生駒ケーブル宝山寺線
ケーブルカーといったらどんなものを思い浮かべますか?山の急斜面をケーブルに引っ張られながら登ったり降りたりするもので、観光のイメージが強い方が多いのではないでしょうか。
名古屋周辺では三重県伊勢市に三重交通鋼索線がありましたが、バスに転換し、1962(S37)年に廃止になっています。また、1928(S3)年には岐阜市の金華山に金華登山鉄道として計画されたことがありましたが実現しませんでした。金華山にはのちの1955(S30)年にぎふ金華山ロープウェーが開通しています。
というわけで、名古屋の人間にとってはケーブルカーは馴染みが薄く、遠方に旅行に行った際に乗る乗り物という印象が強いものです。私がこれまでに乗ったことのあるケーブルカーは富山県の立山黒部貫光による立山ケーブルカーで、まさに観光用でした。
しかし、そんなケーブルカーでありながら生活路線として使われており、しかも自動車が通れる踏切があり、さらには複線化されているものがあると聞き、ケーブルカーに馴染みの無い私としては「それは一体どんなものだろう?」と興味が湧き、さっそく奈良県生駒市に友人と行ってきました。
大阪府と奈良県の府県境にある標高642メートルの生駒山。その奈良県側に広がる生駒市。大阪や奈良のベッドタウンとなっているこの街の中心にある近鉄生駒駅にやってきました。けいはんな線、奈良線、生駒線のターミナル駅となっており、近鉄百貨店もあり駅前は賑やかで活気があります。
しかし場所はまさに生駒山の山裾。山のふもとのこんなギリギリのところにこれほど大きな街があるという風景は名古屋ではあまり見かけませんので、とても不思議な感じがします。強いて言えば岐阜市の金華山が似ていますが、金華山は標高も生駒山の半分程度ですし、それに決定的な違いがあります。それは斜面です。生駒山は山裾のギリギリどころか、山の斜面にまで住宅がびっしりと立ち並んでいるのです。
駅前のロータリーでそんな風景を眺めていると、とても甘い香りが漂ってきました。ベルギーワッフルでおなじみの「Manneken(マネケン)」です。マネケンは大阪の会社で、日本で最初にベルギーワッフルを販売し、2005(H17)年に開催された愛・地球博でベルギーパビリオンに出店していたくらい、ベルギーとの繋がりが深い会社です。
名古屋でも近鉄パッセで購入することができます。私たちはプレーンと宇治抹茶を購入。上品な甘さがたまりません。寄り道はこのあたりにして、ケーブルカーです。
近鉄生駒ケーブルこと近鉄生駒鋼索線は、この生駒駅から歩道橋で繋がっている鳥居前駅から運行されています。もともとこの路線は山の中腹にある宝山寺への参拝路線として開通したもので、この駅の近くに一の鳥居があったことから鳥居前駅と名づけられています。
さて、近鉄はケーブルカーのことを「ケーブル」と略していて、「ケーブルのりば」といった表記をあちこちに見かけました。ケーブルというとただの金属の綱みたいで、肝心のカーが無いのはどうなんだろう?「綱のりば」っておかしくないか?と思ったのですが、ケーブルカーをケーブルと略すというのは辞書にも載っている正しい表現なので、ここでも以降ケーブルと略します。
生駒山の山頂には生駒山上遊園地があることからやはり観光地色が強く、駅にも遊園地らしい装飾が施されています。しかしそれで驚いてはいけませんでした。ケーブルの車両を見てビックリ。「ブル号」「ミケ号」という、それぞれ犬と猫を模した車両になっているではありませんか。確かに遊園地に訪れる子どもたちは大喜びでしょう。
でも、このケーブルは生活路線でもあるわけですよね?こんなカワイイ車両に乗って、通勤通学というのはちょっとスゴイですね。
電飾がチカチカと派手に光るミケ号に乗り込みます。この日は日曜ということもあって、午後の昼下がりにもかかわらずお客さんの姿は結構ありました。さて、この生駒ケーブルについて簡単に歴史を振り返ってみます。生駒ケーブルの歴史は古く、開通は1918(T7)年8月で、なんと日本で初めてのケーブルなのです。当時は鳥居前駅から宝山寺駅までの900メートルの区間でした。
宝山寺は商売繁盛にご利益があるとして信仰が厚く、参拝者が絶えないことからケーブルの利用者は多く、なんと1926(S元)年12月に複線化。現在でも日本で唯一の複線ケーブルとなっています。その後1929(S4)年3月には更に宝山寺駅から山上駅までの1,100メートルの区間が開通し、生駒の駅から生駒の山頂までを結ぶ現在のケーブルの姿になったのです。
複線ということで、鳥居前駅にはふたつのホームがあります。とはいえ、現在は複線が稼動されることはあまり無く、通常は片方の線路をブル号とミケ号が行ったり来たりしていて、もう片方の線路には「ゆめいこま号」2両が留置車両として置かれています。
生駒ケーブルはつるべ式になっていて、ブルとミケが1本の鋼索に繋がれています。その鋼索の真ん中が山の中腹の宝山寺駅にあって、ブルが下がればミケが登る、ミケが下ればブルが登る、という格好になっています。ですから運転室は宝山寺駅にあって、そこで操作されています。ちょうど真ん中の地点はそれぞれがすれ違えるようになっているため、線路が4本もある格好になっています。
しかもそのすれ違う場所にはなんと踏切があり、自動車も通行することが可能です。宝山寺駅は中腹にあるといっても、そのあたりまで普通に住宅が建っているため、ケーブルで山を登るといった感じはしません。急斜面の街をぐんぐん登っていくという印象です。しかしやはりミケ号です。車両のなかでは「ねこふんじゃった」の音楽を流しながらカワイイ声で観光案内がなされます。しかもブル号とすれ違う際にはそれぞれ鳴き声を発するのです。
この生駒ケーブルは生活路線と書きましたが、その証拠に朝6時台から深夜23時台まで運行されています。こんなカワイイ曲を聞きながら、鳴き声を発するケーブルに乗って通勤通学だなんてとっても楽しそうだなぁ…と思ったら、そういった時間帯は音楽も鳴き声も無いのだそうです。な~んだ、と思ったのですが、さすがに毎日毎日聞かされたらちょっとかなわないかな。それに深夜に「ワンワン」「ニャーオ」と言われても怖いか…。
踏切はいくつかあって、なかには自動車が通行可能な大きな踏切もあります。しかしあくまでもケーブルの踏切であって電車の踏切ではありません。なので線路があるだけではなくケーブルが走っています。そのためロープにひっかかって転ばないようにという注意看板があります。そうです。踏切が開いているときでもケーブルは動いているわけですからね。宝山寺線には合計3つの踏切があり、うち1つは自動車の通行が可能になっています。
ケーブルは時速10.8キロで斜面を登っていきます。宝山寺駅までは約6分。ミケ号は次第に宝山駅へと近づいていきます。当たり前ですが、開業当初からこんな車両が走っていたわけではありません。
生駒ケーブルは生駒鋼索鉄道として開業し、のちに近鉄の前身である大阪電気軌道と合併、複線化をするも戦時中は観光用路線とみなされて運行の休止を余儀なくされただけではなく、複線の片方は撤去までされてしまいました。しかし戦後の1953(S28)年に再び複線が復活しています。
その間、開業からずっと走っていた車両が「いのり」「めぐみ」です。1918(T7)年から、現在のブル号とミケ号が導入されるなんと2000(H12)年までずっと現役で走っていたというのです。「いのり」は現在生駒山麓公園に展示されているとのことです。ちなみに、この日は留置されていた2つの「ゆめいこま」は、複線が復活した1953(S28)年製造の車両だそうです。
宝山寺駅に到着です。駅の表示などはやはりいかにも近鉄という感じです。「→留置車両」という表示はちょっと珍しいですね。駅の構内には非接触型ICカードのストアードフェアシステム「PiTaPa」のポスターが貼られていたりしますが、この生駒ケーブルで使用することはできません。それどころか乗車券は磁気にもなっていませんし、有人改札で手渡しです。
鳥居前から宝山寺までは280円、その先梅屋敷、霞ヶ丘、生駒山上までは350円で、この宝山寺では途中下車が可能になっています。ですので、生駒山上までの切符を購入して、途中で宝山寺駅で下車して宝山寺へ参拝することも可能です。
この宝山寺駅からは山上線に乗り換えるわけですが、さすがにこの先は単線となり、完全な観光用となるので本数も少なくなります。朝9時台から夕方18時台までで1時間に1~2本です。しかし驚くべきことは、山上線には途中に「梅屋敷」「霞ヶ丘」という2つの駅があるということです。
山の中にケーブルカーの駅…。それは一体どんなものなのか、宝山寺に参拝してさらに登ることにします。続きは次回です。
コメント
僕は近鉄の生駒ケーブルに乗ったのを覚えている。近鉄奈良から生駒まで近鉄の奈良線に乗り、鳥居前~生駒山上間のケーブカーに乗った時、踏切を5ヶ所通過したのに気付き、本当に驚いた。ケーブルカーに踏切があるなんて信じられなかった。日本全国のケーブルカーに踏切があるのは生駒だけだ。どうしてケーブルカーに踏切があるのか教えて下さい。
>タクロウさま こんばんは
どうして踏切があるのか。
それはケーブルに限らず、鉄道と同じで、
そこに街と道があるから、ではないでしょうか。
ちなみに、自動車が通れる踏切があるのはこの生駒だけですが、
歩行者用踏切は西信貴ケーブルにもありますね。