09.瑞穂区 名古屋を歩こう

やるね、お城三兄弟

記事公開日:2004年10月22日 更新日:

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藤原師長の琵琶をモチーフにしたオブジェ-新瑞橋駅

 妙音通を東に歩くと、環状線とぶつかる交差点が新瑞橋交差点です。ここは地下鉄も名城線と桜通線が交差していて、交通の要衝となっています。交差点には「新瑞の調べ」という大きなオブジェが設置されています。半円の輪に三本の弦が繋がる形をしているオブジェは、藤原師長の琵琶をモチーフに、自然と歴史、文化の3本がまちの発展を奏でるようにとの想いが込められています。そして駅前周辺には銀行、フィリピンパブ、パチンコ店、ブティック、そして橋を渡った南区にはショッピングセンターがあります。その橋の手前には、「♪カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」というCMソングが東京地区では有名な文明堂があります。電話は二番という歌詞は東京で文明堂が電話をひいたのが2番だったことをアピールしたもので、今も本店の電話番号は「0002」なのです。ところが、なんとそれは本店だけでなくこの新瑞橋店もちゃんと電話番号は「0002」になっています。この徹底したこだわりはカステラの味にも通じていることでしょう。もちろん、カステラは二番ではなく一番のこだわりです。

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▲新瑞の調べ。まちの発展を奏でられるかな。
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▲この橋が新瑞橋。サンテラス新瑞は南区地内。
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▲電話は2番の文明堂。

コッペとロールのフジパン-フジパン

 新瑞橋から東に歩き、山崎川を落合橋で渡ると弥富通になります。次第に工場は少なくなり、北は少し上り坂になって住宅街に、そして南は平地の住宅街になります。そして北に瑞穂運動場という位置になると、弥富通と運動場の間にフジパンの本社があります。フジパンといえば東区にあったパスコプランドのシキシマパンと双璧をなす、名古屋が全国に誇るパンメーカーです。フジパンといって名古屋っ子が思い浮かべるのが、麦の穂を持った小人のキャラクターです。「コッペとロールの天気予報」に登場していたあの小人です。全国的にはミッフィーをキャラクターに採用していて、点数を集めるとミッフィーグッズがもらえるキャンペーンを展開しています。また、瑞穂運動場近くという場所柄か、少年サッカー大会の冠スポンサーにもなっていて「フジパンCUP」として毎年開催されます。やっぱり優勝するとパンがもらえるのかな。

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▲山崎川沿いには、パチンコ店やフィリピンパブ。
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▲環状線はさすがに交通量が多い。
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▲弥富通沿いにあるフジパン本社。コッペとロールは見当たりませんでした。

中根銅鐸発見の地-宝蔵寺・西八幡社

 そして次の歩道橋のある弥富通2丁目交差点を右に曲がると、コミュニティ道路・銅鐸の道です。車が路上駐車できないように道路の幅に凹凸がつけてあり、歩道にはレンガで色がつけてあります。この道路に入るとすっかり工場の姿は無くなり、静かな住宅と少しではありますが畑があり「瑞穂」の名を思い出します。さて銅鐸の道ということは銅鐸が発見された遺跡が近くにあるということでしょうか。片坂町から軍水町へ、点滅信号を左折して急な坂を登り次の角を右に曲がると中根銅鐸発見の地があります。

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▲こうしないと、すぐに路駐天国に。
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▲銅鐸の道は1987(S62)年に整備されました。
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▲住宅街の中に、ポツンと畑が登場。

 中根銅鐸は、1870(M3)年に農業を営んでいた丹羽利吉さんが道路改修工事中に発見したもので、高さ83.2センチもある大きなもので、現在は兵庫県辰馬考古資料館が所蔵していて国の重要文化財に指定されています。そしてこの銅鐸発見地には宝蔵寺と西八幡社があります。宝蔵寺は1534(天文12)年に創建されたもので、かつては寺子屋がありました。西八幡社の本殿へと歩くとびっくり、なんとものすごく高い場所にあるのです。北側から入ると全くそれを感じないのですが、南側にはものすごい段数の階段があります。かつてこのあたりにはお城があったのですが、ここだと見晴らしもよくていい場所なのでここかと思いきや違います。

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▲ここが銅鐸発見地。この先頂上には宝蔵寺と西八幡社が。
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▲宝蔵寺です。この南側が西八幡社です。
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▲西八幡社の南側はものすごい坂になっています。

3つのお城をまとめて中根城-観音寺

 階段を下り、左に歩くと右側に石垣がある観音寺と弥富二葉幼稚園があります。実はここが中根城址です。今はその面影を残していません。中根城は村上小善の北城、村上弥右衛門の中ノ城、織田越中守信照の南城と3つあり、それをまとめて中根城と呼んでいたそうです。南城が本城で、織田信秀の九男で信長の異母兄弟だった織田越中守信照が1561(永禄4) 年に築城したといわれています。この観音寺付近にその南城があったようで、中ノ城がこの先の弥富通3丁目交差点の一本南東に、北城はその北側の日向町4丁目地内にあったそうなので、ずらっと3つのお城が南北に並んでいたことになります。ひょっとしたら南城は、この城址から先程の西八幡社の丘にまで広がる大きなお城だったのかもしれません。だとしたら見晴らしは抜群で容易に敵の侵攻を把握できます。

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▲中根城南城址です。どのくらいの規模のお城だったのでしょうか。

いつのまにか工業から静かな住宅地に-東八幡社

 そしてこの観音寺を越えて二本目を右折してしばらく歩くと、先程の西八幡社と対をなす東八幡社があります。立派な神馬のあるこの神社には、子ども達が遊んでいたり、孫をつれたおばあちゃんがお祈りをしていたりと懐かしい風景が残っていて、信仰が厚いことが伺えます。周囲が静かな住宅と畑なのもそう感じさせる要因のひとつです。ここまでくるとすっかり工業の瑞穂区というイメージはなくなります。

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▲東八幡社には懐かしい風景。
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▲躍動感のある神馬が印象的。

 位置的に、この東八幡社と西八幡社は中根南城の守護社だとすると、かなり大きなお城だったのかも知れません。それにしても、こんな見晴らしの良い場所にお城が3つ並んでいたら、攻めるほうも怖気づいてしまいますよね。それが狙いですね。

 中根城だけにナカナカやるネ。そんなオチかよ、とあざ笑っていただいて結構です、それでも私は泣かね。やっぱりダジャレで〆るのはよくない。でもそれしか思い浮かばない時もあるんです、なかなか...ね。


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