今回は名古屋を離れ、山梨県にあるカチカチ山へと行ってきました。「かちかちやま」といえば、薪を背負ったタヌキにウサギが火をつけるシーンが印象的な昔話ですが、その舞台となったと言われているのがカチカチ山こと天上山です。
天上山は富士五湖のひとつである河口湖のほとりにあり、「かちかちやま」のお話では最後、泥の船に乗せられたタヌキは沈んで溺死してしまうのですが、その現場がこの河口湖であったと言われています。
カチカチ山には、その昔話をモチーフとした可愛らしいキャラクターが置かれているのですが、その可愛らしさとは裏腹に、「かちかちやま」の物語自体は非道で残酷。もし実写で映画化されたら、目をそむけたくなるシーンがあるだけではなく、涙なくしては見られないことでしょう。幼い頃聞いたはずなのに、忘れかけていた「かちかちやま」のお話の舞台を散策してみます。
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カチカチ山にはロープウェイが架けられており、河口湖畔駅と富士見台駅の間、高低差219メートル、全長460メートルをわずか3分で結んでいます。湖のほとりにある河口湖畔駅の前には、木の船に乗っているウサギと、泥の船に乗せられ、その船が融けはじめてあたふたしている様子のキャラクターが置かれています。
カチカチ山にはたくさんこういったキャラクターが置かれているのですが、物語の進む順番に置かれているのではなく、その舞台となった場所にそれぞれ設置してあるようで、ここでは湖畔でのラストシーンが表現されています。では、駅へと足を進めましょう。
河口湖畔駅には、昔話「かちかちやま」のストーリーと、その「かちかちやま」を題材として小説を書いた太宰治についての説明があります。その説明版を見ながら簡単にストーリーを振り返ってみます。
1「つかまったタヌキ」
畑を荒らすタヌキをおじいさんは捕まえました。
2「おばあさんをころすタヌキ」
おじいさんは、おばあさんにたぬき汁を作るように頼んで畑へと戻ります。するとたぬきはおばあさんをだまして殺し、おばあさんを調理して「ばばあ汁」を作ります。
3「かなしむおじいさん、それをなぐさめるウサギ」
タヌキはおばあさんに化けて、おじいさんに「ばばあ汁」を食べさせます。そしてタヌキは正体を明かし、「じじいがばばあを食った!」と言いながら逃げていきます。その話をおじいさんから聞いた、おじいさんの親友であるウサギは、タヌキをこらしめることにします。
4「ウサギ、タヌキのせなかにひをつける」
ウサギはタヌキに、食べ物をやるから代わりに薪を集てくれとお願いします。そして薪を背負ったタヌキに、カチカチと火をつけます。
5「ウサギ、タヌキのやけどのあとにからしをぬる」
次の日、背中を火傷したタヌキのところに、ウサギは「火傷の薬を持ってきた」と言ってやってきて、火傷した背中にカラシを塗りこみます。
6「どろぶねにのり、しずむタヌキ」
さらに次の日、ウサギはタヌキを船遊びに誘います。ウサギが用意した泥の船に乗せられたタヌキは、最後に沈んで溺れ死に、ウサギはおばあさんの敵討ちに成功します。
このお話が、可愛らしいイラストとともに紹介されているのですが、冷静に考えると、いや、冷静に考えなくとも残酷なお話であることがわかります。太宰治については、ロープウェイを登ったところにも詳細な説明がありますので、そちらをご紹介します。
ロープウェイは、2つのゴンドラが5分から10分間隔で運行されています。ゴンドラは2つあり、それぞれ船のオールを持ったタヌキとウサギが乗っかっています。これは二人が、これから河口湖へと船遊びをするために山を降りている様子を現しているのでしょう。これから殺されるというのに、タヌキは凛々しい表情をしています。
一方のウサギは平静を装いながらも信念を持った顔つきに見える…のは、私の感受性が強すぎるのでしょうか。スピードは意外と速く、スーッと登っていきます。
わずか3分で富士見台駅に到着です。そこは山の頂上ではなく、山頂の少し手前にあるカチカチ山展望台です。富士見台という駅の名の通り、天気がよければ富士山を一望できます。展望台公園の入口にはタヌキとウサギが仲良さげに案内看板を見ているイラストがあります。
案内看板の中にも彼らは描かれていて、山頂へ向かう道の途中には、「ちょっとキツイ…」とバテているタヌキの絵もあってカワイらしいのですが、「かちかちやま」のストーリーを考えていると、そのカワイらしさが逆に残酷さを際立たせます。こんなにポップでキュートなタヌキがおばあさんの皮を剥いで鍋にして、さらにそれをおじいさんに食わせただなんて…と。
この場所で、薪を背負ったタヌキに「カチカチ」とウサギは火をつけたそうです。その「カチカチ」音を聞いたタヌキが「カチカチと音がしないかい?」とウサギに尋ね、「あれはカチカチ山のカチカチ鳥が鳴いているんだよ」と答えた瞬間、薪に火がついたタヌキは「アチーアチー」とここの崖を下ったのだそうです。案内看板とともに、昔話「かちかちやま」と太宰治の関係についての説明もされています。
太宰治は「お伽草紙」という作品の中で「カチカチ山」という小説を書いています。昔話「かちかちやま」をパロディにして小説化したもので、タヌキを37歳の中年男性に、ウサギを16歳の処女の女性になぞらえたものです。
太宰によると、ウサギにどれだけ懲らしめてもついて行くタヌキは、酷いことをされても惚れた若い女についていくの中年男性に共通する性格で、ウサギの残酷性は年頃の処女の少女に共通する性格なのだそうです。
ちなみに、さすがの太宰も「ばばあ汁」の部分を現代風パロディにはできなかったようで、その部分について小説本編では「えい、とばかりにやっつけた」としていて重要視はしていません。
ウサギとタヌキの昔話からストーカー話、しかも単純なものではなく、清純であるが故に言い寄ってくる男に対して平気でむごい仕打ちをしてしまう処女の残酷性をリアルに表現するあたりが、やはり常人ではありません。
(ちなみに「処女」という単語はここの看板には書かれていませんので、お子様連れでもご安心ください。)
富士見台には、ウサギがカチカチと石を打ち、タヌキの背負っている薪に今まさに火がついた瞬間を表現したキャラクターや、火をつけられて火傷した背中にウサギにカラシをぬりたくられ、舌を出し悲鳴を上げているタヌキなどが置かれています。
さらに展望台には、どうやってタヌキを懲らしめてやろうかと思案する様子のウサギや、ウサギに何度もだまされてしょんぼりとしているタヌキの姿もあり、どれもカワイらしくできています。
すると近くに1人でいた外国人男性が、そのへの字眉毛でしょんぼりしたタヌキをどうやら気に入ったらしく、一緒に写真を撮って欲しいと私たちに頼んできました。この日は雲で富士山はよく見えなかったとはいえ、景色と一緒にではなく、このタヌキと一緒に写真を撮って欲しいと思ったということは、よほど気に入ったのでしょうね。
確かに見た目はカワイイですからね。でもこいつは、非道な奴なんですよ…と教えてあげたかったのですが、外国人のお兄さんはすぐに展望台の方へと登ってしまいました。
展望台は階段状になっていて、その下にはトイレがあるのですが、トイレも見逃せません。男性入口にはタヌキのシルエット姿、そして女性の入口にはウサギのシルエット姿があるだけではなく、建物内には、おじいさんに捕まり縛られて天井から吊り下げられているタヌキの姿が。ところがそのタヌキは慌てて困った様子ではなく、何かを考えている表情をしています。
この顔はまさに、俺をこんな目に合わせたおじいさんをどうやって酷い目に合わせてやろうかと思案している顔です。こんなにカワイイ風貌なのにコイツは今、おじいさん騙しておばあさんの人肉をおじいさんに食べさせるという、とんでもない謀略を考えているのです。
昔話「かちかちやま」には諸説あり、タヌキはおばあさんに化けたのではなく、おばあさんの皮を剥ぎ、肉をそぎ落として「ばばあ汁」を作ると、骨を台所の下に隠して、皮をかぶっておじいさんを騙し、「お前が食ったのは、ばばあの肉だ、台所の下を見てみろ、ばばあの骨があるぞ」とおじいさんを嘲るというものもあるとのこと。もしこのバージョンで実写映画化されたら、私は目を背けるでしょう。
でも最近では、この昔話「かちかちやま」を子どもに聞かせる話としてはどうかといって、タヌキがただおばあさんを殴るだけの話にしたり、最後にタヌキは溺死するのではなく、溺れはするものの助かるストーリーに改変している絵本などもあるそうです。
改変されたものは、太宰が小説を書いた時代に既にあったそうです。一体何を考えているのでしょうか。
おじいさんの最愛の人であり、長年連れ添ってきたおばあさんの人肉を食べさせられるというおじいさんの屈辱があるからこそ、おじいさんの親友であるウサギがどんなに残酷な敵討ちをしても許されるのであり、なおかつタヌキがした行為が非人道的であることから、ウサギの敵討ちにスーッと爽快なものを感じるのです。
本来の昔話「かちかちやま」を聞くことで、子どもは残酷さや非道な行為に対する嫌悪感を抱くことができるというものではないのでしょうか。そして、どんなに悪いタヌキでも、最後に溺死してしまうことで、ざまあみろという思いのなかにちょっと寂しさを覚えるのも、物語の重要な要素だと思うのです。
何でも事なかれ主義に流され、本来物語が教訓として教えているものを当たり障りの無いものに改変してしまう行為は、子どもが育むべき感受性を奪い取ってしまう行為といえるのではないでしょうか。
カワイらしいキャラクターと絵で子ども達にもわかりやすく説明しつつも、ちゃんと物語の本質を隠すことなく描ききったこのカチカチ山ロープウェイは素晴らしいと思います。
残酷な話にもかかわらず、キャラクターをカワイらしく作ったことによって、人は見た目がどんなにカワイくても、心の中は何を考えているかわからないという表現になっていて、さらに教訓が一つ加わっているように思います。説明看板の最後に、「それにしても昔話かちかちやま……ちょっと残酷な話ですよね。」と創英角ポップ体で書かれているところがとてもシュールです。
タヌキの性格が中年のストーカー男に共通しているかどうかは私にはわかりませんが、処女の少女は知らず知らずのうちに男に残酷なことをするという太宰治の見方にはなんとなく同意できます…。
(カチカチ山については、さらに足を伸ばして山頂にも行きましたので、昔話以外の部分については別の記事で取り上げます。)
コメント
こんにちは、山梨県の河口湖が「かちかち山」のお話の舞台だったんですね、近いから今度行ってみようかと思いました。
もう一つ
>何でも事なかれ主義に流され、本来物語が教訓として教えているものを当たり障りの無いものに改変してしまう行為は、子どもが育むべき感受性を奪い取ってしまう行為といえるのではないでしょうか
確かにこれは仰るとおりだと思います、以前問題になったちび黒サンボでも同様の事が行われ、本来の内容を書いた本は今では絶版状態ですから
話が逸れますがイソップ童話の『アリとキリギリス』のお話も、最後にアリがキリギリスに食べ物をおすそ分けすると言う終わり方になっているのは日本だけで、ヨーロッパでは原作通りに”キリギリスはアリに食べれる”所で終わっているのだそうです。
(2006/09/24 3:34 PM)
>noriさん こんにちは
難しい問題ですよね。今はそういった童話をちゃんと語れる大人が少なくなってしまったという面もあるかもしれませんね。話の主題をキチンと理解して子どもに諭すことができないと、子どもが間違った解釈をしてしまう危険性をおそれての内容改変という面もあるような気もしてきました。
(2006/10/01 2:15 PM)