06.千種区 名古屋を歩こう

日本で唯一のどんとこいなお寺

記事公開日:2004年7月6日

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名古屋の巣鴨にひっそりスタバ-覚王山

 では広小路通に戻りさらに東へと歩きます。しばらくすると右手に高級スーパーフランテが見えますので、その交差点を左に入ると覚王山日泰寺の参道になります。覚王山と言えば名古屋の巣鴨。毎月21日の弘法縁日は参道にずらっと出店が並びます。私も幼少の頃祖母に連れられてやってきた記憶があります。確か、露店で昔のお金を買ってもらいました。四角い穴が開いた開元通宝でした。どこかへ行ってしまいましたが、あれって本物だったのかなぁと今でも疑問に思っています。

 そんな覚王山に久々にやってきたのですが、驚いたのは参道の入口にスターバックスがあるのです。覚王山のイメージに全く似合いません。それでも駅前にはフランテもありますし、通りの南側にはやはり転勤者の社宅などが多いためにこういったお店が増えてきているのでしょう。と言ってもやはり覚王山、そのスターバックスのお向かいには昔ながらの八百屋さんがお店を構えています。

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▲名古屋高級住宅街の必需品フランテが、参道の南にあります。
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▲右手前がスタバ。場所柄か!?看板も控え目。
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▲スタバの前にある八百屋さんは懐かしい感じ。

 この日は縁日では無かったので露店は出ていませんでしたが、参道には実にユニークなお店が並びます。輸入品専門店の「ヴィーナトレーディング」、その横には炭専門店の「炭屋本舗」、英国屋紅茶店にビジネス旅館酒井屋などなど和洋折衷で見ているだけでも面白いです。ここに露店が加わる弘法縁日は大変な人で賑わいます。他にも「各宗派用品御用達の店・駒屋仏壇店」という参道にぴったりのお店もあります。

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▲輸入品専門店では東南アジアの品々が中心。
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▲ビジネス旅館。ビジネスの旅館というのはどういうところなんでしょう。
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▲仏壇店が各宗派用品を取り扱うワケは...?

日本とタイの友好の掛け橋・その名も日タイ寺-日泰寺

 その仏壇屋さんが見えてきたら日泰寺は目の前です。その前に、仏壇店の正面にあるのが千体地蔵堂です。普段は扉を閉められていますが、21日の縁日には開帳されます。実際に数多くのお地蔵さんが祀られています。地蔵堂の横には別のお地蔵様がいます。日泰寺の周辺には八十八ヶ所霊場が設けられています。四国をまわるのは無理でも、ここならまわれそうです。では日泰寺へと進みましょう。

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▲千体地蔵堂です。この中に千体のお地蔵さんが...。
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▲ここなら気軽に八十八箇所めぐりができます。

 日泰寺の歴史は比較的浅く1904(M37)年に建立されています。タイ(シャム国)国王から釈迦の遺骨である舎利が寄贈され、それを祀るために建立されました。「覚王」は釈迦を表していて、日本とタイの友好を願って「日泰寺」と名づけられました。日本では唯一の超宗派国際的寺院で、いずれの宗派にも属しない、日本仏教全体の寺院という位置付けになっています。

 山門には1989(H元)年に完成した大きな像があります。向かって左が釈迦の弟子中で最長老であり、釈迦が亡くなった後に仏教を率いて仏教第二祖となった迦葉尊者、右が釈迦の従弟で釈迦に二十余年仕え、最後を看取った阿難尊者です。山門をくぐると五重の塔と本堂が見えます。この日は普通の日でしたがそれでも多くの人がお参りにやってきていました。敷地は広大です。門の中にも車が入ってくるので気をつけなければなりません。やはり名古屋は車社会です。お寺の中にも車で入ることができるのですから。

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▲こちらが釈迦を看取った阿難尊者像です。
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▲車が境内に入ってくるので気をつけて。
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▲立派な五重塔。思わず見とれます。

名古屋は何よりも自動車が優先-いち倫・専修院・山神社

 さて、日泰寺を出て西側へと歩きましょう。すると西山元町という界隈になります。ここの1丁目は建築基準法に基づく建築協定が締結されています。確かに古い街並みが残されていて、それを生かした「庭園ギャラリーいち倫」といった喫茶店もあります。しかしその横には、「頭上注意・老朽による落下物にご注意ください!」という看板がありビクッとします。見ると確かに屋根はしなっていて今にも瓦が一枚落ちてきそうな様子。道路もオシャレに舗装されていて雰囲気は良いのですけど、歩く際は充分に気をつけたいところです。

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▲日泰寺の左側には古い建物が並びます。
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▲こちらがその建物を生かした庭園ギャラリーいち倫。
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▲歩く時は気をつけて...。

 左手にある専修院を越えて、次の角を左に曲がってしばらく歩くと山神社があります。案内看板を見ると宮司さんは日進に住んでいてここにはいらっしゃらないようですが、地鎮祭、新宅清祓、マンション清祓も受付けているとのことで連絡先が明記してありました。広告ではありませんけど、こういった案内看板は初めて見ました。さすが住宅開発の進む千種ならではです。さて、その山神社から北側は急に道が細くなるのですが車の通行量は結構あるので気をつけたいところです。抜け道として利用されているようです。そのためかここは道路開発が現在手がけられていて高架式道路が計画されています。木々が覆い茂る静かな住環境だけに、地元の住民は大反対で裁判になりそうです。現場には反対運動のポスターなどが貼られていました。

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▲西山元町には専修院もあります。
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▲マンション清祓もしていただける山神社。
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▲すでに高架の土台工事は始まっています。

明国のラストエンペラー-鉈薬師・四観音通

 そんな静かで細い道を、多くの車が通り抜けていきます。気をつけながら進んでいくと、木々の切れ間から鉈薬師が現れます。1669(寛文9)年に明国のラストエンペラーとも言われた帰化人張振甫が、現在の永弘院である上野村陽光院にあった薬師堂を移して建てたものです。振甫は尾張藩で医療に携わっていたことから医王堂とも呼ばれています。堂内には薬師仏のほか、鉈彫りで有名な円空作と伝えられる脇侍の日光・月光の二菩薩、守護神の十二神将の像が安置されています。円空の鉈彫りは、鉈一本で全てを彫ったことから鉈薬師と呼ばれるようになったそうです。日泰寺の縁日に合わせて毎月21日に開帳されます。

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▲道路建設反対を訴える張り紙です。
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▲急に緑が深くなると鉈薬師があります。
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▲鉈薬師の前にある細い道路は、意外と通行量が多いので気をつけて。

 さらに、その鉈薬師から北に歩くと四観音住宅があります。その名はここを通る四観音通に由来します。この後ご紹介します張振甫のお墓の先には道標が残されていて、「南あつた かさでら、北 せと りゅうせんじ」といった文字を読むことができます。ちなみ尾張四観音とは荒子、甚目寺、笠寺、竜泉寺の四つを指します。

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▲東山配水塔は1930(S5)年の建設。
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▲こちらが張振甫のお墓。立ち入り禁止になっています。
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▲四観音通の道標。今でも文字が読めるほど綺麗に残っています。

尾張藩の庶民のために医療活動-振甫町

  さて、四観音住宅から真っ直ぐ北に歩くと、右手に東山配水場、左手が振甫町になります。そして配水場を越えた所を右に曲がると張振甫のお墓があります。振甫は尾張藩祖義直から侍医になるようにと懇請されたのですが、広く庶民の医療に携わりたいとそれを固辞しました。それでも公用があるときには出仕したそうです。振甫は食べ物に精通し食中毒の治療に優れていたそうです。現在も振甫町、振甫プールと彼の名が地名に残されています。振甫プールが活躍する夏、名医の名に由来するプールでお腹をこわすということが無いように気をつけたいところですね。


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