北区[5] 志賀・光音寺
中日新聞はここから名古屋全体へ-金城・ハサバ
堀川の城北橋から大津通を北へと歩きます。右側には中日新聞の金城工場があります。名古屋の象徴である名古屋城の別名を象徴として工場名にしているのではなく、ここ一体は北区金城という地名で、金城小学校もあります。
▲中日新聞金城工場です。毎朝ここから新聞が配送されます
しかしかつての田幡村の名を「田幡公園」に残し、その田幡(たばた)の語源となった多奈波太神社の名を「たなばた住宅」に残しています。ちなみにこの住宅には単身赴任者しか入ることができない…ということはありません。
▲大津通は城見通にぶつかると3車線が1車線に。ここがその交差点
するとそれまで片側3車線あった大津通が城見通とぶつかるところで急に1車線になります。今まで何度もこういった表現が登場しましたが、それほど名古屋というのは郊外に出ようとすると道が急に細くなる箇所が多いのです。それが渋滞の原因ともなっています。
その城見通を左へ歩いていくと、「西ハサバ」という奇妙な名の信号にぶつかります。ハサバという地名も現在は信号機に残っているのみですが、このハサバという地名変わってますよね。元々あった地名がなまって発生したという説が有力です。
▲ハサバ接骨院です。文字の見た目が何とも言えません
西区の明道町もそうでしたが、名古屋は区画整理で消した地名を信号機や公園に残すという粋なことをやっていますので、逆に信号機と地名が一致しないという不思議な現象があちこちで発生します。そういった公園には、必ず旧地名を示す地図が設置してあって、結構名古屋市は歴史を大切にする街なのだということを感じます。
力士の櫛を作る全国唯一の店-駒止市場・櫛留商店
この西ハサバの信号から西は西区になりますので、右に曲がって北へと歩きます。すると「ハサバ接骨院」という看板が目に入ります。そこを左に入ると駒止市場があります。
▲西ハサバ交差点の北東にある駒止市場です
ここは公設ではありませんが1954(S29)年に開設された歴史ある市場だそうです。そして駒止市場の斜向かいにクシのオブジェのある家があります。ここは1903(M36)年創業の櫛留商店さんです。
一見民家のようで、趣味でやってるかのようなお店ですが、なんとここ力士が使う本つげの櫛を作る全国で唯一の店です。一般の人も指導を受けながらつげの櫛の絵付けなどを体験できるそうです。外から覗いただけですが、この日も多くの人が作業をしていました。
▲左奥に駒止市場、右手前に櫛止商店があります
志賀公園へと向かいましょう。櫛止商店の前を真っ直ぐ東へと進みます。大きな通りを越えて2本目を左に曲がります。すると不思議な舗装がしてあります。道幅が広いにもかかわらず、両側の歩道が凸凹になっていて、車道がまるで自動車学校のクランクのようになっています。
実はこれ、名古屋っ子の運転能力向上のために設置されたもので、この道を走ることでクランクをさらに上達させようという目的、というのは嘘で路上駐車をさせないためのものです。
▲道路がクランク状態になっていて、そこに植物が植えられています
歩道に段差をつければいいのではないか、と思われるかもしれませんが、その程度では名古屋っ子は車を歩道に乗り上げて斜めにして駐車してしまいます。ですのでこのように、クランク状にしてなおかつその出っ張りに植物を植えることで、路上駐車をすると車が通れないように道路を加工してあるわけです。
信長の将来を案じて-東光寺・綿神社
少し寄り道をしましょう。少し太い道を右にまがります。すると信号の交差点にぶつかります。その左手には東光寺と金城幼稚園があります。
▲金城幼稚園のある東光寺です
そのまま通りすぎて国道41号にぶつかると霊源寺と綿神社があります。錦ではなく綿です。私の持っている地図も間違っていました。綿とは海(わた)の仮字として用いられたもので、興った当時はこのあたりは海だったということになります。
▲木々に覆われている霊源寺です
この神社の起源は古く、弥生人渡来の時が起源と言われています。この志賀の街は2000年以上前に弥生人が住み着いたと言われており、記録はありませんがその説が正しいとすると綿神社は2000年以上の歴史があると言えます。
記録としては、平安時代初期の年中行事などを記した「延喜式」に登場しています。その後一度は荒廃してしまうのですが、戦国時代、現在の志賀公園に屋敷を構えた平手正秀は社殿を再興し、鏡と手彫りの狛犬を奉納してあるお祈りを一生懸命したと言われています。
何をお願いしたか、平手正秀については中区の「若宮大通編」と「大須3丁目編」で登場しましたが、あの織田信長の守り役です。となればお祈りの内容は想像つきますよね。そうです、信長の傍若無人な振る舞いが治るようにと、ここでお祈りをしていたのです。ところがです。
▲平手正秀がお祈りをした綿神社です。このあたりが海とは…
正秀の死に信長は馬を走らせ駆けつけた-志賀公園
その平手正秀の家があった志賀公園へと向かいましょう。国道41号を北上し黒川本通4の交差点を左に曲がります。
▲ここに平手正秀の家があったという記念碑です
正秀はずっと信長の改心を願っていたのですが、それは父・信秀が亡くなっても、葬式には遅れてくるわ、焼香で抹香を位牌に投げつけるわと手に負えず、その後も改めようとしませんでした。
そして尾張国内では次第に不穏な動きが粟われ始めたため、結局1553(天文22)年、正秀は諌言を残しここにあった自宅で自殺したのでした。正秀は62歳でした。
▲志賀公園には日本庭園が広がります
そして信長は改心し、天下統一に向け一歩を踏み出したと言われています。正秀が亡くなった時、信長は馬を飛ばしてここに駆けつけ、枕元で泣いたと言われています。
この姿を見ても、信長は父親よりも正秀にどれだけ思い入れがあったかが想像できます。この由緒ある地を永く保存する目的で、この志賀公園は1930(S5)年に土地区画整理組合によって造成され、1934(S9)年に名古屋市へと寄贈されています。
志賀公園は平手家があった戦国時代よりずっと昔に、人名と思われる文字が墨で書かれた「習書木簡」や、さらに時代を遡った前方後円墳や土器、石器も出土しており、とても歴史と関わりの深い公園です。
そんな歴史の息吹を感じつつ、落ち着いた日本庭園を見ながら少し休憩します。2000年前、九州から志賀にやってきた弥生人。名古屋っ子の原点はここにあるのかも知れません。
▲盛り上がっているところは古墳です。いろいろ出土しています
女義太夫の第一人者豊作呂昇が眠る-六所社・光音寺
では志賀公園の東側、金城町を南北に走る道路をさらに北へと歩きます。光音寺の交差点を越えてしばらくすると、左側に六所社があります。
▲六所社ではお祈りをしている人に出会いました
その手前の道路を左へ歩いていくとこの界隈、光音寺町の語源となった光音寺があります。光音寺は由緒ある有名なお寺で信仰が厚く、かつてはこの一帯は盛綱村と称していたのですが、住民が光音寺の村と呼ぶようになり、鎌倉時代から光音寺村となったのだそうです。
▲光音寺。地名になるほど信仰が厚いお寺です
境内の墓地にある「永田家累代之墓」には、女義太夫の第一人者豊竹呂昇(とよたけろしょう)が葬られているそうです。
▲光音寺の墓地には女義太夫の第一人者豊竹呂昇も眠ります
そして光音寺の北側には庄内用水が流れ、緑道が整備されています。と言ってもこの日は水は流れていませんでした。
▲庄内用水の緑道は28km。ちょっと散歩するには長い…か
庄内用水は北区庄内川の三階橋と中川区の荒子川を結ぶ28kmの水路で、今から400年以上前に開削されたと伝えられています。
現在の水路は1876(M9)年、黒川開削と同時に新設された用水で、農業用水・工業用水として利用されているとのことですが、やはり農業用がメインなのでしょうか、田植えのシーズンには水が流れているかどうかまた見に行くことにします。
▲庄内用水、農業需要があるときしか水は流れないのかな?
川の流れは龍のごとく-聖徳寺・八龍社・天神社
▲普門山聖徳寺です。愛知工業高校の少し奥の西側です
もう少し北へ行くと庄内川というところまで来ました。庄内用水の北側にある愛知工業高校の西側には聖徳寺、八龍社があります。
▲こちらは八龍社。洪水が起きませんように…
龍とは川を例えたもので、龍を鎮めるつまり氾濫して水害の無いようにと龍の神様を祀っています。そして高校の東側、中切町界隈には神明社、日観寺、天神社と寺社があります。
▲日観寺です。だんだんと陽が傾いてきました
このあたりは寺社が丘の上にあることが多く、もともとこのあたりが庄内川と矢田川に挟まれた中州であったことを思わせます。
そして天神社にお参りに階段を上がろうとした瞬間、人影を目視し私はあせりました。既に辺りは街灯が灯りはじめています。どうやら、若い学生同士が境内で仲良くしていたようでした。補導されても知らないよ。それよりも罰当たりかな。
▲神明社です。やはり少し丘の上にあります
暴走族といえば名古屋…ではね-愛知県警第一交通機動隊
補導といえば、金城町の通りに光音寺という交差点があるのですが、そこを東へと歩くと三越の配送センターとその横に愛知県警第一交通機動隊があります。この建物、どこかで見たことがあるなぁ、と記憶をたどるとそれはテレビで見たことがあったのでした。
▲テレビでよく見る愛知県警第一交通機動隊の建物です
よくある警察密着24時といった類の番組で、愛知県警はよく暴走族の取り締まり風景が取り上げられますが、その時映されるのがその建物なのです。
よく国道41号で暴走している輩を見かけますが、それはここにあるのを知っていてわざと挑発しているのでしょうね。それにしても、暴走族といえば愛知県というレッテルを貼られているのも悲しいですね。これからも県警の人には名古屋の安全を見張っていて欲しいものです。
▲三越配送センターです。生鮮壱番館というスーパーも併設されています
先ほど神社で出会った若者、暴走族とかじゃなくて本当に良かった。イチャイチャしていただけですからね。う~ん、神社…。
▲こちらが、イチャイチャしている学生がいた天神社
ダメダメ、神聖なところなんですから。でも、子宝には恵まれるかな…。
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