15.名東区 名古屋を歩こう

地名が語る歴史・面影が表面化したら...

記事公開日:2006年6月15日 更新日:

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 今回は一社駅の北側を歩きます。一社駅周辺にはたくさんのお店が立ち並んでいますが、一社駅のバスターミナルは昔のままで、私が幼い頃に見た一社駅とほとんど姿を変えていません。駅の近くにはいくつか銀行があるのですが、かつてはスルガ銀行だった記憶のある建物が三重銀行に変わっていたり、大垣共立銀行がビリヤード場と一緒になっていたりと、駅は昔のままでも周辺の風景は大きく変わっています。

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▲昔も今も変わらぬ姿の一社駅。東山線はこの駅から地下へ。
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▲カラオケやビリヤードと銀行が同居。
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▲地下鉄東山線はこの東山通の地下を走ります。

 一社駅の一本東の道を北へ歩いていくと、入口に大きなアーチのある高校が見えてきます。千種高校です。なぜ名東区なのに千種高校があるのかといえば、この高校が設置された1963(S38)年当時は、ここが千種区だった名残といえるでしょう。千種高校の出身者には俳優の舘ひろしさんや、故・池田貴族さんがいます。ちなみに、この千種高校は千種区の読みである「ちくさ」とは異なり、「ちぐさ」高校です。これが判読できるかどうかで、地元民かどうかを判別される可能性がありますのでご注意を。千種高校はかなり難易度の高い高校ですが、校名からして難易度が高く設定してあるようです。

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▲アーチが目印の千種(ちぐさ)高校。

 さて、千種高校を通り過ぎて千種高校北という交差点を左折して西へ西へと歩いていくと、東邦学園へと続く道へとでます。道路には「私学助成の拡充を」といった幟がはためき、東邦学園が近くにあることがわかります。東邦学園には大学と東邦高校があります。東邦高校といえば野球の名門として知られており、ドラゴンズの朝倉などを輩出しています。この東邦高校は模試の会場としても使用されることから、私も何度か受験生時代に訪れたことがあります。一社駅からぞろぞろとみんなで歩いた記憶が残っています。ちなみに俳優の奥田瑛二さんもこの東邦高校出身です。

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▲東邦学園高校周辺には私学助成拡充を求める幟がいっぱい。
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▲瑞光寺です。本堂は1970(S45)年創建です。

 東邦高校は広大な平和公園の手前にあり、周囲の急な斜面には比較的新しい住宅街が形成されています。そんななかに眠光院というお寺と神社があります。眠光院は住宅街に溶け込むように高台にあり、神社もまるで区画整理された一角のように整然と住宅と住宅の間の細い場所にあります。その神社の名は平和ヶ丘神社。創建は1960(S35)年と、このあたりが新しい街であることを象徴するように神社も新しめです。当時は氏神さまとして山地に建立されたそうです。その後外周土留が老朽化して危険な状態になったため、2000(H12)年に社殿を含めて新築したとのことです。どうりでピカピカなわけです。境内からは遠く瀬戸デジタルタワーまで見渡せる高台です。坂を下りたところには瑞光寺というお寺があるのですが、こちらも1960(S35)年開山の新しいお寺となっています。実はこの瑞光寺と平和ヶ丘神社を創建した人物は同一人物です。

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▲高台の住宅街のなかにある眠光院。
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▲住宅と住宅に挟まれた平和ヶ丘神社。
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▲このあたりからは瀬戸デジタルタワーまで見渡せます。

 ではその高台を降りて、その平和が丘を北へと歩きます。周囲には大小さまざまな住宅がびっしりと立ち並びます。平和が丘交差点を越えて次の角を左へ曲がると山門が立派な正敬寺というお寺があります。お寺のすぐ裏手は平和公園です。先ほど通り過ぎた平和が丘交差点を東に曲がって歩いていくと、いわゆる転勤族の住む街並みといった様相になります。煉瓦の壁があるオシャレなスーパーや、ハンバーグ・パスタ専門店、ファミレスもここではガストではなく名古屋では珍しいCASAという時代が長かったです。CASAは現在ココスに姿を変えていますが、それでもやはり名古屋では珍しい存在です。「よもぎ台」といういかにも新しい街ですという名の交差点も、そんな街並みのエッセンスになっています。近くには第2新幹線歯科という謎の歯医者さんや、昭文社の名古屋営業所があります。昭文社といえば私がこの散策を共にしている地図のメーカー。やはりその地図上には、昭文社がちゃんと載っていました。

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▲この正敬寺の裏手はすぐ平和公園です。
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▲マンションや社宅が数多く立ち並びます。
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▲名古屋では珍しいショップや飲食店のラインナップ。

 ちょっと東京郊外の空気感があるかなと思いながらよもぎ台交差点を過ぎると、雰囲気が一変します。それは街並みの雰囲気ではなく地名です。よもぎ台の次の交差点の名は「地アミ」。バス停も「じあみ」。さらにじあみバス停にある、次の停留所の名の案内には「鋳物師洞」とあり、それまでの少しオシャレな街並みとは全く印象の異なる名前が登場します。道路の案内看板にも「地アミ」と書かれていたりするほど、地アミはその字面から受ける印象も含めてこのあたりでは有名な地名です。しかし、地アミも鋳物師洞も現在は地名としては残っていません。交差点やバス停にその名を残すのみです。かつてはこのあたりに鋳物師の集落があったことは想像できますが、地アミとは何でしょうか。さすがにこのあたりがかつて海だった時代というのは相当昔でしょうし、その頃地アミ漁があったとは思えません。

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▲「じあみ」バス停。「次は鋳物師洞です」。

 地元の方に話を聞くと、一説にはこのあたりの地面には網の目のように穴が掘られているという説があるそうです。確かに、日進市から名東区にかけてはかつていくつもの亜炭鉱があり、その跡は充填されずに今も住宅地の下に眠っている部分があるそうです。住民は市に対して亜炭鉱跡を反映させた地震マップの作成を要望したこともあるとのこと。ということは、宅地の地下に空洞が今も広がっているということ...。まさか「地アミ」という地名がそんなことを語りかけているとは。


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