稼動していたのはたったの1年半-銀山遊歩道

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TOPPY
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町並みを離れ銀山地区を歩きます。いよいよここからは気合を入れていかないと…。

AIKATA
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ここまで歩いた距離が800メートル。この先歩かなきゃいけないのが2.3キロ…。トホホ。

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銀山遊歩道(島根・大田市)

銀山橋-龍源寺間歩間
約2キロ

いよいよ銀山地区を歩きます。銀山公園前バス停から、通り抜け坑道となっている龍源寺間歩までは約2.3キロ。ここからは所々に坑道が点在していて、銀山であったことを感じられるエリアとなります。しかし銀山ということはもちろん山。坂道を上って行かなくてはなりません。しかも、内部を常時見学できる間歩は龍源寺間歩しかないので、とにかく2.3キロ歩かなくてはいけません。頑張ります。

ルートは2つあり、古い町並みから続く舗装された「銀山街道」と、緑の中を抜ける「銀山遊歩道」とがあります。少しでも涼しい方を!ということで銀山遊歩道を歩いていきます。これは正解だったと思います。水と緑に囲まれている遊歩道は少しだけひんやり涼しく感じます。でもこの先、もっとひんやりするんですけどね。

15分ほど歩くと、「精錬所跡」という柱が登場しました。遊歩道から逸れて少し歩くと、そこには石が積まれたまるで要塞のような、それでいて生気の全く感じられない空間が登場しました。

ここは「清水谷精錬所跡」。さぞかし大規模な銀の精錬が行われていたかと思いきや、藤田組という会社によって1894(M27)年に開発されたものの、採算が取れずに1896(M29)年10月、わずか1年半で操業を停止してしまっているのです。そんな藤田組はその後どうなったのか…現在も「DOWAホールディングス」として存続しています。

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精錬所跡ってどんなんだろうね?と、近くにいたご婦人たちと一緒に坂道を上ってきたのですが、ご婦人方はかなりガッカリしておられました。まあ確かに、これは遺構好きでないと魅力を感じないかも。でも、少し疲れた表情を見せてしまった私たちを見て、「まだ若いんだから」という言葉を残してご婦人方は先へ。おばさんたち、元気だなぁ。

遊歩道をかなり上ってきているのですが、森を出ると道路が舗装されていて、民家もちらほらと見受けられ、生活感があります。なかにはどう見ても廃屋というものもありましたが。すると清水寺があります。このお寺は「せいすいじ」と読みます。清水寺を越えると道は再び森の中に入り、左手に「新切間歩」が現れます。

この間歩は最も大森の町に近く、低い標高にあったもので、当初は水抜き坑として掘られたものといわれています。現在も常時出水していて、中に入ることはできません。石見銀山にはこういった間歩が500以上確認されています。

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新切間歩の横にはトイレのある公園が整備されています。ここでちょっと休憩です。遊歩道から歩き始めてここまで約30分。先はまだまだ。お茶を飲んだら再び歩き出します。すると今度は「史跡 吉岡出雲墓」という石碑が登場。吉岡出雲とは石見銀山の初代奉行です。

その看板には小さな文字で「参道は急な登りです。階段は二八三段あります」と書いてあり、さらに、分かれ道もあって初めての見学者には到達することすら困難という情報も…。遠慮しておきます…吉岡さん、静かに安らかにお眠りください。

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銀山遊歩道は銀山街道と合流し、いよいよ目的の龍源寺間歩近くまでやってきました。周囲にはいくつもの間歩が見られ、カレー屋さんが登場。え?カレー屋さんなんてあったの!?しかもこのお店、この場所で本格的タイカレーを食べさせてくれるという不思議なお店。なぜパンフレットで気づかなかったのだろう?と思って見直すと、「Toraya」という店名が書かれているのみ。そりゃ、カレー屋さんだとは気づかないよ。

羅漢寺から歩き始めて50分、龍源寺間歩に到着です。2.3キロの道のりはやっぱり厳しかった。でもこの後、そんな疲れも吹き飛ぶような体験をすることになります。それはただの体感なのか、それとも…。

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