。

おもな産業のコーナーには、羊毛や鉱石の実物も。この四日市港とシドニー港が提携した理由はそれなのです。かつて四日市港は、オーストラリアからの羊毛の荷扱い量が日本一だったのです。
でも近年のオーストラリアは、これらの産業も大規模化、機械化が進んで、従事する人の割合は低下しているとのこと。この四日市港も、名古屋港なんかより歴史が古くて、かつては名古屋港よりも荷扱い量が上だったんですけどね…。大正時代までの話ですが。

大阪万博の面影
ここはオーストラリア記念館なので、オーストラリアそのものに関する展示が多いのですが、やはり建物自体が大阪万博のパビリオンということもあり、大阪万博そのものについての解説も充実しています。
大阪万博はアジアで初めての万博。入場者数は6,421万人というとんでもないもの。当時のオーストラリア館の写真や模型も然ることながら、大阪万博そのもの写真の迫力はすごい。愛・地球博しか知らない私にとって、大阪万博の写真はどれも衝撃です。
万博そのものへの憧れは当然ですが、その背景にある、右肩上がりで、未来は絶対明るいと素直に思うことができた、高度経済成長真っ只中の日本にものすごい憧れを感じます。大阪万博はそんな日本の象徴だったのでしょうね…。

愛・地球博も忘れないで?
すると、その奥に何やら見たことのあるスタンプ台が。それは、愛・地球博のオーストラリア館にあったスタンプです。グッズが飛ぶように売れたという、カモノハシのキャラクター「カモネ」が懐かしい。
「あ、オーストラリア館のスタンプがまだ押してなかったから、押せるじゃん!」と思った方、残念。もうスタンプは押せないようになってます。

出た!巨大カモノハシ!
愛・地球博についての展示もたくさんあります。会場模型にパネル展示、そして何より、あのオーストラリア館の目玉だった、巨大カモノハシがそのままいます。なぜカモノハシだったのかと言いますと、カモノハシはオーストラリアにしか棲息していない動物で、65,000年前から姿はほとんど変わっていないものの、存在するためにはとても綺麗な水辺の環境を必要としているとのことで、愛・地球博のコンセプト「自然の叡智」に合致していたからなんですね。

私は愛・地球博のオーストラリア館でこのカモノハシを見た際、係員の方に「カモノハシってこんなに大きいんですか」と質問してしまいました。
やっぱり、そう思う人が多いのでしょう。「実際のカモノハシの大きさは50~60cm程度です(これは巨大模型です)。」という張り紙が…。

それもカモノハシの仲間?
その巨大カモノハシの前にはなぜか、JRの「700系新幹線」についてのパネル展示が。新幹線とオーストラリアと何か関係があるの?と思ったら、700形の新幹線は先頭車両の形が似ているから「カモノハシ」と呼ばれているというお話でした。ちなみに、似ているだけであって、この新幹線がカモノハシの生態に何かを学んだとかそういうことでは無いようです。
ちなみに、カモノハシとJRいえば、JR西日本のIC乗車券「ICOCA」のキャラクターに採用されていますが、ここ四日市はJR東海の営業区域ですのであしからず。そして「toica」のキャラクターはヒヨコなのでこれまたあしからず。

施設も貸切?ヒツジさんも貸切?
この日は休日だったにもかかわらず、オーストラリア記念館はまるで貸切でした。オーストラリアについて学んだというよりも、なんだかふたつの万博の幻影を追ったというか、そんな感じの施設でした。愛・地球博の時は人がいっぱいで、巨大カモノハシと一緒に写真が撮れなかった…というお子さんもこれならリベンジできますね!でも、当時そんなことをせがんだお子さんも、今やそんなことはどーでも良くなってる可能性が非常に高いですが。
それにしても、羊毛繋がりで提携した割には、コアラやカモノハシやカンガルーがいたのに、ヒツジが居なかったな…と思ったら、出入り口から少し離れた広場に寂しそうにヒツジのオブジェたちが。

これなら、またがって写真撮影も可能ですね!そんなことはしませんでしたけど…。
※2013(H25)年に取り壊しが決定し、更地になりました。



コメント
巨大カモノハシは万博終了後にメイナーズがヤフオクで出品して
1000万超えの入札が複数あったのに最低落札価格が欲張って
1485万だったためお流れ。最低落札価格なくして1000万スタート
で再出品したものの入札者無し。
さらに500万スタートでも入札1件あったものの落札キャンセル。
そして結局、”デザインを複製して新規作成してもよい権利”
というのを贈呈されていた四日市市が現物を買い叩いて200万で
譲り受けたものですね。
愛称も募集して「カモン」とかいう名前がついたと思います。
しかし、これだけガラガラだと200万の価値すら危ういですね。
制作費だけでももっとするんでしょうけど。
(2008/04/03 10:12 AM)
>びょん吉さま こんばんは
さすがお詳しいですね。メイナーズは万博オークションに関して、不手際の総合商社だったようですし、なんだかな…ですね。
カモンという愛称は現場では結構PRされていましたよ。でも、子どもたちに人気があるのかどうかは、わからず仕舞いでした。休日にもかかわらず、私たち以外にいたのは親子一組だけだったので…。
(2008/04/04 11:45 PM)
巨大かものはし 懐かしいです。
(2008/04/05 1:39 AM)
>社会保険労務士さま こんばんは
懐かしかったですし、今なら触り放題、写真撮り放題です…。
(2008/04/12 12:01 AM)
思い出しましたToppy様「EXPO’70日本万国博覧会」のパビリオンが四日市に来るまでの顛末。そうなんです、正に「顛末」だったのです。
「大阪・万博」開催中に参加国・都市の「National・day」と言うイベントの「オーストラリア・デー」開催日、来阪した「首相」だったか「シドニー市長」だったか、忘れましたが 豪州国から来たVIPが、イベント終了時「万博閉幕後にパビリオンを四日市に寄贈する。」と仰ったのです。
この事は 当時「中日新聞」の記事で見ました。いきなり寄贈と言われてもバイクや車じゃないのだから「あんな巨大な物何処に置けばいいんだ?」と「市議会」はテンヤワンヤの議会紛糾。移築場所の確保、パビリオンの解体、輸送方法、再建築とベラボウな出費が半年以内に必要になった訳ですから。
そこは「港湾都市・四日市」であった事で、幸いにも「埋立地」という「奥の手」で解決出来た訳ですが・・・。
寄贈後、放ったらかしにされ「くたびれ朽ち果てて」最後にはスクラップとなって「解体」となるのが多々有りましたが、(EXPO’75沖縄・海洋博の目玉アクア・ポリスが正にそれ。)今も健在で、35年後の「愛・地球博」の展示品も納めて「新旧・万博」を見比べれる様にした四日市市は立派です。
>ara40oyajiさま こんばんは
確かに…これだけのものを「寄贈する」と言われても、
対応するのは大変だったでしょうね…。
お話ありがとうございます。
結果として、2度の万博、
両方のオーストラリア館が凝縮され、
四日市とオーストラリアの絆の太さ、長さがわかる、
そんな施設となっていますね。