07.昭和区 名古屋を歩こう

ドラゴンさんちも宅地造成

記事公開日:2004年8月11日

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23種類のポップコーン-ポップンロール

 では鶴舞駅から名古屋高速の高架下、空港線を南下します。高速道路が右に分岐しているところを東西に走るのが山王通。鶴舞公園の地下を斜めに横切った地下鉄鶴舞線は、この山王通の地下を走ります。その山王通の南側一帯が昭和区御器所です。そのまま空港線を南下して、白金1丁目の交差点を左折します。するとポップンロールというポップコーン専門店が右側に見えてきます。このお店では醤油バター、塩バターといったオーソドックスなものからクリームソーダ、抹茶、キャラメルピーナッツといったものまで計23種類のポップコーンを扱っています。ここのお店以外に大きなスーパーの催事に出店していることがあります。私も以前郊外のスーパーで買ったことがあります。私のオススメは何と言っても梅じそ。すっぱいだけでなく梅の香りが口の中に残ります。キャラメルベースの味も人気、ブラックのコーヒーによく合うと私は思います。インターネット通販もやっていますが、やはり実際に見て買いたいですよね。ここのお店は平日のみしかオープンしていませんのでご注意ください。

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▲ポップコーン一筋!

学問と芸能の神さま・神門の木は樹齢1300年-尾陽神社・九延彦神社

 そのポップンロールから少し西に戻ったところを左折して、しばらく北方向に歩くと立派な石垣のある神社が見えてきます。尾陽神社です。尾陽神社は1922(T11)年に名古屋開府300年を記念して創建された神社で、尾張藩祖義直と14代慶勝を祀っています。その後1949(S24)年に天照大神を主祭神として合祀しています。この場所は嘉吉年間(1441-44)の頃に佐久間作守家勝が築城した、御器所西城跡であるといわれています。四方に堀を構え、土居を巡らしてあります。北側は断崖に臨む要害で、現在も高い石垣が残されています。また、正面の立派な神門は1996(H8)年に竣工されたもので、樹齢1300年のオガタマノキが使われています。オガタマノキは古くから神さまへのお供えに使われた最も神聖な樹木といわれ、その歴史は榊よりも古いとのことです。1300年という想像できないその時の長さに、思わず門に触れたくなってしまいます。

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▲尾陽神社は比較的新しい神社です。
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▲山門は新しいですが、樹齢は1300年!
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▲神社の北側はかつてお城だったことを彷彿とさせます。

 境内には学問・芸能・頭の神さまである九延彦神社があります。九延彦命は大国主命の知恵袋といわれる人物で、受験シーズンは多くの人がここに訪れるそうです。ちなみにこの九延彦神社の社殿は、約二百年前に奈良・春日神社の本殿だったもので大阪府枚方市の山田神社から寄贈されたものだそうです。学問・芸能ということでしっかりお祈りしました。帰りに尾陽神社でおみくじをひいたら大吉。これはひょっとして将来有望?だといいな。

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▲かつて春日神社の本殿だった九延彦神社です。
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▲天池通商店街。かつてこの一帯は天池という地名でした。
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▲天池市場からはたこ焼きのいい香りが...。

本堂はマンションの1階-宗円寺・久松寺

 尾陽神社から東へ150メートルほど歩いたところにある道路を左に曲がると宗円寺、右に曲がると久松寺があります。宗円寺は地図にあるのですが現場へ行ってもなかなか見つかりませんでした。それもそのはず、現在はマンションになっていてなんと本堂はその1階なのです。観音堂にある「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」は名古屋市有形文化財に指定されています。そして久松寺は1616(元和2)年創建の龍興寺の末寺です。この日は前の道路が工事中だったので、遠くから眺めるだけにとどめておきました。

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▲宗円寺はマンションの1階に本堂があります。
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▲久松寺の前の道路は工事中で近づけませんでした。

秀吉のお母さんの実家-御所屋敷跡

 そのまま二つのお寺の間の道を真っ直ぐ進むと、ちょっとした空間があります。ここは御所屋敷跡です。天保年間(1830-44)に記された「尾張志」によると、ここにあった御器所屋敷に豊臣秀吉の母である大政所がかつて住んでおり、太閤秀吉という英傑を生んだことから御所屋敷と呼ばれるようになったとあります。ただ、実際に秀吉が生まれたのは中村区という説が有力ですし、既に中村に嫁いでいましたから実際のところはどうなのでしょうか。しかし、出産の時だけ実家に帰っていたということもあり得ますよね。大政所は素性がはっきりしないのですが、いつの頃からかこの御器所の人だといわれるようになったそうです。マンションが立ち並ぶ現在も、小さな社と石碑が残されています。

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▲御所屋敷跡は秀吉の母の出生地といわれています。

イボが取れるその名もイボ神様-イボ神様

 さらに先ほどの道を真っ直ぐ進み、突き当たりを右折してしばらく歩くと大きな通りにぶつかります。先ほどポップコーンのお店があった通りです。そこにひっそりと建っているのがイボ神様です。なんとお参りをするとイボが取れるという伝説があります。敷地は狭いのですが、大木が茂っていて当時の石垣も残されています。周囲は開発のために更地になっていてポッカリと浮いた存在になってしまっていました。そしてそのイボ神様のある通りを東に歩くと出口という交差点があります。そこが吹上から続く郡道です。ではその出口交差点の一本手前の道を南下します。

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▲イボ神様は大木が囲みます。
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▲今は更地の横にポツンとありますが、歯医者さんが横に建つようです。

徳川家の家訓は「堪忍の心」-堪忍寺・御器所八幡宮

 するとすぐ右側に堪忍寺があります。堪忍寺は徳川家の家臣、保忍法浄(ほにんほうじょう)が開いたお寺なのですが、家康の家訓であった「堪忍の心」から名付けたといわれています。そしてそのまま南下し、突き当りを右に歩くと御器所八幡宮と神宮寺があります。御器所八幡宮は尾陽神社のところで触れた佐久間作守家勝が、1441(嘉吉元)年に八所大明神を修造して創建されたといわれています。御器所村の氏神様として古くから信仰を集めていました。そしてその横の神宮寺は御器所最古のお寺で、850(嘉祥3)年に熱田神宮別当補佐職が創建したといわれています。御器所八幡宮は必勝の神様である品陀和気命で、入試必勝を祈祷にやってくる人も多いといいます。先ほどの九延彦神社で学問の知恵を授かり、ここで精神的な必勝祈願をすれば合格間違いなしでしょう。

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▲堪忍の心の堪忍寺。
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▲御器所八幡宮は勝利の神社。
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▲御器所村最古のお寺、神宮寺。

 では、西へ300メートルほど歩き先ほどの郡道に戻ります。そして北に歩き、出口交差点を越え、山王通の荒畑駅へと戻ります。荒畑駅の目の前にはバンダイの名古屋営業所があります。バンダイといえばガンダムを思い浮かべる方もいらっしゃいますが、あのアニメ「機動戦士ガンダム」は名古屋テレビの制作です。と言っても実際に名古屋で作られていたわけではなく、東京で作られていたと思いますのであまり名古屋とガンダムという接点はありません。ただ、名古屋テレビは未だに過去の栄光としてすがっている様で、たまにローカル番組で題材にします。そして荒畑駅の西側にあるのが龍興寺です。

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▲荒畑駅の目の前にはバンダイ名古屋営業所。
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▲立派な本堂の龍興寺。
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▲龍興寺は裏側からは入れません。

ドラゴンさんちも宅地造成-龍興寺・八大龍王社

 龍興寺は1539(天文8)年に御器所城主だった佐久間盛次が建立したといわれていますが、戦災で全て焼失してしまいました。その後1975(S50)年に、東京・芝白金にあった実業家・藤山雷太氏の旧邸を移築して本堂としています。現在本堂は県の文化財に指定されています。ところで、面白いのはその龍興寺の裏にある神社です。このあたりは1916(T5)年まで龍興寺ヶ池という大きな池がありました。現在では御器所2丁目になっていますが、かつては「天池」という地名で、現在も天池通、天池幼稚園などにその名を残しています。そしてその池には龍が住んでいるという言い伝えがありました。土地造成のために堤防を撤去して池の水を排水したのですが、このままでは龍の居場所が無くなってしまうということで、その龍を祀るために八大竜王社という小さな社が祀られました。

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▲八大竜王社はどういうところにあるかというと...。

 その八大竜王社ですが、別の場所に移されること無く、他の住宅と同じように造成された石垣の上にあるのです。敷地は四角に仕切られ、細い石段を登ったところにちょこんと建てられています。それはまるで立ち並ぶ住宅のひとつのようです。かつては大きな池の主だった龍も、現在は区画整理された住宅に住んでいます。

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▲まるで住宅街のなかの1軒のよう。

 おとなりさんがドラゴンさんちっていうのも、なかなか面白いですね。


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