- 名古屋のFM局のアンテナはどうなる
- かつてもうひとつ名古屋にはFM局があった
- 電波が飛びすぎて…電波が飛んだのに…
前回「名古屋のもうひとつのテレビ塔はどうなるの?」では、中京テレビの放送センター「東山タワー」を取り上げました。
中京テレビとテレビ愛知がアナログテレビ放送の電波を発射していた「東山タワー」。アナログテレビの電波を発射するという役目を終えたものの、現在もそこから、NHK名古屋FM放送、FM AICHI、ZIP-FMが電波を発射しています。
しかし、中京テレビが本社の移転を発表。東山タワーの存続がどうなるのか…というところで思い出したのです。そう、名古屋には、もっと電波の飛ぶ、別の場所から電波を出していたFM局があったのです。あそこから電波を出せばいいのではないでしょうか!ところが、そこには…。
地上デジタル放送の電波が最初に発射されたのは…
名古屋市内から北東へ。地上デジタル放送の電波が発射されている、瀬戸デジタルタワーを越えて、さらに北東へ。瀬戸市と岐阜県土岐市の境にある三国山へと向かいます。
標高701メートルの三国山。一時期は2つのFM局が電波を発射し、地上デジタル放送の実験電波も発射されたところです。しかし今は、放送に関する電波は一切発射されていません。なぜ、発射されていないのか、ひとつずつ見ていきましょう。
三国山から、放送にまつわる電波が最初に発射されることになったのは、1999(H11)年4月1日のことでした。「通信・放送機構(TAO)東海地上デジタル放送研究開発支援センター」による実験施設が置かれることになったのです。現在も、その送信タワーは残されています。
この施設「東海地上デジタル放送研究開発用共同利用施設」の概要を見てみましょう。名古屋市西区城西の名古屋送出センターから、STLによってこの三国山送信所へとデジタル実験の放送内容が送られ、ここから1kwにてデジタル放送実験の電波が発射されました。この三国山が本局という扱いでした。
三国山送信所からの電波は、額田町(現・岡崎市)の「本宮山中継局(テレビ愛知豊橋中継局併設・300w)」岐阜市の「上加納山中継局(岐阜放送本局併設・100w)」津市の「長谷山中継局(三重テレビ本局併設・100w)」、移動型中継局(10w)へと送られ、広く東海3県に渡る、地デジ電波の伝播実験が行われたのです。
同時に、名古屋送出センターと光ケーブルで「東山中継局(東山タワー・100w)を結び、別系統で同じ内容を送出することで、同一チャンネル、同一内容での電波発射技術(SFN)の試験も行われました。東山中継局からの電波を受けての、1wのギャップフィラー装置も運用されました。
この実験は4年半に渡って行われ、実際に地上デジタル放送が始まった2003(H15)年12月に利用終了。2004(H16)年3月末に閉所されます。しかし、タワーは取り壊されること無く、翌年、再利用されるのです。
瀬戸から東山そして瀬戸
東海3県の地上デジタル放送は、三国山を本局として実験が行われたのに、実際には、瀬戸市内の平地に建てられた「瀬戸デジタルタワー」からの電波発射となったのはなぜでしょうか。当初の計画は、実験と同様、この三国山から名古屋の地上デジタル放送電波が発射されるというものでした。
それが「土岐地区テレビ塔建設構想」です。「土岐地区」という名がついていますが、ここは愛知と岐阜の県境ですから、もしこれが実現していたら、愛知県と岐阜県のテレビ局が同じところから電波を発射することになっていた可能性があります。
ところが計画は白紙となります。各家庭がアナログと同じアンテナで受信できるようにと「東山デジタルタワー」が計画されるのです。結局それも様々な反対運動で実現不可能となり、行き場を失います。しかし、地上デジタル放送は2003(H15)年12月に東京・名古屋・大阪でスタートすることは既に決まっていたため、場所の選定には時間をかけられず、唯一受け入れを表明していた瀬戸市に落ち着いた…というわけです。
つまり。通信・放送機構による、三国山からと東山からの地上デジタル放送電波の実験のうち、その場所からの飛び方を検証した内容については、全く役に立つことなく、実際には全然別の場所からの電波発射となり、特にテレビ愛知については、後手後手の対策となったのです。
なぜ、三国山へのテレビ塔建設が白紙になったのでしょうか。諸説ありますが、ここからの電波が飛びすぎ、関西の地デジへの影響が懸念されたとの説が有力です。
期間限定のFM局が電波を発射
その、通信・放送機構による地デジ実験アンテナ塔を再利用したFM局があります。2005(H17)年2月25日から9月25日まで、77.3MHz(200w)で電波を発射した「2005年日本国際博覧会・愛・地球博」FMラジオイベント放送局「FM LOVEARTH(エフエムラヴァース)」です。
FM LOVEARTHは、CBC(中部日本放送)とZIP-FMによる共同運営となっていて、楽曲は全てハードディスク送出、環境をテーマにした万博であったことを反映して、省力化が徹底されていました。
この地方での初のイベントFM局は、1989(H元)年の地方博・世界デザイン博覧会による「FM-DEPO」でしたが、名古屋市内から発射されたFM-DEPOの出力が300wであったのに比べ、FM LOVEARTHは国を挙げての万博にもかかわらず200w。これより大きな出力を出すと、既存局への混信が想定されたといわれています。このことからも、三国山の電波環境がいかに良すぎるかということがわかります。
ここまで、地デジ実験とイベントFMの放送電波を見てきました。これらは、どちらも一時的なものです。しかしかつてこの三国山からは、一時的なものになるはずではなかったFMラジオ局の電波が発射されていました。いよいよ本題です。
かつてあったのは…RADIO-i(レディオ・アイ)
地デジの実験が始まった翌年、2000(H12)年4月1日。この三国山に本局送信所を置いて放送を開始したのが、RADIO-i(レディオ・アイ)こと愛知国際放送です。
RADIO-iは、阪神・淡路大震災を機に、新たに設けられた「外国語FM局」という制度に基づいて開設されたFMラジオ局で、免許エリアは「名古屋市・瀬戸市・豊田市・岡崎市・常滑市・豊橋市・浜松市」の7都市でした。そのため、このエリア内に本局を置かねばならず、三国山といっても岐阜県側にあった既存の送信鉄塔群ではなく、愛知県側に少し入ったところに、ポツンと自社鉄塔を構え、そこにアンテナを設置したのです。
免許エリアは7都市といっても、実際にはピンポイントでカバーするわけではなく、この三国山からの電波で、のちに国際空港が設置されることとなる計画のあった常滑市をしっかりカバーする必要がありました。そのため、東山タワーに本局を設置していた他のFM局が出力10kwであったのに対し、RADIO-iは半分の5kwとされたものの、特定方向への実際の電波の強さを示す実効輻射電力(ERP)は51kwで、これはNHK-FM、FM AICHI、ZIP-FMの39kwに比べても強いことがわかります。
特に、瀬戸から見て常滑方向の電波が強く出されていたため、その延長線上の三重県・奈良県、そしてさらには和歌山県や高知県でも聞くことができたといわれ、RADIO-i自身も「本州で最大面積のエリアをカバーするFM局」と自称していました。
名古屋財界の総力を結集
災害時には外国人の情報源となるため、また、普段からも国際都市・名古屋に住む外国人のためという大義名分から、このRADIO-iへは、名古屋財界の総力を結集といっても過言ではないほどのメンバーが出資を行いました。
興和を筆頭に、ジャパンタイムズ、トヨタ自動車、敷島製パン、中日新聞社、東海銀行、名古屋鉄道、中部電力、シーキューブ、エフエム愛知、電通など計26社です。
理想では食べられなかった
放送内容も「ON AIR RESORT」をキーワードに、心地のよさを追求し、作り手が納得のいったものを流すというものでした。入るCMの数も少なく、充実した音楽ラインナップと、まさに理想のFMラジオを具現化したような、リゾート気分あふれるFMステーションでした。
しかしです。CMが少ないということは、収益も少ないということでした。実際には少ないどころか、2000(H12)年の開局から一度も黒字を計上することはなく、毎年のように億単位の赤字がつみあがっていきました。
2008(H20)年、このRADIO-iの先行きを決定付ける出来事がおこります。それは、株主のうち興和を除いた全社が手を引くことを決めたのです。興和以外の出資者は、それらを全て興和に譲渡。RADIO-iは興和の100%完全子会社になるのです。そうです。名古屋財界が逃げ…いや、興和に託して去っていったのです。
興和といいますと、医薬品を思い浮かべますが、放送機器の製造も行っていまして、RADIO-iをそのショールームとして、RADIO-iに放送機器の販売事業も請け負わせます。
あれから4年。現在、興和のサイトからは放送機器の紹介ページが削除されているところをみると、興和はこの頃から、放送機器部門の縮小を考えていたのではないでしょうか。放送機器自体から手を引くとなれば、毎年億単位の赤字を出す放送局を抱えている意味が全くなくなります。
RADIO-iは2010(H22)年1月。大胆な番組改編を行います。4月の10周年を控え、開局からずっと使用してきたジングルやニュース・交通情報のインフォメーションBGMを一新。番組もガラっと大きく変わりました。思えば、これが最後のリストラ策だったと。しかし、それでもスポンサーは集まらなかったようです。
日本初の閉局
10周年を迎えてから2ヶ月がたった6月15日。RADIO-iが放送を終了するというニュースが報道されます。2010年3月期の純損失は2億1000万、累積赤字は28億8000万円にも達するという衝撃の数字でした。
CBC(中部日本放送)が日本で初めての民間放送として開局して以来、我が国では放送を終了した民間放送局というのは、合併や事業譲渡を除いて前例がありません。RADIO-iの閉局は、日本の放送史上初のこととなりました。
国の免許事業である「放送」。その免許を国に返上して放送を終了する。市町村単位の小さなFM局での前例はありますが、これだけの大規模局、しかも、本州で最大のエリア面積を誇るFM局であったにもかかわらずの閉局。この衝撃は相当なものでした。
興和が100%子会社とした時点で決まっていたのか、興和が放送機器事業を縮小すると決めたから決まったのか、それとも、最後のリストラ策をもってしても効果が無かったからあきらめたのか、どの時点でこの「閉局」が内々に決められていたのかはわかりません。
RADIO-iの放送免許だけを引き継ぎたいという会社の名乗りは、複数のジャンルの会社から挙がったようですが、それは実現することなく、2010(H22)年9月30日。RADIO-iはその10年半の歴史に幕を下ろしたのです。
しかしこれは、最初で最後の事例となりそうです。翌2011(H23)年6月に改正放送法が施行され、1つの放送局が4つまで電波を持つことが可能になり、既存の放送局に放送免許を譲渡して、会社を清算するということが可能になったのです。
実際に、RADIO-iと同じ「MEGA-NET」系列のFM COCOLO(関西インターメディア)は、この4月1日にFM802に放送免許を譲渡し、会社は清算する方向で話が進んでいます。
放送局がなくなる。この、日本で唯一の貴重な体験したのは名古屋っ子だけ、ということになりそうです。
RADIO-iアンテナは今
かつてその、RADIO-iが電波を出していたのがこの三国山です。昨今、埼玉のNACK5、東京のJ-WAVE、そして神奈川のFm yokohamaと、関東では次々とFMラジオ局の送信所移転が持ち上がっています。インターネットによるサイマル放送がスタートしたものの、肝心のラジオ放送が都市雑音や高層ビル建設によって、聞きにくくなっているのです。経営環境が厳しくなっているからこそ、より、広範囲に電波を飛ばそうとしているのです。
これは名古屋も他人事ではありません。さらにここへ来て、FMの電波が発射されている東山タワーの去就がどうなるのか…。
となれば、NHK名古屋FM放送もFM AICHIもZIP-FMも、かつてRADIO-iが電波を出していた三国山から電波を出せばいいじゃない!どうせ設備も使われずにほったらかしなのだろうから!ということで、RADIO-iの送信所を見に行きました…。
そこには…更地。
そう、かつてRADIO-iが電波を発射していた送信タワーは、跡形も無く撤去されていました。しかも、タワーそのものどころか、土台も、そして囲っていたフェンスも、何も残されていませんでした。
FMラジオが、放送局が無くなるってのは、こういうことなんだと。
今も残っている通信・放送機構の送信鉄塔と対照的です。そう、実験が終わったのでもなく、期間限定のものが終わったわけでもなく、倒産したのですから。何もありません。RADIO-iなんてFM局は、実は幻だったのではないか、都市伝説だったのではないか、本当にそんなFM局が名古屋にあったのだろうか…とさえ思えてしまいます。
ただ、唯一残っていたのが電柱でした。そこには「愛知国際放送引込1」の文字。そのNTTによる標章だけが、かつてRADIO-iというFM局があったということを示す唯一の存在でした。
その電柱には、無残にちぎられた電線が束ねられていました。
名古屋のFM3局が、もし、この三国山から電波を出すとなれば、新たなタワーの建設から着手しなければなりませんね。通信・放送機構のタワーは岐阜県側にあるので、愛知県のみをエリアとするFM局がアンテナを乗せることはできません。
RADIO-iとは何だったのか。ラジオの凋落が激しいだとか、リーマンショックの影響だとか、もっともらしいことが言われていますが、そもそも開局した2000(H12)年から一度も黒字を出していないわけです。しかも、放送局のカラーに沿わない番組やスポンサーは受け入れない方針であったともいいます。
そして何より、名古屋財界のバックアップがある日突然打ち切られ、引き取り手が名乗り出たのにフェードアウト。
ハード面で言えば「晩節を汚されるよりは無くしてしまえ」ソフト面で言えば「お金よりも理想を追い求めた結果の消滅」。そもそもが、一度も黒字を達成できていないのですから、それが10年間存在したということは、誰かがずっと身銭を切り続けたわけです。それが興和であり、名古屋財界だったのです。
理想を追い求めているだけではご飯は食べられない一方で、理想を唱えながら死んでいく美しさ。国の放送免許事業であるからこその成り立ちとその最期。RADIO-iに学ぶこと、思うことは、放送好きという範疇にとどまらず、人間がお金を稼いで生きていくとはいかなることなのかという思考にまで達します。
「名古屋が元気」「元気な名古屋」といわれた、2005(H17)年の愛・地球博を中心とした10年間、その名古屋の「元気」が見せてくれた幻のラジオ局、それがRADIO-iだったのではないでしょうか。採算度外視、作り手の追い求める理想だけが具現化され、お金に左右されない選曲、ダイエット食品も健康器具も売らず、保険の勧誘も無いラジオ。
ただそれが、ラジオとして正解だったのか、間違いだったのか。簡単には判断できるものではないでしょう。そもそも、外国語FM局をスポンサー収入による民営にしたこと自体が制度として正しかったのかどうか。
ただひとつ確実に言えることは、今後、日本中どこを探しても、RADIO-iのようなラジオには二度と出会えないということです。
追記
跡地には、東海ラジオとCBCラジオのFM補完中継局(ワイドFM)の送信所が建設されました。

コメント
RADIO-iなき今、国内5大都市の中でも名古屋はFMの選択肢が一番乏しい気がします。
名古屋で普通に聞ける局はJFL系列のZIP-FM以外はFM三重を含めJFN系列で実質二者択一。しかもFMAに至ってはZIPの猿真似みたいな放送で、選択肢なんて無いも同然という印象です。これなら局カラーの棲み分けがされてる札幌二局ほうがマシかもしれませんが。
あと名古屋のFM(特にZIP-FM)で気になるのが、DJもさることながら放送の内容的に「若過ぎる」という点。そんなわけでAMは東海ラジオを聞きますが、FMは関西圏の局ばかりです。ちなみに私関東圏人です。
Radio-iのなき今、まともに聴けるFM局がなくなってしまいました。
洋楽ファンの小生にとってはRadio-iでかかっていた楽曲で購入したCDも数知れません。今では「音楽難民」ですね。。
今は仕方なくZIPを聴いていますが、選曲から番組から『ただ五月蝿いだけ』感がして暫くすると消してしまいます。
毎朝、目ざまし時計替わりにラジオをかけていますが、早朝から、空気を読まないような楽曲をガンガンかけるZIPにうんざりすることも正直あります。
ZIPも開局から数年はRedio-iとコンセプトが似通った部分があったのですが、やはり「大人の事情」には妥協してしまったのでしょう。
Redio-iと似通った部分がある、京都のα-Stationも送信波が強く、小生の住んでいる地域でも受信状態が良好で、よく聴いていましたが、自宅の地デジ化により受信ができなくなり、まともに聴けるFMがなくなってしまいました。
「アダルトコンテンポラリー」を標榜していた素晴らしいFM局がRedio-iでした。
ただ、Radio-iが閉局に追い込まれてしまったのは、「知名度のなさ」も一因だったと思います。
実際、人に薦めても「Radio-i?知らない」と言う人ばかりで、薦めて聴かせてみて「いいFMだね」という人がほとんどでした。
このあたりも悪い言い方ですが、「商売下手」だったのかな?と思います。
聴取率が悪ければ、当然スポンサーも付きませんからね。
しかし、記事にもあるように、このようなFM局は二度と広域FMでは開局しないと思います。
でも、求めているリスナーは多いと思いますが・・・。
アンテナが現存しているときに訪問しましたが、アンテナの根元まで行くことができませんでした…
どのように訪問されてのですか?
私は、展望台から望遠で撮影しました。
話は変わりますが…
当方では、RADIO-iが閉局して、FM長野が聞けるようになりました。ほかに、FMCOCOLO,α-STATIONが聞けます。
>katsuさま コメントありがとうございます。
自分も、RADIO-iが停波してすぐは、
「聞きたいFMが無い~」と思いましたが、
地元のコミュニティFMもありますし、
スマートフォンがあれば、無数の海外のFMも聞き放題なので、
特に不便は感じていないというのが正直なところです…。
それでも、RADIO-iが無くなった寂しさはずっとありますけどね。
>dokurobeさま コメントありがとうございます。
洋楽がお好きでしたら、
パソコンで海外のFMを聞くなんてのがいいと思いますよ。
音質もradikoなんかと全然違って、綺麗なところも多いですよ。
ZIP-FMは、ある意味RADIO-iと棲み分けをしてああなった、
という部分もあるのでしょうね。
もちろん、大人の事情もあっての上だとは思いますけれども…。
仰るとおり、RADIO-iの営業が営業として
機能していたのかどうかという
根本的なところにも疑問は残りますね。
>i-Fanさま コメントありがとうございます。
RADIO-iのアンテナは愛知県側にありますので、
展望台やキャンプ場へ上る道ではなく、
瀬戸市街地方面から国道363号を走り、上品野バス停を右折して、
宮下ファーム、三国高原集会所の横を抜けて、
道なりに進んでずっと行くと、
三国ウエスト農場のすぐ北側にありますよ。
> トッピー@管理人
情報ありがとうございます。
是非、電柱だけでも見に行こうと思います。
こんにちは。
Radio-iの記事、懐かしく拝読しました。
三重県津市の大門の商店街で、嘗てRadio-iがBGMとして使われていたことを思い出します。
>石﨑亮史朗さま コメントありがとうございます
そういえば、RADIO-iを店内でかけていたというお店とかも、
かつては結構ありましたよね。もうすっかり、思い出になってしまいましたね。
Toppy様、御無沙汰しています。
今、このコメントを「Windows XP Mode」上で綴っております。
さて、確か10月31日付だったと思いますが、中日と朝日の朝刊を見たところ、両紙ともベタ扱いではありましたが、こんな記事が載っていました。曰く、
「東京のInter FMが、名古屋地区における放送免許を総務省に申請。2014年春の開局を目指す。周波数は、かつてのRadio-iと同じものを使いたい意向」
そこで、Inter FMのホームページ「Press Release」をのぞいてみましたが、この件に関しては公表されておりませんでした。もっともこの記事が本当だとすれば、MEGA-NET(のキー局)として、名古屋にいつまでもネット局が存在しないのではネットワークとしての体を成さないとの判断が働いたものと、素人感覚では捉えてもよいのではないでしょうか。
しかし昨今の不況のおり、MEGA-NET各社の経営は他系列の民放と比べて殊の外厳しい故、FM CO・CO・LOは事実上FM802の第2放送となり、そしてRadio-iも廃業となったことを思えば、まずInter FMが今回の件をどう処理してゆくのかが、地元人間としての見どころだと思います。
P.S
それにしても、Inter FMの「Press Release」を見て、失礼ながら思わず「へーっ」と思ってしまった人事異動があります。それは9月14日付の「重要な使用人の人事に関するお知らせ」と題されたもので、そこには、
「執行役員 放送事業担当 ピーター・バラカン」
と記されていたからです。
もしかしたらNHK-FMで「ウィークエンド・サンシャイン」を担当している、あのピーター・バラカン?と、我ながら妙な感慨にふけってしまいました。
>アイ・フロッグさま コメントありがとうございます
10月30日付で発表がありましたね。
その時に、こちらのブログ記事で書いております。
「InterFMが名古屋に新FM局を開設へ」
そうですね。テレビ東京の子会社では無くなってすぐに、
ピーター・バラカンさんが役員に入られましたね。
こんにちわ,昨日,三国山に行ってきて,何も無くなっている元送信所跡地,見てきました.なんともやるせない気持ちになってしまいますね.せめて記念碑なりあれば手も合わせられるんですが…
東海地方のFM局は本当に選択肢が狭い状態ですね.だからこそ,コミュニティ局が頑張っていられるのかなとも思います.特に豊橋とか浜松とか名古屋からちょっと距離を置くと,いい勝負している感じがします.
実家の奈良県では802やαStationの聴取率が高く,コミュニティ局も全然ぱっとしない状態が続いていますし,県域局は開局の噂すらありません.すでに,大手局が細かい所まで手を伸ばしている(例えば限られた地域のパチンコ屋のCMまで取ってしまっている)ので,コミュニティ局が経営的に成功させられる余地はないのだろうと思われます.
>白い変入さま コメントありがとうございます
三国山まで行かれたのですね~。
InterFMが79.5MHzで「名古屋局」を開局申請するという
報道が出ていますので、ひょっとすると、この地方のラジオ環境は、
また選択肢が増えるかもしれません。
私が勝手に思うところですが、
民放FMとコミュニティFMは、同じラジオという括りで囲ってはいけない、
そんな気がしますね。むしろ、そうでないと、
コミュニティFMは生き残れないのではないでしょうか。
ラジオに興味が無い人にいかに振り向いてもらうか。
難しいですけれども、そこを追求するしかないですよね。道は。
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01ryutsu09_02000070.html
インターFMが正式に名古屋地区で外国語FMの
申請しました
電波塔解体しなければ直ぐ放送できたのに・・・
さて、送信所はどこになるでしょうか。
>BCLマニア49歳さま コメントありがとうございます
情報早いですね!私はツイッターで知りました。
送信所、どこでしょうかねえ。コスト面を考えるとやっぱり、
既存局と同じ東山タワーになってしまうかな…という気もしますが、果たしてどうでしょう?
ご無沙汰しています、アイ・フロッグです。
先だって、8月6日付の「BCLマニア49歳」様の投稿を拝見したところ、いよいよInterFMが名古屋進出を本格化させるとのこと。
そこで送信所の件についてですが、8月3日付の中日新聞紙面によると、中京テレビは社屋を名駅に全面移転する際も、八事のタワーは撤去せず、災害時のバックアップなどのため残すと表明しています。
さらに記事によると、ZIP-FMなども引き続き八事を使用するとしていますので、おそらく開局時のコストなどを考えると、InterFMもそこからの送信となるでしょう。
となると、CBCラジオと東海ラジオがそれぞれ計画中といわれるFMサイマル放送の送信所としても最有力ということになります (これも中日新聞の紙面による)。
まあ、InterFMにせよCBCや東海ラジオにせよ、まずは放送区域をどうするかが問題となります。ここでの違いといえば、
◎InterFMの場合、かつてのRadio-iと同じく浜松にも中継局を置くことになるのか。
◎またCBCや東海ラジオの場合、FMの免許はFM AICHIやZIP-FMと同じく愛知県域限定となるのか。
他にも送信出力など種々ありますが、ややこしくなるのでこの辺にしておきます。
話は変わりますが、InterFM本社のある東京では、TOKYO FMが東京タワーの地上高333m (海抜高351m) に送信設備を移設し、出力こそ10KWで変えないもののERPを120KWに増強、2月11日 (祝) より運用中とのこと。
(でんぱでーたどっと混む・掲示板 http://www.denpa-data.com/denpabbs_v2/ よりの情報)
(関連情報 http://www.tfm.co.jp/specialweek/201302/tower/index.html)
現在、渋谷のNHKとJ-WAVEはスカイツリーから出力7kw・ERPは57KWで運用中ですが、InterFM自身は東京タワーから10KWで送信していながら、ERPも10数KWほどしかないと確か「赤本」で見た記憶があります。ですから名古屋の一リスナーとしてInterFMには、個人として名古屋への進出に反対というわけではないが、まずは東京で、その面の技術的見直しを行ってからでもよいのではと思います。
>アイ・フロッグさま コメントありがとうございます
仰るとおり、中京テレビは、先月の22日に、東山タワーを残すという発表をしましたね。
新聞に掲載されていたのはその翌日だったと思います。
こうなると、InterFM名古屋の送信所もここに乗っかるという可能性は高くなる感じがしますが、
割当が5kwなので、そこがひっかかるところですね。
こちらに書きましたが、
http://blog.toppy.net/?eid=1061657
「V-Lowマルチメディア放送及び放送ネットワークの強靭化に係る
周波数の割当て・制度整備に関する基本的方針(案)」が総務省から発表され、
現在意見を募集していますから、これが決まらないことには、AMのFMサイマル、
InterFMの東京局の周波数変更は動かないでしょうね。
この案によりますと、AMのFMサイマルは、
災害の影響が大きいことが認められる場合のみ、90MHz以上という条件つきで、
基幹局並の出力が出せるようになりそうですが、
そうでない場合は、愛知県域どころか、富山の北日本放送のような
50w程度の出力の中継局としてしか認められないものになりそうです。
東京のInterFMは、現在の周波数76.1MHzですと、他局への影響があるため、
これ以上のアンテナの地上高アップ、実行輻射電力アップは出来ない状況にあります。
それもあり、85MHz以上への周波数変更を希望していますので、この案が決まり、
周波数変更が実施されれば、ERPのアップはすぐにやると思いますよ。
いよいよインターウエーブなごやが試験放送を開始しましたね。
4/1本放送開始ということで、とても楽しみにしています。
Radio-iの二の舞にならないよう願うばかりです。
>115.39.11.110さま
まあ、RADIO-iとは周波数が一緒なだけで、
完全に別物と考えた方がいいでしょうね~。