おいでよ!名古屋みゃーみゃー通信 の第24回です
名古屋御三家という言葉をご存知でしょうか。これは「東海銀行、名古屋鉄道、中日新聞」のことで、昔から名古屋っ子のエリートと言えば、名古屋大学を卒業してこれらの企業に就職した人のことを指しました。東海銀行についてはご紹介しましたので今回は名古屋鉄道(名鉄)について見てきたいと思います。
名古屋御三家
名古屋っ子が東京や大阪に行って驚くのは、その路線の多さです。しかも様々な会社の電車が走っています。東京なら京成、東武、西武、東急、京王、小田急、京急…。大阪なら近鉄、阪急、南海、阪神、京阪…。さらに各社に複数の路線があったり地下鉄と乗り入れしていたり、もうパニックです。
なぜなら、名古屋は私鉄と言えば名鉄と決まっているからです。もちろん他にも私鉄はあります。近鉄は名古屋駅まで乗り入れていますし、第三セクターの愛知環状鉄道や城北線、豊橋鉄道といった路線もあります。しかし、名古屋駅から乗る私鉄と言えば大阪方面へ向かう近鉄名古屋線以外は全て名鉄です。
名鉄に集約された
名鉄の歴史を紐解いてみましょう。1894(M27)年に設立された愛知馬車鉄道が名鉄の始まりです。2年後には名古屋電気鉄道と社名を変更し、1898(M31)年には国内2番目の電気鉄道を開業しました。その後愛知・岐阜県下には他にも鉄道会社が設立されます。
尾西鉄道、美濃電気軌道、愛知電気鉄道、瀬戸電気鉄道、三河鉄道、知多鉄道…。しかし昭和に入り戦時色が強くなると交通統制が進み、合併を繰り返して1941(S16)年には名古屋を走る私鉄はほとんど名鉄なりました。当時は渥美半島まで名鉄が走っていました。このように名古屋の私鉄=名鉄という図式が出来上がったのです。
名鉄の沿線開発事業とは
名鉄は戦後、鉄道利用を促進するために沿線開発事業にも乗りだし、日本モンキーパーク(旧・ラインパーク)、明治村、リトルワールド、内海フォレストパーク、南知多ビーチランド、杉本美術館、うさぎ島といった施設のほか、名鉄グランドホテル、名鉄犬山ホテル、名鉄小牧ホテルなど次々と投資をします。こうして名鉄グループは一大レジャー企業となっていったのでした。
関東などから名古屋への観光客を増やす目的で、名鉄グループ提供の「ふるさと紀行」をフジテレビで流したり、明治村などの広告看板を東北地方の駅にまで出すなど、名古屋への観光客獲得作戦を長年行ってきました。
▲2001(H13)年9月いっぱいで廃止された谷汲線。
名鉄の苦悩
しかし、名古屋っ子の自動車依存・鉄道離れは予想以上に進み、またこれらの施設にもなかなか人が集まらなくなり、名鉄グループは赤字転落します。あの御三家が…というショックを名古屋の財界は隠すことができませんでした。
そこで名鉄は大改革を英断します。それは「儲からないことはやらない」です。沿線開発事業で設置した施設のなかでも、赤字のものを次々と閉鎖し始めます。また不採算路線は鉄道・バス問わず地元自治体へと廃止検討の通告をします。そして実際に八百津線、谷汲線、竹鼻線、揖斐線、三河線の一部と次々に廃止していきます。
一般的な名古屋っ子でも、「最近、名鉄はあまり良くないのかな」という気になっていたところに大きな事件が起きます。バス運転手の無免許運転隠蔽事件です。これにより名鉄は処分をされます。それは2年間、新規バス路線の開設を認めないというものです。処分を受けたのは2003(H15)年7月。そこから2年となれば2005(H17)年の中部新国際空港や愛・地球博にバス路線を開設することができなくなってしまったのです。
名鉄なしには無理
しかし、これには国土交通省中部運輸局も助け舟を用意していました。「但し、地元自治体などからの要請があれば路線開設を認める」という例外です。実際、空港も万博も名鉄抜きにはバス運行は考えられず、名鉄バスが走ることになる見通しです。
このように、いくら鉄道離れが進んでいるといっても、愛知県の公共交通に名鉄は無くてはならない存在であることは今も昔も変わりません。ちなみにこの処分の際同時に「地域独占企業へのペナルティー」としてノンステップバスへの補助金をカットされています。企業体質がドライになったことと、赤字・不祥事といったマイナスイメージから、名古屋っ子の名鉄を見る目はすっかり変わってしまいました。
さらに名鉄電車は、独占企業でありながら運賃が高いのです。しかし名鉄には同情したくなる要素もあります。名古屋っ子がいかに電車に乗らないかというデータがあります。電車が1キロメートル走ることで得られる客収入は名鉄が42万円(H11年実績)。それに対し近鉄は85万2000円、小田急は239万円(H10年実績)です。かと言ってJRや地下鉄が利用されているわけでもなく、名鉄電車は今日も自動車と戦っているのです。
※現在は黒字経営となっています。
市内は市営交通で一元化・名古屋市交通局の意地
もうひとつ、名古屋っ子が東京へ行って驚くのが地下鉄と私鉄の乗り入れです。しかもそれはあらゆる路線、あらゆる私鉄で行われていて一体どの電車がどこまで行くのか路線図を一目見ただけでは理解不可能です。名古屋でも鶴舞線に名鉄が乗り入れていますが、それは特殊事情があったためで、基本的に名鉄は地下鉄を運営する名古屋市と仲が良いとは言えません。
基本方針は相互乗り入れでしたが…
名古屋市は当初、地下鉄網の整備について郊外は私鉄との相互乗り入れをすることを基本方針としていて、1949(S24)年には名古屋市・名古屋鉄道・近畿日本鉄道が「工事完了後、名鉄の会社線とは名古屋駅・大曽根駅・水分橋駅・新川橋駅において、近鉄の会社線とは八田駅においてそれぞれ相互に乗入をするものとする」という協定を結びました。
もしこれが実現していれば、東京ほどではないものの、もっと名古屋の電車の利便性は高まっていたかもしれません。しかしこの協定は意見が合わず結局廃止となってしまいました。
市と名市交と名鉄と
ではなぜ鶴舞線は、名鉄が相互乗り入れすることができたのでしょうか。名鉄には尾張瀬戸から名古屋城のお堀を通り土居下まで走る単独路線の瀬戸線がありました。協定は廃止になっていたものの、名鉄は将来的にこの瀬戸線を繁華街「栄」へと乗り入れさせたいがために名古屋市に対し、1961(S36)年に地下鉄2号線(名城線)へ大曽根から相互乗り入れすることを申し入れます。
名古屋市は2号線のために大曽根-市役所間の鉄道用地を先行して確保していて、とりあえず名鉄はそこに軌道移設できるようにと段取りを進めていました。さらに1966(S41)年までに地下鉄に合わせて標準軌道用枕木を約1万本敷設しました。
すると名古屋市は1967(S42)年、地下鉄2号線大曽根-市役所間を用地とは別のルートで申請をしたため、相互乗り入れは不可能となります。そこで名鉄は市が確保していた用地に加え市役所から栄の敷設申請を行います。それに対し名古屋市は、市内は市営交通で一元化すべきという姿勢を全く崩しませんでした。しかしその一方で急に相互乗り入れがまとまります。
地下鉄鶴舞線予定路線の一部(八事-赤池間)が名鉄の免許路線と重なり、名鉄豊田線と相互乗り入れすることが決まったのです。また名古屋市は、名古屋城のお堀を走る瀬戸線をこのまま放置しておきたくなかったため、瀬戸線を地下化して栄町乗り入れすることを急に認めたのです。
こうして名鉄と名古屋市は1971(S46)年12月協定に調印しました。協定の中身は「瀬戸線の栄町乗り入れ」「別途寄付の実施」「廃線となる外堀用地への配慮」「八事-赤池間(鶴舞線)の鉄道免許の無償譲渡」でした。
▲こちらは2004(H16)年3月廃止の三河線レールバス区間。
心の相互乗り入れは未だ実現せず
その後、鶴舞線は上小田井で名鉄犬山線とも相互乗り入れを果たします。しかし、名鉄と名古屋市の間にはしこりが残っているようで、現在は「市役所」に統一されましたが、名古屋市役所の前にあったバス停の名は市バスが「市役所」なのに対し名鉄は「県庁前」でしたし、町名変更で「栄町」が「栄」になり地下鉄の駅名は栄町から栄に変更されたにもかかわらず、名鉄は栄に駅を設置する際に旧名の「栄町」と名付け、現在もそのままです。
そしてビッグイベント愛・地球博を控えた今日も、名鉄・地下鉄ともお互いの駅案内は中部管区行政評価局から改善を要求されるほど不案内なのです。
名鉄はその後リストラ策が功を奏して黒字転換しましたが、地下鉄は現在も赤字事業となっています。そろそろ手と手を取り合って、本気で名古屋の鉄道路線改革に取り組まないと、取り返しのつかないことになると思いますよ。それが昔から出来ていれば、もう少し名古屋の鉄道事業も上手く行っていたと思うのですが…。
自業自得と言えばそうかもしれません。
▲ケンカしている場合じゃないよ。でも名鉄は最近、リストラ効果が出て黒字拡大。
コメント
私が幼少の頃「名古屋・市電」に乗った記憶が有ります。他所では滅多に見ない「2両連結」でしかも「幌を着けた貫通路型」だったと記憶してます。(記憶違いだったらスミマセン)
私が尾張に居た頃の地下鉄は「東山線・中村公園-藤が丘」「名城線・大曽根-名古屋港」の2本だけが「栄駅」でクロスする「十文字路線」と言う単純明快な線型でした。(私が愛知県を去る丁度1年前に、名城線が「金山駅」で二又に別れ「新端橋駅」まで通じました)
それが現在では、名城線は「環状線」になり「鶴舞線」「桜通線」まで開通。「市内の目ぼしい箇所」を隈無く繫ぐ様になり 私には「隔世の感」です。日本で3番目の地下鉄(戦後、最初の)開通都市は「伊達」じゃない!
当時の電車は「市内在住の芸術家」デザインによる「黄色い車体、1色のみ」車内は何故か「網棚無し」お蔭で誰一人として「忘れ物無し」でした。
この電車、今もアルゼンチン・ブエノスアイレスで「現役」です。90年代に彼の地の地下鉄が、明治期「開通以来使用」の木造車両が危険なため、新型導入を見当していたのを現地「丸紅、社員」が聞き付け「名古屋市」から譲渡の運びとなりました。嘗ての「営団、丸の内線の赤い電車」もご一緒。
車体の「おでこ」の番号はそのまま、少し濃い目の黄色に変わり、腰に紺色のライン、屋根にパンタグラフの小変更。車内から運転室に入る扉窓に「乗務員室」の漢字表記が残ったまま。この表記のため、現地人も「日本製」と理解してます。
この電車、嬉しい事に彼の地で「名古屋」と呼ばれていて、中古車なのに評判良いのです。理由は「クッション入りの座席」に有りました。旧来の電車の座席は「木のベンチ」、ドイツから輸入した新車は「FRP製のベンチ」、此れでは冬場はツライでしょう。「名古屋」が好評なのも頷けます。
又してもの長文、スミマセンでした。
>ara40oyajiさま こんばんは
海外で名古屋の地下鉄が今も走っているのは、
テレビ番組で紹介されたりもしましたね~。
初めて投稿します。現在名古屋に住んでいますが、名鉄と市交ってそんなに仲が悪いのですか。鶴舞線を介して相互乗り入れしていますし、小牧線と上飯田線でも乗り入れしていますよね。今まで仲良しだと思っていました。
でも、そういわれると、市交から犬山線への電車が、犬山まで行く本数が以前より減っていますし、マナカではポイントの付与の仕方に差があり、名鉄のマナカの方が何となく有利になっているようですね。計画段階ではあった、桜通線の津島線乗り入れも頓挫したみたいです。せっかく車両や集電規格や電圧を名鉄と同じにしたのに・・・・・。
以前東京世田谷に住んでいた頃は、小田急の車両がメトロ千代田線を通り、JR常磐線のの我孫子まで乗り入れていたのには驚きました。東京ではこのように私鉄ーメトローJR(私鉄)というパターンは常識だといいます。従って距離も100キロ近くなるそうです。名古屋ももっと乗り入れが増えて便利になるといいですね。
>ロマンスカーはこねさま コメントありがとうございます
はじめまして。ご訪問ありがとうございます。
相互乗り入れの経緯を、
ものの本で紐解いてみますと、
なかなかな理由がわかったので書いてみました。
マナカに関しては特に、
両社の温度差といいますか、いろいろ感じますね。
名古屋は両社に溝もありますし、
自動車社会ですし、東京のようにはやっぱりいきませんね…。