熊野大社に行きたい。何があるかわからないけど、とにかく行きたい。
地図を見ただけで直感でそう思うということは、何かあるんだろうなぁ…きっと。
熊野大社(島根・松江市)
TEL:(0852)54-0087
駐車場:90台
境内自由
中海と宍道湖に挟まれた松江を、北から南へと走ってきましたが、最後は何の予備知識も無いまま「熊野大社」へ。熊野といいますと、名古屋在住の私はどうしても三重県の熊野古道を思い出してしまいます。松江の熊野大社はいったいどんな神社なのでしょうか。
なぜだかはよくわからないのですが、相方と松江の地図を眺めていると突然、相方は熊野大社を指差し、ここには絶対行きたいと言うのです。しかしそのガイドブックには熊野大社の説明は載っておらず、一体どんな神社なのか写真も見ぬままやってきました。
到着するとそこは山の中、山間を流れる意宇川に架かる鮮やかな朱塗りの橋の向こうに熊野大社はあります。まもなく夕暮れということもあってか、熊野大社を取り囲む緑は一層濃く、空気がひんやりと感じ、身が引き締まる思いがしました。
熊野大社に祀られているのは、伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなこ)加夫呂伎熊野大神(かぶろぎくまのおおかみ)櫛御気野命(くしみけぬのみこと)と長い名前なのですが、これは素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別神名。イザナギにかわいがられ、神聖なる祖で、熊野に座する尊い神である櫛御気野命という意味を表しているのだそうです。
720年の日本書紀によると、659年に出雲国造が創建したと記されていて、733年の出雲国風土記では、出雲大社とこの熊野大社が出雲国内で最も格式の高い「出雲國一之宮」とされています。また、日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)という別称があり「火」の発祥の神社としても信仰を集めています。
ということは、この熊野大社は出雲大社は同格なの?と思ってしまいますが、どうやらそうではないようです。毎年10月15日に行われる「鑽火祭」(亀太夫神事)がそれを表しています。古代の人々が火をおこす際に使った燧臼(ひきりうす)燧杵(ひきりぎね)という道具があるのですが、このお祭りでは出雲大社の宮司が「古伝新嘗祭」に使うため、それを受け取りに訪れるのです。
その際、出雲大社が熊野大社に餅を納めるのですが、その餅の出来栄えが悪いと、熊野大社側が苦情をやかましく言い立てるという神事があるのです。
最初から、苦情を言うという前提が神事になっているということは、そういうことですよね。火を産んだ熊野大社の崇高さがよくわかります。
そしてやはり、注連縄に迫力があります。拝殿だけでなく、その手前にある隋神門にも立派な注連縄が掲げられています。この日はもう夕方6時前だったのですが、拝殿には明かりが灯っていました。さすが火の神さまですね。
お参りをしてここでふと、ちょっと待てよ…。と。出雲といえばこれまで、まず出雲大社だと思っていたのですが、その出雲大社でさえも頭が上がらず、奉納した餅に文句をつける熊野大社って実は、この神話の国である出雲国のなかで、最も力の大きな神社ということになりますよね。
そして帰り道、鳥居の近くに「さざれ石」が奉納されているのが目に留まりました。これは2000(H12)年に奉納されたものです。そう、あの君が代に歌われているさざれ石です。奉納者を見てちょっとびっくり、半田市亀崎町とあるではありませんか。半田って愛知の半田?と見るとやっぱりそう。神前神社が奉納したものでした。
地図を見て、ただ直感で行きたいと感じた相方に感想を聞くと、やっぱり熊野大社には何かを感じることができたとのこと。ちなみに諸説あるのですが、熊野大社の由緒書きによるとここは熊野三山の元津宮であるそうです。
同じく素戔嗚尊を祀る出雲の須佐神社では、その地に眠るということで直接的なパワーを感じることができましたけど、ここは対照的にすごく静かな森のなかなのに、見えない深層で沸々と何かが沸いてくるような、それでいてメラメラと燃え上がるそんなパワーを感じることができました。
それにしても、相方が直感で行きたいと言わなかったら立ち寄らなかった熊野大社…。呼び寄せたものは一体なんだったのだろう…。
コメント
はじめまして。
明日と明後日、ご紹介の熊野大社さんと出雲大社さんへ
愛知県半田市亀崎からお参りに行く者です。
ネット上を探して、熊野大社さんの さざれ石 の記事を検索しておりますと。
こちらにたどり着くことができました。
亀崎の神前神社さんの宮司さんの故郷が熊野大社さんだそうで。この さざれ石を寄贈するにいたったように伺っております。
なぜ、愛知の半田から の疑問はこれで解けるでしょうか。