16.守山区 名古屋を歩こう

元祖はこっち・守山市

記事公開日:2006年10月16日 更新日:

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駅前に下町風景が広がる-守山自衛隊前駅

 守山区は、斜めに長細いためにそれぞれの場所で全く違う表情を見せます。区役所のある小幡が栄えている印象がありますが、そこからではなく、かつて守山の中心だった場所、守山区守山から散策を始めます。かつてそこが中心だったという証拠もある場所です。

 守山区には地下鉄が走っておらず、今後も走る予定が全くありません。なので名鉄瀬戸線に乗ります。名鉄は東区の矢田駅まで高架になっているのですが、矢田川を越えて守山区に入ると電車は地面を走行します。守山区最初の駅、守山自衛隊前駅で下車します。駅の周辺には小ぢんまりしたスーパーや商店、飲食店が立ち並び、名古屋では珍しい駅前の下町風景があります。

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▲下町風情漂う守山自衛隊前駅前。
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▲スーパーや居酒屋もあります。

タヌキと龍と同心が同居?-廿軒家神明社

 駅の南側には廿軒家神明社があるのですが、周囲にはアパートや今時の住宅に混じって、古めかしい建物が残されています。廿軒家同心屋敷跡です。かつてこのあたりは犬山城主だった成瀬家の領地であり、配下の同心が暮らしていたのです。さて、その廿軒家神明社にはタヌキと龍が同居しています。境内にはややスリムなタヌキの像が祀られており、笠、目、顔、徳利、通帳、腹、金袋、尾とタヌキがもつそれぞれの部分の縁起が記されています。ちなみに、金袋はお金を運用して宝物にかえることにご利益があるそうです。触っておかなきゃ。そして境内には立派な像のある龍神社があります。暴風雨のような荒々しさと、水によって恵みを与えてくれる二面性を持つ龍を祀っています。龍、虎、鷹がひとつになっている神の姿を表した石像はとても躍動的です。

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▲廿軒家神明社の横には昔ながらの屋敷跡が。
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▲千代田街道に面している廿軒家神明社。
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▲龍、虎、鷹がひとつになっている神の姿を表した石像。

自衛隊も名古屋は金鯱-守山駐屯地

 廿軒家の南側には千代田街道が東西に走っていて、その西側で千代田街道は終点です。廿軒家の南側は更屋敷という地名になっており、かつてこのあたりには屋敷が多くあったことが想像できます。おっと、今回は守山のかつての中心を巡る散策ですので、守山自衛隊駅に戻ります。瀬戸街道を挟んで駅の北側には、駅の名にもなっている陸上自衛隊第十師団司令部守山駐屯地があります。入口の門の上には大きな鯱の石像が。さすが名古屋です。自衛隊も鯱モード。ちなみに第十師団の広報誌の名は「金鯱」だそうです。結構筋金入りですね。

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▲千代田街道はこのすぐ西側で終点。
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▲陸上自衛隊第十師団司令部守山駐屯地。
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▲自衛隊の門の上には立派な鯱の石像が。

 さて、今回降りた守山自衛隊前駅ですが、1905(M38)年に「連隊前駅」として設置された後、駅名がコロコロと変わっています。1941(S16)年には地名の「廿軒家駅」に。そして戦後は1946(S21)年に「守山町駅」、1955(S30)年には「守山市駅」となっています。この駅名から、かつて守山が単独で「守山市」として存在していた頃、ここが市の玄関だったことがわかります。守山市が名古屋市と合併しその3年後の1966(S41)年、再びこの駅に連隊、いや自衛隊の名がつけられたのです。ではその旧守山市の面影を探してみましょう。

旧守山市の名残がひっそり-守山生涯学習センター

 瀬戸街道を西に歩くと、高架をバスが走る「ガイドウェイバス」の路線がある県道にぶつかります。この県道は片側2車線で交通量も多いのですが、名鉄が地面を走っているために踏切があります。交差点を右折して北に歩くと、ガイドウェイバスの「守山駅」があります。そしてその駅のすぐ横に守山生涯学習センターがあるのですが、入口脇に何やらオブジェらしきものがあります。またデザイン都市お得意の彫刻かと思いきや、説明板に「名守合併記念碑」とあります。

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▲守山市駅という時代もあった守山自衛隊前駅。
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▲名鉄電車が横切ります。高架はガイドウェイバスのもの。
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▲守山生涯学習センターの入口脇にあるオブジェ。

 そのオブジェは、1963(S38)年に名古屋市と旧守山市が合併したことを記念に作られたものだったのです。オブジェは2つの輪が絡み合うようなデザインで、二つの市の融合を示したものでしょう。名古屋市はたくさんの市町村との合併を経て現在の形になっているのですが、市と合併したのはこの旧守山市が唯一です。これまで名古屋市をあちこち歩いてきましたが、合併を記念する石碑などを見たことはありませんでした。名古屋市にとっても、他の市との合併は大きな意味があったのでしょう。

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▲これが名守合併記念碑。

旧守山市の名残がしっかり-守山図書館

 再び瀬戸街道に戻って西へ歩きますと、ペンキが塗られて見た目は綺麗なのですが、作りがちょっと古い感じの3階建ての建物が見えます。守山図書館です。図書館にしては事務的な建物だなぁと眺めていると、入口に大きな石碑があることに気づきました。それは先ほどのオブジェと違い、目立つように設置されています。石碑には「守山市役所跡」とあります。旧守山市役所は合併の後も守山区役所がここに置かれたのですが、1971(S46)年に現在の区役所の場所へと移転しています。

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▲ペンキの色だけは新しい守山図書館。
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▲かつてここに守山市役所があったことを示す石碑。

 ところで、現在は滋賀県に守山市という市が存在しています。基本的には市の名前と言うのは全く同じ名前をつけることができません。滋賀県の守山市の市制施行はいつなのかと調べてみましたところ、1970(S45)年とのこと。愛知県守山市という名が消滅した7年も後のことですので、重なっていた時期はありませんでした。ちなみに滋賀県守山市の「守山」は、一説には比叡山を守る東門院があったことから「守る山」に由来しているとのこと。では名古屋の「守山」の由来は...。それは後ほど身を持って体験します。

守山自衛隊前2010

守山自衛隊前駅の前にあったスーパー「ダイトミ」は倒産し、現在はその跡地でMikawaya(三河屋)が営業しています。


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