銀山があったことで、こんな山奥にこんな街が形成された、そういう背景を感じながら町並みを散策すれば…。
つまり、ただの古い町並みというだけでは、観光地としてまだということね。
大森町並み交流センター(旧大森區裁判所)(島根・大田市)
TEL:(0854)89-0330
休み:月曜、祝日の翌日
(月曜が祝日の場合は営業)
無料
9:00~16:30
町並み地区と銀山地区からなる世界遺産「石見銀山」。駐車場のある世界遺産センターからは、路線バスが平日は30分に1本、土日祝は20分に1本運行されており、ふたつの町並みの境にある大森バス停を経由して、銀山のふもとの大森代官所跡まで運行されています。
バスが観光客の需要を満たしておらず、私たちもやはりバスの積み残しに遭い、センターでさらに30分待って次のバスに乗車。ふもとの大森代官所跡へと向かいます。そこから山頂近くの龍源寺間歩へのバスに乗り換えようと思ったのですが、列に並ぼうとすると、こちらでも30分後のバスにすら乗車できないことが判明。
もうこうなったら、帰りのバスのことは考えずに、ここから約3.1キロを歩いて上ることにします。このように、観光シーズンにバスは当てになりません。
ふもとから800メートルに渡って続く「町並み地区」は、石見銀山が繁栄していた頃に外郭町として形成されたもので、武家や商家、寺社などが混在しているのですが、街道の宿場町とは違い、本陣といった宿泊施設や常夜灯などが無いため旅情はありません。かつては栄えた外郭町…ですが、今もそこには生活があり、商売があります。古い町並みと、世界遺産目当ての観光客に何とかお金を落としてもらおうとする雰囲気が、これまた混在しています。
町並み地区のふもとにある「石見銀山資料館」は、世界遺産に登録されるよりもずっと前、1976(S51)年に地元の有志によって開館したもので、1902(M35)年に建てられた邇摩郡役所の建物をそのまま利用しています。江戸時代はここに大森代官所が建っていて、銀山を支配していました。ここでまずあの頃の石見銀山を体感しておきましょう。
町並み地区を歩き始めると、やはり銀山跡ですから銀製品を売るお店があったり、物産品センターがあったりするなかで、いきなり重要文化財の熊谷家住宅が登場したりします。熊谷家はこの町で最も有力な商家でした。そんな商家あったかと思うと、今度は大正時代の理髪店を復元した「理容館アラタ」が。
こちらは自由に見学でき、昭和初期に思いを馳せることが出来ます。買い物をして、江戸時代にタイムスリップしたかと思えば、今度は昭和。ああ、頭のスイッチの切り替えが忙しい。
さらに上っていきますと、釜めし屋さんを発見。そして焼きたてのパン屋さんを越えると、左手に石のお店やおしゃれなカフェが登場します。その向かい側にあるのが「町並み交流センター」です。このセンターは、1890(M23)年に開所された大森區裁判所を利用したもので、擬洋風の建物のなかで町並みの歴史や暮らしを学ぶことができ、さらには裁判の法廷が再現されています。
裁判所として昭和20年代まで機能していたとのこと。こんな山奥に裁判所だなんて…。銀山があった当時、ここがいかに経済や政治の力の大きい場所であったかがわかります。銀の商売に絡む揉めごともきっと多かったのでしょうね。
その先には、武家屋敷の旧河島家住宅や、雑貨店、服屋さんなど、昔の建物を生かしたショップがたくさんあり、銀行や自動販売機も溶け込むようなデザインになっています。
それにしても、街道宿場町を観光地化したところによくある、お団子や煎餅を売るような店は皆無で、飲食店も数える程度。観光客が多い割には観光地のような活気も無く、商売っ気はあまり感じられませんでした。その素朴さも売りなのでしょうけど、世界遺産を観光地認定の基準と思っている人から見るとこれは、ショボイ観光地になりかねませんね。
この町並みだけを見て、「世界遺産石見銀山を見た」ということにするツアーもあるのだとか。そんなことでは、名古屋っ子から見たら「犬山のほうが面白いね」になっちゃいますよ…。あくまでも銀山あってこその町並みなのですから…。
まだ、世界遺産になったばかりですから、「かつて栄えた町並み」であり、なおかつ「これから栄える町並み」になっていく…つもりかな?
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