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広島平和記念公園と平和記念資料館で見たこと感じたこと

記事公開日:2003年8月22日 更新日:


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▲平和記念公園にある、広島平和記念資料館。入館50円。

 名古屋から運転すること8時間。午後2時半、予約しておいた広島駅近くのホテルに到着しました。私は高校時代に修学旅行で一度広島に訪れたことがあるので、約10年ぶりの広島訪問となりました。そして相方にとっては初めての広島です。

 初めて広島の地に立った相方が、「どうしても最初に行かなければならない場所がある。」と言いました。私もそうするべきだと思い、自分自身も再度、見ておかなければならないと思ったので、荷物を置くや否や、バスに乗り、平和記念公園へと向かいました。

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「広島。」

 この街の名を聞いて、連想するものはたくさんあります。しかし、まず思い浮かぶのは、今から58年前、1945(S20)8月6日、世界で初めて原子爆弾が落とされた街であるということです。

 渋滞する街なかをバスに揺られ、平和記念公園に到着しました。この日は、ちょうど58年前に日本が敗戦した8月15日と言うこともあってか、たくさんの人の姿を見ることができました。それとも、特別な日だからというわけではなく、普段から多くの人が訪れているのかも知れません。

 平和記念公園の広島平和記念資料館に入ると、「市民が描いたあの日の記憶-路面電車が語るヒロシマ」と題し、地下にて、広島市民の方が当時を思い出しながら描いた、戦前、戦中そして原爆投下後の様子の絵が展示されていました。

 路面電車、活気あふれる市場、生きていた街が、一瞬にして地獄へと変わり、それを目の当たりにしても、何もすることができないもどかしさ、そしてやり場のない怒りと悲しみ...。描かれた方々は、これらの絵を描くために、当時を思い出すだけでも相当つらかったのではないのでしょうか。

 絵からは様々なものが伝わってきて、それを感じたつもりなのですが、今の私たちが想像する原爆投下直後の広島と、当時の本当の広島とでは、大きくかけ離れているのではないか、という気もしました。

 資料館の1階へと上がると、広島市内の模型や、原爆投下に至った経緯などが紹介されていました。原爆投下の候補地に名古屋があったことは知っていました。もし、あの時名古屋が選ばれていれば、私の祖父母は軍需工場の近くに住んでいたため、私は今この世にいないことになります。

 決して他人事ではないのです。なぜ広島だったのか。その疑問の答えも、そこには書いてありました。ひとつの爆弾が、14万人の命を、そして生まれるはずだったその子孫を奪い去る...。「怖い」という言葉以外でその気持ちを表現することはできません。

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▲資料館内。ガラスの破片が刺さった壁等、実物展示が多くあります。

 展示品のなかには、思わず視線をそらしたくなるものが数多くあります。原爆投下後の写真、それは街並みだけではなく、被爆者のものもあります。私は普段、映画などでも血を見ただけで駄目なのですが、この被爆によって火傷、後遺症に苦しまれた方々の実際の写真からは、目をそらすことができませんでした。

 そらしてはいけないのです。なぜならそれは現実だから。たった58年前に、今、自分が立っている場所で撮られた写真。遠い世界の話ではないのです。自分が立っている場所の58年前と、そして今。それは点と点ではなく、線で繋がっている。原爆によって溶けた瓦、瓶、三輪車など実物を見ると、その場に自分がいたらという想像がつきました。

 資料館を出て、原爆の子の像へと向かいました。いろいろと事件がありましたが、多くの千羽鶴が捧げられていました。

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▲動機はどうあれ、沢山の千羽鶴が事件後広島に送られました。

「折鶴を1000羽折ると病気が治る。」

 千羽鶴はここから始まったのですね。今でも後遺症に苦しむ人は多いと思います。それは目に見える病気だけではなくて、心に負った傷は、当時のことを思い出すたびに痛むと思います。そのことを考えながら、最初に見た当時の絵を描かれた方の気持ちを思うと、胸がいっぱいになります。それでも私たちに伝えるために、痛みをこらえて絵を描いて下さった。その思い、しっかりと受け止めたいと思います。

 広島平和都市記念碑にはこうあります。

「安らかに眠ってください。過ちは繰返しませぬから。」

 原爆ドーム、当時のままなんですよね。これは永久に保存しなければならないと思います。そして、核戦争の結果はこうなるんだ。ということを、人間は永久に語りついでいかなくてはなりません。核を保有する人間がいる限り。ただ...ここで「過ち」という単語が何を指すのか、それはとても疑問ではありましたけど。

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▲58年前、原爆が落ちた当時のままの原爆ドーム。世界遺産です。

 名古屋にも、戦争の記憶が残っている方々が、多くいらっしゃると思います。しかし、そういった方々から、戦争がどうだったのか、当時の様子などを聞く機会というのは、今までほとんどありませんでした。しかし、この広島は、私たちにいろいろなことを話してくれます。絵、写真、そして被爆した建物。

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▲平和記念公園。正面から見ますと原爆ドームが燃えているように見えます。

 唯一の被爆国だから、日本人だから、ということだけではなく、核を使うとこういうことになる。それは、人間として絶対に知っておかなければならないことではないでしょうか。

「あの国は悪いことをやってるんだから、戦争になったって仕方がない。」

「自分の国を守るためには、核を保有しなければならない。」

 そういう意見もありますが、それはそれで別にいいと思うのです。その人の意見なのですから。でもこういうことを言う人は、核を使うとこういうことになる、こんな地獄がある。それをわかって言っているのでしょうか。「それでも構わない、核だ、戦争だ。」と言うのであれば、やはり仕方ないでしょう。

 しかし、核が使われるとこういうことになる、そしてそれは自分の身には降りかからないだろうと思いながら、戦争や核を正当化する発言をするというのはいかがなものでしょうか。

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▲75年間草木は生えないと言われた広島は今、緑に覆われています。

 被爆された方は、原爆の投下スイッチを押した人を恨んでいるでしょうか。たぶんそれはきっと的外れな考えでしょう。そう思うのは、スイッチを押した人は命令でやっただけであり、「14万人殺してやる。」という思いからやったわけではないと思うからです。スイッチを押した人も、一生その負い目を背負って生きていくのですから...。

 では、命令はどこからやってきたのか...。それは、上司でも、アメリカという国家でもなく、「戦争」がその命令をしたのですから。

関連情報

広島平和記念資料館

平和記念公園(広島・中区)MAP

広島平和記念公園

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