きしめん
宮きしめんのたまごとじきしめん
「きしめんが名古屋名物って言うけれど、あれってうどんを平たくしただけでしょ?」
という発言を耳にすることがよくある。それを否定することはできない。むしろ全くそのとおりである。きしめんの麺の材料はうどんと一緒であることが多く、つゆも鰹ベースで、うどんつゆとの間に違いを見出すことはできない。強いて言えば、名古屋醤油とも言われるたまり醤油を使っているという点を挙げることができるが、名古屋で食べられているうどんのつゆもほとんどがたまり醤油を使っており、名古屋におけるきしめんとうどんの間には、味に違いがほとんど無い。
うどんを平たくしただけでしょ?
それでもなお、きしめんが名古屋名物として君臨し、なおかつ名古屋っ子が好んできしめんを食べるのは一体なぜだろうか。まずはきしめんの名のルーツを辿ってみることにしよう。
宮きしめん
<神宮店>熱田神宮内
<長島店>三重県桑名市「ジャズドリーム長島」内
<お持ち帰り>松坂屋本店・名古屋駅店、JR名古屋タカシマヤ、丸栄ギフトサロン ほか
きしめんという名はどこから来たのか
きしめんの名のルーツには3つの説がある。その3つとは、「雉子麺(きじめん)」「棊子麺(きしめん)」「紀州麺(きしゅうめん)」である。
まずは「雉子麺」の説から見てみよう。名古屋城築城の際、美濃国奉行であった岡田将監が、召使に雉肉を入れた手打ちうどんを作らせた。それが「雉子麺」である。後に庶民の間では雉肉の代わりに油揚げを入れて食べらるようになったにもかかわらず、名前だけが雉子麺として残り、その後「きしめん」と転じたというのが一つ目の説である。
そして「棊子麺」説。棊子麺とは中国の点心で、碁石のような丸い団子状の麺のことである。それを平たく延ばして食べたことから、きしめんと呼ばれるようになったというのが二つ目の説である。
最後の「紀州麺」説は、紀州(和歌山県)の出身者が、名古屋へ持ってきたうどん「紀州麺」が転じてきしめんとなったという説である。
どの説が正しいのかという記録は残っておらず、複数の由来が実際にあるのかもしれなければ、どれも間違っている可能性があるとのこと。しかも、雉子麺や紀州麺が平たい麺だったかどうかもわからないというのである。結局のところ、きしめんの名のルーツはわからないのである。しかしきしめんのあの平たい麺自体は、江戸時代に三河地方で既に食べられていたという記録があるらしい。それをきしめんのルーツとする説もある。
薄ければ薄いほど良いというわけではない
このようにきしめんの起源についてはわからない部分が多い。では、現在名古屋で食べられているきしめんとはどのようなものなのかを考察してみよう。基本的に、材料も味もうどんと変わらないのであれば、注目すべき点は自ずと見出される。それは麺の薄さである。
名古屋ではお祭りの屋台などでもきしめんが売られていたりします。
しかしこの考察は一筋縄ではいかない。きしめんは薄ければ薄いほど良いとされているわけではないのである。きしめん専門店であっても、宮きしめんのように薄くてつゆやかつおぶしがとてもよく絡むきしめんを出しているお店もあれば、きしめんのよしだのようにコシのあるしっかりとした厚みのあるきしめんを出すお店もある。それは名古屋っ子でも好みがわかれるところである。
お客にとっての魅力と店主にとっての魅力
トッピングはうどんとは若干異なり、ホウレン草やかつおぶし、そしてあげだまを大量に入れることが多い。きしめんの専門店のなかには、「ご自由にお使いください」と、各テーブルにあげだまの入った瓶が置かれている場合がある。ホウレン草もかつおぶしも、麺に負けじと薄いためにとてもよく麺に絡む。あげだまは、麺に絡む上にさらにつゆを吸って味わいを増してくれる。そしてやはり、きしめんの麺自体が薄いことも相まって、うどんとは比べ物にならないほどに、きしめんは麺とつゆの味が融合しているのである。この点が、名古屋っ子をきしめんに引き寄せる理由なのではないだろうか。
といろいろと考察してみたが、もうひとつ、別の観点から見て確実に言えるのは、きしめんは麺が薄いためにうどんに比べて短時間で茹で上がるため、時間も光熱費もすべてを抑えることができるということである。せっかちでケチな名古屋っ子が好むのは当然と言えるだろう。むしろこの理由の方が妙に説得力がある。
コメント