- 30年ぶりのテレビ東京本社移転・予定地を見てきました
- そもそもテレビ東京の社屋は自社所有ではない
- 唯一の自社物件は天王洲スタジオ
普段は愛知・名古屋を中心に、放送に関して話題の場所に訪れていろいろと考察しているこのコーナーですが、愛知県で唯一の県域テレビ局であるテレビ愛知のキー局が、新社屋を計画しているとのことで、それを機に、テレビ東京の足跡をたどってみました。
テレビ東京は昨年5月、本社を六本木に移転すると発表しました。テレビ東京といえば「虎ノ門」。東京12チャンネルからテレビ東京となり、1985(S60)年に現本社に移転して以来、地デジ化の際も動じず、30年近くにわたり同じところから放送を続けてきましたが、とうとう本社の移転です。しかし、引越し先は自社ビルではありません。そもそも、現在も自社ビルではありません。
テレビ東京はどこからはじまりどこへ行くのか。「てれとまにあ聖地巡礼」と題して、テレビ東京ゆかりの場所を回ってみました。
まずは創業の地・芝公園へ
テレビ東京の誕生は、今から49年前の1964(S39)年に遡ります。その4年前まで米軍がレーダー用に使用していた「VHF12チャンネル」が日本に返還されることとなります。当時はまだ、わが国はVHFの1~12チャンネルでしかテレビ放送が実施されておらず、また、周波数が離れていた「3」と「4」を除いては、隣り合うチャンネルでの放送は技術的に不可能だったため、この「12」が、東京地区最後のテレビ電波という位置づけでした。
当然、そのテレビ電波を狙って「ラジオ関東(現在のアールエフ・ラジオ日本)」「千代田テレビ」「日本電波塔」「日本科学技術振興財団」など、多くの会社が名乗りを上げるのですが、実はこのチャンネルにはふたつの呪縛がありました。
現在もNHKには「総合」と「教育(愛称はEテレ)」の2種類のチャンネルがありますが、当時は民間放送にも「総合局」と「教育局」の区分けがあり、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビが「総合局」となっていた一方で、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)と、この12チャンネル新局は「教育局」としての開局が条件でした。
しかも、通常は多くの会社が名乗りをあげた場合、協議して一本化する場合がほとんどなのですが、この12チャンネルの電波は、申請者のなかの1団体である「日本科学技術振興財団」に認可が下りることになるのです。実はこの12チャンネルという電波は、津野田知重という人物が、単身でアメリカに乗り込んで返還させたもので、津野田氏は科学技術振興財団にかかわっていました。つまり、これは最初から決まっていたことなのです。
そして12チャンネルは、その名も「科学技術振興財団テレビ事業本部・東京12チャンネル」愛称「科学テレビ」として開局。科学技術教育番組を60%、一般教養番組を15%、教養・報道番組を25%放送することという、とんでもない足枷がかけられ、当然広告収入はうまく入らず、とうとう科学テレビは1日わずか4時間半の放送にまで縮小してしまいます。その創成期に社屋を構えたのが、「東京タワーの横の箱」といわれた現在の「東京タワースタジオ」です。
その後、東京12チャンネルは科学技術振興財団の手を離れ、日本経済新聞社のバックアップで再建がなされるのですが、東京12チャンネル全盛期には、この東京タワーのふもとから「おはようスタジオ」「ヤンヤン歌うスタジオ」など人気番組がその風景とともに放送され、東京タワーのテレビ局というイメージを強く印象付けました。
1985(S60)年にテレビ東京が虎ノ門に移転して以降も、この旧東京12チャンネル社屋は長年テレビスタジオとして現役で、系列問わず「秘密のケンミンSHOW」や「チューボーですよ!」「出没!アド街ック天国」などが収録されてきましたが、このスタジオも2012(H24)年9月末をもって閉鎖となりました。
「虎ノ門」のテレビ東京へ
日本経済新聞社による支援と、放送免許の「総合局」化によって、1979(S54)年に東京12チャンネルの再建が完了し、東京12チャンネルは関東ローカル局からの脱皮を図ります。大阪と名古屋に系列局を設置することとなり、1981(S56)年10月1日に社名を「テレビ東京」とするのです。そして1985(S60)年12月12日、現在の虎ノ門にある社屋に本社を移すのです。
それから30年弱、テレビ東京はずっと同じ場所にあります。ここからは、私と同じく「てれとまにあ」であるツイッターのフォロワーさんと一緒に見て回ります。
地下鉄神谷町駅から、ホテルオークラ別館サウスウィングのほうへ歩いていきますと、左手に路地が現れます。そこには「テレ東城山通り」の文字。そう、テレビ東京は通りに面していません。城山通りの先と言えば聞こえはいいですが、要は路地裏にあります。
城山通りの入口にはかつて「12」というオブジェの時計がありましたが、現在は地上デジタル放送のチャンネルである「7」に修正してあります。修正といっても、上からカバーをつけただけのような感じですが。
しばらく歩いていきますと、テレビ東京の建物が現れます。ビルとしてはそんなに小さい印象は受けませんが、キー局の本社としてはやっぱり手狭なようで、周囲のビルのフロアを借りていて、それらにスタッフが分散しているそうです。朝のニュース番組は、他のビルで打ち合わせをして、いざ本番だけはテレビ東京の本社スタジオからという体制になってしまっているとのこと。それは不便ですね。
でも「7スタLIVE」なんて番組もあるし、7つもスタジオがあるなら…と思ったら大間違い。この本社には第1、第2、第3、第4、そして7スタという5つのスタジオがあるのみで、しかも4スタと7スタは本当に小さなスタジオなのです。7スタは、もともと喫茶スペースだったものを強引にスタジオにしたものです。
そして、肝心なことなのですが、このビルは「テレビ東京本社社屋」ではありません。建物の名としては「日経電波会館」です。そう、日本経済新聞社が用意した不動産に、テレビ東京は入居しているのです。これは系列局も同様で、テレビ大阪やテレビ愛知も、それぞれ日経電波会館に入居しています。
城山ヒルズで結構やってたのね
では、テレビ東京の現本社から、本社移転予定先へと行ってみましょう。テレビ東京の裏側へ行きますと、どこかで見たような景色が登場します。テレビ東京本社の周辺は「城山ヒルズ」と呼ばれるエリアで、1991(H3)年に再開発されたものです。スウェーデン大使館や高級賃貸住宅があり、人工の池や滝、緑地もありまさに都会のオアシスとなっています。ただ、昼間は人影がほとんどありません。
で、どこで見たのかといいますと、それはかつて夕方のニュースで高視聴率を記録した「TXNニュースワイド夕方いちばん」や、経済に軸足を置かない朝の総合ニュースワイドとして小島一慶さんを起用して鳴り物入りでスタートした「NEWSもぎたて朝一番」などのお天気コーナーで見た景色なのです。
かつて日本テレビが麹町にあった頃、本社の前からズームイン!朝!をやっていたように、テレビ東京も虎ノ門を全面に出していた時期があったのです。ただ、麹町と違って、城山ヒルズは当時も全く人がいなかったですね。まあ、セキュリティ上はその方がよかったのかもしれませんが。
「六本木」のテレビ東京へ
麹町の日本テレビで思い出しましたが、現在は日本テレビは「汐留」ですね。東京のテレビ局はその地名を代名詞として呼ぶことがあります。TBSテレビは「赤坂」、フジテレビは「お台場」、そしてテレビ朝日が「六本木」で、テレビ東京が「虎ノ門」、TOKYO MXが「半蔵門」です。
しかしです。テレビ東京が六本木に移転するとなると、テレ朝もテレ東も六本木になってしまうんですよね…。そんなことを考えながら、移転予定地へと向かいます。
テレビ東京が新本社に移転するのは、2015(H27)年秋の予定です。「六本木三丁目東地区第一種市街地再開発事業」で建設される、地上40階の業務棟、住宅棟、商業棟からなるビルへの移転です。もちろん、テレビ東京が地上40階全部をつかうわけがありません。ここにテレビ東京は「入居」するのです。
岐阜放送のような地方局ならまだしも、キー局が自社物件でない建物に入居するなんて…と思われるかもしれませんが、先述のとおり、テレビ東京は現在も日経の建物に入居しているだけなので、実際は大家さんが変わるだけの話なのです。では、行ってみます。
歩いてみて、拍子抜け。わずか数分で到着です。確かに、地下鉄六本木1丁目駅前ですし、六本木なのですが、現在のテレビ東京本社から直線距離で500メートルもありません。歩いてみてわかった「あ、なーんだ」です。
訪れたのは昨年の夏のことでしたので、その時はまだ「日本IBM本社ビル」「ヴィラフォンテーヌ六本木アネックス」の建物が残っていましたが、解体工事は順調に進み、現在は更地になっているということです。
同行してくださったフォロワーさんによりますと、完成予想図を見る限り、近隣の「泉ガーデンタワー」と同じようなデザインになるとのことです。確かに今時でカッコいいのですけど、テレビ局らしさというのは無くなりそうですね。そもそも、外壁に「TV TOKYO」というロゴさえ掲げられないような気もしますね。そういえば最近は、大阪のABC朝日放送のような所有社屋でさえ社名は掲げられないところもでてきましたね。
ちなみにこの泉ガーデンタワーには、ジャパネットたかたの東京スタジオが入居しています。ジャパネットとテレビ東京といえば、平日は毎日回線を結んでいる仲です。新社屋はお向かいさんになるわけですね。
実は自社物件もあるのです
では最後に、テレビ東京が唯一、自社の建物として所有しているスタジオへと行ってみます。こちらは1999(H11)年12月12日に竣工した「天王洲スタジオ」です。そういえば、現本社のオープンも12月12日でしたね。「12チャンネル」に近年まで大きな愛着があったわけですね。だったら、地デジも「12」にすれば…はワンセグの観点からも無謀だったのですかね。
天王洲スタジオといいますと、地方の感覚からすると、その語感から臨海のアーバンなイメージを勝手に抱いていたのですが、実際に到着してみると、下町ですね…。同じ臨海でもお台場のフジテレビとは全くイメージが違います。
あと、まあタレントさんはタクシーとかで入られるからいいのでしょうけど、東京モノレールの天王洲アイル駅から遠い…。観覧番組などでは結構歩かないといけませんねこれは。駅にはちゃんとピカチュウによる天王洲スタジオの案内が設置されていました。太い時代のピカチュウでしたが。
天王洲スタジオには「てれとハイム」という居住エリアもあり、テレビ東京の関係者が住んでるとかあまり住んでいないとか。さらに、かつては子会社だったInterFM(エフエムインターウェーブ)が7階に本社とスタジオを構えています。
2012(H24)年6月をもって、株式の90%がキノシタ・マネージメントに売却されましたが、現在も1割はテレ東資本となっており、ここに入居し続けています。そういえば、InterFMは2014(H26)年に「名古屋局」を79.5MHzで開局するという構想を発表しましたが、果たして。
というわけで、テレビ東京の創業の地である「芝公園」から、30年近く本社を構えてきた「虎ノ門」、そして新本社予定地の「六本木3丁目」、さらに唯一の自社所有である「天王洲」と、テレビ東京の聖地巡礼をしてみましたが、いかがでしたでしょうか。気になるのは、移転後の虎ノ門本社ですが、どうもそのまま使うみたいですね。
テレビ朝日が本社の移転をきっかけに視聴率トップへと躍進したように、テレビ東京も…と一瞬思いましたが、あまり本社の移転は関係無さそうですね。テレ朝なんてこれまで何度移転したことか。
てれとまにあのフォロワーさんと一緒に回らせていただいたことで、文字での会話はこれまでもしてきましたが、実際には初対面にもかかわらず、話の尽きないこと尽きないこと。本当に楽しかったです。
さて、ここまで回っても、テレビ東京ファンとしてはまだちょっと物足りない感じがあるんですよね。直接テレビ東京とは関係ないけれども、テレ東といったらやっぱりあそこでしょう!ということで、もう1ヵ所行ってみることにしました。
そう「続いては東証アローズです」。

コメント
渾身の原稿、堪能しました。
その昔に公開されていた東京12チャンネル=テレビ愛知の原稿も復活させて欲しいな、とちょっと思ったりします(笑)
それはそれとして・・・
テレ東の天王洲スタジオがある一帯は、バブル時代にはもっとアーバンになる予定にしていたようにも思います。天王洲アイルの駅前あたりを考えると。
バブル崩壊後にいろいろあって、結果マンションだらけになってしまった、という感じでしょうかねぇ。
>とむらさま コメントありがとうございます
天王洲アイルって不思議なところですね。
駅前は確かにバブルの残り香があるのですが、
テレビ東京のスタジオあたりまではそれが続いていないんですよね…。
テレビ愛知の歴史については、再度掲載するとなると、
時代に合わせて書き直さないといけない点と、
資料画像などの掲載をせずに文章だけをアップするのに、
見た目をどうしたら見やすくなるかが検討課題になっていまして、
今のところは見送っています。そのうち…。
こんばんわ、今度テレビ東京が移転するみたいですね。
凄いな〜でかいビル夜景とか綺麗そうですね。
このビルが完成したら、一般でも入れるグッズ売り場とか
あるのですか?あったら買いに行きたいですね。