トッピーの放送見聞録 放送事情レポート

東京の風を送り 名古屋に新しい風を起こしたラジオ局Radio NEOが放送終了・閉局

記事公開日:2020年6月29日 更新日:

★日本初・東京のラジオ局の名古屋支局として誕生した
★独自番組を徐々に増やし 古き良きラジオと新しいラジオの融合
★うまく行っているように見えたが…6年半で閉局

 名古屋市を中心に、79.5MHzでFMラジオ放送を行ってきた、「Radio NEO(レディオ・ネオ)」が、2020(R2)年6月30日正午をもって放送を終了し、閉局することとなりました。小規模な地域エリアのコミュニティFM放送局を除いて、地上波放送局の閉局は国内では2例目となります。

閉局したラジオ局を復活させたわけではないけれど

 しかも、その閉局1例目も名古屋でした。2010(H22)年9月30日。それまで10年半にわたって存在していたRADIO-i(レディオ・アイ/愛知国際放送)が放送を終了。名古屋から79.5MHzのFM局が消滅しました。そうです。その後を受けて開局したのが、今回、放送を終了するRadio NEO(以下NEO)だったのです。

 NEOは、東京の民間放送局が他の地域にそのまま進出するという、日本の放送史上初の試みで誕生。東京の番組を流しながら、少しずつ地域に密着した番組を増やし、名古屋での存在感を増していました。人気番組・人気パーソナリティも誕生し、SNSも盛り上がりを見せていたにもかかわらず、それがなぜ放送終了に至ってしまったのでしょうか。NEOの足跡を振り返り、NEOが名古屋に遺していくものを考えてみます。

東京のラジオ局が名古屋にやってきた

 名古屋にはFM AICHIとZIP-FMという民放FMラジオ局があります。この2局とは違い、79.5MHzという周波数は、外国語放送局として割り当てられています。以前、この周波数を使って放送を行っていたRADIO-iは正式には「愛知国際放送」。在住外国人への情報提供という役目も担っていました。外国語放送局は日本に4局。東京「InterFM」、大阪「FM COCOLO」、福岡「Love FM」そして名古屋の「RADIO-i」があり「Mega-Net」という系列を組んでいました。

 そんな名古屋のRADIO-iが国内史上初の放送終了、閉局となってから2年後のことでした。2012(H24)年10月30日、東京のInter FMが名古屋に新FM局を開局するという意向が報じられます。当時、Inter FMはテレビ東京から木下工務店に売却されたばかり。新しい親会社のもと、拡大戦略をとったのでした。

 その1年後。2013(H25)年8月、Inter FMが名古屋の新FM局開設の免許を申請。InterFMの看板DJであるピーター・バラカンさんが名古屋でイベントをするなど、名古屋進出の布石を打ち始めたのです。

 そして2014(H26)年3月3日未明のことでした。「InterFM NAGOYA(エフエムインターウェーブなごや)」が79.5MHzで試験電波を発射。4月1日に開局となったのです。スタジオは瑞穂区の木下工務店が入居するビルの一角に設けられ、名古屋から開局特番を放送。ただ、実際の編成は、まさにInter FMの名古屋支局。東京のInter FMが名古屋でも聞けるという形になりました。「東京のラジオの風が名古屋に届くようになった」という状態でした。

動き始めた地元番組

 開局から1年が経過した、2015(H27)年4月。InterFM NAGOYA初となる生ワイド番組「DELITE BRUNCH」がスタート。アナウンサーと営業社員を兼ねる高木春菜さんがパーソナリティを務め、地域情報の発信にこだわり刈谷市のコミュニティFM局・Pitch FMとコラボするなど、それまでの「東京を伝える」に加え、地元に密着するラジオ局を目指すようにもなったのです。

 その2ヶ月後には、その年の春に結成されたばかりの、地元男性アイドルグループ「MAG!C☆PRINCE(マジックプリンス)」を帯番組で起用。6月に「MAG!C☆PRINCEのLOVEラジ」が平日午後8時にスタートします。それまでワイド番組を1つ制作していただけの、支局というラジオ局に、大手事務所のご当地アイドルグループが帯番組で登場するという編成は大きなインパクトを与えました。

 InterFM NAGOYAは、7月30日から独自でもインターネットサイマルラジオサービス「radiko(ラジコ)」に参加し、聴取が可能となり、さらに動きは放送局名の変更に繋がります。その年の秋、ステーションネームを「InterFM NAGOYA」から「Radio NEO」に変更。東京の支局から脱皮し、またradikoなど新たな聴取スタイルに合わせ、AMやFMといった枠組みを超えたRadio。そして新しいことに挑戦する「NEO」という単語を組み合わせます。

東京を超えた新しい風を生み出すラジオ

Radio NEOは、「新しい」「復活」「次世代」をキーワードに、「古き良きラジオの復活」でありながら「新しい在り方」を融合し、様々な音楽との出会いの場としてのラジオを提案するラジオ局という、これまでの名古屋のFM局にはなかったスタイルを打ち出します。

 平日午前は、地元から元RADIO-iのパーソナリティでもあったNORRIさんと、元フジテレビアナウンサーの本田朋子さんのワイドが2本登場。そして午後11時からは、「ラジポップ!2.5」と題して、(月)luzさん、(火)まじ娘さん、(水)いかさん、(木)みきとPさんが、それぞれ生放送を担当。ツイキャスと連動し、さらにインターネット回線でそれぞれのパーソナリティの自宅などとつなぎ、スタジオからではない、遠隔でおしゃべりするラジオの生番組を放送するという、5年先を行ったスタイルでの番組が放送されるようになったのです。

 そして12月に大型の夜のワイド番組「ラジカルNEOナイト」がスタート。月曜日はキムラケイサクさん、中西優香さんの「それいけ!アニソンバカ一代」、火曜日は「100%SKE48!」、水曜日は「VISUAL REVOLUTION!」木曜日は「週刊大人のミュージックカレンダー」と、毎晩午後9時から2時間、特定のジャンルに特化した夜の生ワイドは名古屋に新たな文化を持ち込みました。既存のラジオ局とは全く違った新機軸、東京の洋楽を中心としたスタイルとも違う、新たな音楽との出会いを形にしたのです。

平日毎日夕方の公開放送

 加えて、同じく12月のことでした。常滑市に「イオンモール常滑」がグランドオープン。そのイオン常滑から、なんとNEOが毎日生放送をすることになったのです。イオン常滑に出店した、名古屋トヨペットの「NTP-ark(エヌティパーク)」。そこにある「まちくるスペース」から、1時間の生放送「MUSIC GARAGE from NTP-ark」がスタート。

 世界各国の観光プロモーションに携わられてきたトライリンガルの酒井エレナさん、知多半島出身の地元モデルがラジオに初挑戦のMADOKAさん、かつてRADIO-iで圧倒的な人気を誇り、局の顔ともいえる「iJ」であった、佐野瑛厘さんが登場したのです。

 しかも、番組は名古屋トヨペットの提供番組。営業的にもうまくまわっているように見えました。この番組はのちに2時間化されます。

SNSを騒がす番組も

 radikoでも聞けるようになり、12月に独自番組が出そろい、月曜から木曜は朝7時から11時と、午後7時から深夜0時まで、9時間ものローカルゾーンを設けるまでになったのです。開局時はほとんどが東京の番組であったことを考えると、急成長です。しかも顔ぶれは、元RADIO-iのパーソナリティに、地元男女アイドルグループ、サブカル分野にも食い込み幅広く、まさに古き良きラジオの復活と、新しいラジオの在り方の融合だったのです。

 そして2016(H28)年8月のことでした。「株式会社Radio NEO」が設立され、その後、免許を継承。正式に支局ではなく、名古屋のラジオ局として独立したのです。

 その年の10月、大前りょうすけ(当時・亮将)さんが朝のワイド番組に登場。「OH!MY MORNING」がスタートします。翌年には、大前さんは「MUSIC GARAGE from NTP-ark」も担当し、さらに姉妹番組として「OH!MY SATURDAY!」も始まり、まさにNEOの顔として人気を集めます。

 加えて、2017(H29)年秋にはお笑いコンビ「デラスキッパーズ」の「デラスキNight!」が平日深夜に帯の1時間番組として登場。大前りょうすけさんとデラスキッパーズの牽引力によって、NEOの番組のハッシュタグがツイッタートレンドに上がってくるようになるなど、見方によっては、既存局よりもNEOの番組がネットを騒がせているようにも見えることがありました。

 2017(H29)年春、こんなことがありました。土曜日の新番組として「ひるねお」がスタート。パーソナリティはふかわりょうさんと池岡星香さん。初回のゲストがMAG!C☆PRINCEの皆さんと、大前りょうすけさん。お笑いラジオ番組の公開生放送で、毎回放送をする場所とパーソナリティがかわるというゲリラ的なもので、その初回、場所は丸栄百貨店の屋上でした。その丸栄の親会社は興和。かつてのRADIO-iの親会社でした。RADIO-iの幻影のような放送となったのでした。そして丸栄はその翌年、2018(H30)年の6月30日をもって閉店しています。

 人気番組にはイベントと連動した新規のスポンサーも見られるようになり、株式会社Radio NEOは、2019年3月期に黒字転換。この期には835万円の利益を計上します。

うまく行っているように見えたのに……

 しかし。2019(R元)年10月。NEOの社長が、東京のInterFM社長を兼務する形となり、その2ヶ月後。2019年12月をもってほとんどの自社制作番組を終了すると発表します。大前りょうすけさんやデラスキッパーズ、SKE48、MAC!G☆PRINCE、Hi☆Fiveと、多くのパーソナリティがNEOを去ることとなり、継続となったワイド番組は「MUSIC GARAGE from NTP-ark」だけ。こちらも出演者が大幅に変更されました。

 そして、2020年(R2)年春。「MUSIC GARAGE from NTP-ark」も終了。残されたNEOの番組は週に1時間だけとなりました。そして同時に、NEOは放送終了・閉局を発表。6月30日(火)正午をもって放送は停まる予定です。

 最後の独自番組は、6月27日(土)の後藤理沙子さん「Radio NEO MUSIC SHUFFLE」、川崎郁美さん「Uny Oil presents FUN TIME CHITA !」でした。最後までスポンサーとしてサポートしたのはUnyOilでした。番組終了後もスポットCMが流れています。

 放送は6月30日(火)正午をもって終了、radikoもその時間をもってRadio NEOが選択肢として選べなくなるようですので、タイムフリーなどでその後は聞くことはできません。

 少なくとも、編成上も経営上も、2019(R元)年春まではうまくまわっていたかのように見えたRadio NEO。見えないところでどんな動きがあったのかはわかりませんが、出演者、スポンサー、人気、地元感、すべてが徐々に熟成され、花開くかのように見えていたことは事実です。要素としては、それぞれ花が開きつつあったものの、歯車がかみ合わなかった。そんな印象です。

 2020(R2)年6月30日正午。6年3ヶ月をもって、東京のラジオの風、新しいラジオの風を届け続けた、InterFM NAGOYA・Radio NEOは幕を下ろします。ただNEOは無くなりますが、NEOのパーソナリティ・スタッフは羽ばたいています。「古き良きラジオと新しいラジオの融合」というNEOの精神は、他の周波数に引き継がれ、これからも名古屋のラジオからその風を時折感じることができるでしょう。

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