- 徒歩で行くことができる竹島
- 島全体が八百富神社
- てっきり竹島と言ったらあっちと関係…あるんだ!
「たけしまに行ってきました!」…と言いますと、全国の多くの人は「え!?あの国が実効支配しようとしている竹島に!?」と思われるかもしれません。また、滋賀県の多くの人には「『♪あれが竹生島?ってソレ多景島』という、びわ湖放送で流れている歌に歌われている多景島に?と思われるかもしれません。
いえいえ、愛知県蒲郡市にある竹島です。そのどちらにも関係ありませ…と言おうと思ったら、片方と関係してました…。
竹島は、多くの文人たちに愛され、島全体が神域となっています。今もその面影を残す一方で、一個人の寄進によって橋が架けられ、歩いて行ける島になっています。竹島周辺をぶらり散策してきた様子を、今回から3回に渡ってレポートします。
竹島を眺めているのは…
竹島の対岸には、観光客用の大きな駐車場が整備されていまして、竹島橋で陸続きになっている竹島がこんもりとまんまるな様子で目に入ってきます。すると、自分たちと同じように、竹島を眺めている像がいるではありませんか。
その像の人物は藤原俊成。平安時代後期に名を馳せた歌人で、ここでは「蒲郡開発の祖」と呼ばれています。あの小倉百人一首を撰じた藤原定家の父親に当たります。
そんな平安時代の歌人と蒲郡に何の関係が…と思ったら、藤原俊成は、三河の国司に任命された際、このあたりの開発に着手し、1181(養和元)年、竹島に市杵島姫命を勧請して八百富神社を創建しているのです。そして八百富神社は別名竹島弁天と呼ばれ、日本七弁天に挙げられているのです。
では、いざ竹島へ。すると橋のたもとの両側で、何やら像がお出迎え。また藤原…と思ったら、何だか腰に手を当てた丸っこい像でした…。何だろう…。
個人が架けた?竹島橋
387メートルの竹島橋で海を渡ります。潮干狩りの際には、島まで陸続きになるほどの浅瀬ですが、それでも橋は立派です。現在の竹島橋は、1986(S61)年に架け替えられたものですが、最初に架けられたのは1932(S7)年4月のことで、それは市などが建設したものではなく、滝信四郎という人物が寄進したものだったのです。滝氏は藤原俊成になぞらえて、「蒲郡の観光開発の祖」と呼ばれる人物です。この方については胸像が飾られている場所があるので、次回ご紹介します。愛知県民なら知らない人はいないあの「滝」の滝さんです。
潮風が心地よく頬を撫でるなか歩いていきますと、大鳥居が現れます。この鳥居は橋が架かる前からあったものでして、鳥居をくぐるように橋が架けられているために、鳥居が低く感じます。橋を渡り終えたら神域です。この島全体が神社の境内なのです。
急な階段…そして…
鳥居をくぐると、目の前には急な階段が。遠目に見てもこんもりしていますとおり、竹島は盛り上がっていますので、この位置から島の中の様子を窺い知ることはできません。そして、階段脇には神社ということで狛犬がいるのですが、豪雨で台座が崩れかかっており近づけないようになっています。普段は穏やかに見える海ですが、時には激しさも見せるということですね。
橋で陸続きになっていて、渡ったところに鳥居、その先の様子がわからない…といいますと、以前訪れた福井県の東尋島の横にある雄島の恐怖体験エピソードを思い出してしまい、相方はチョット…と怖気づいていましたが、竹島にはそういったものはない…はず…。
そして…急な階段を上って目にしたものとは!なんと…休憩所。
手水舎とともに休憩所が整備されているのです。休憩所には資料や年表、八百富神社の概要などが詳細に説明されています。まず休憩所があるという配置は、橋を渡って、急な石段を上った参拝者への配慮でしょうか。素直に…嬉しいですね。
小島とは思えない静寂
休憩所の先には、何が収蔵されているのだろう…と興味を持ってしまう古い蔵があり、それを過ぎると、ここが小さな島であることを忘れてしまうほどの、緑の静寂に包まれます。
八百富神社の境内には、食べものにまつわる神様を祀る宇賀神社、大国主命を祀る大黒神社、雨乞いに霊験著しく厄除けにもご利益があるという八大龍神社、そして千歳神社も祀られています。
そしてもちろん、八百富神社です。開運、縁結び、安産にご利益がある市杵島姫命が祭神です。ではその神様はどこから勧請されたのかというと、実は、琵琶湖に浮かぶ「多景島」なのです。そう、「♪あれが竹生島?ってソレ多景島」の多景島から神様を勧請したことから、竹島なのです。
その八百富神社では祈祷も行っていまして、商売繁盛、学業成就、病気平癒など様々な種類の祈祷を受け付けているのですが、島にもかかわらず車両ご祈祷を受け付けているのです。まさか…。
いえいえ。だからといって、いきなり車であの竹島橋を渡ってきてはいけないようで、車検証を持参してくださいとのことです。でも、この日は本殿の改修工事を行っていまして、工事車両はあの橋を渡ってきていましたので、車が通れないことは無いようですけどね…。
その先には何がある?
さて、八百富神社の本殿まで来たのですが、道はまだ先に続いています。その先には八大龍神社があり、さらに奥へと道は繋がっています。果たして一体何があるのでしょうか。まだ深い緑のなかにいるため、先がどうなっているのかはわかりません。
歩いていくと、見えてきたのは大きな松。龍神社の奥にあるためか、これは竜神の松と呼ばれているもので、立派です。
その松が立っているのが、竜神岬です。松のところにたどり着いた瞬間、さっきまでの森が嘘のように周囲がパーっと開け、目の前には三河湾が広がります。
そして、島に着いたときに階段を上ったように、今度は下って岩場まで降りることができるようになっています。そこには、折れた棒状の石碑が修復されているのですが、どう見ても無地なのです。不思議に思い、何かな?と、ぐるっと見ますと…。
それは、八百富神社が天然記念物であることを示す石碑でした。でもこれ、どう見ても海に向かって立っているんですよね。かつて橋が架かっていなかった頃は、海を渡ってしかこの神社にお参りすることはできなかったわけで、反対側から船でやってきた人に向けての表示だった…ということなのでしょうかね?
でも普通は、神社は正面から参拝するもの…じゃないのですかね?いや、船でやってくる場合はそうでもなかった?
天然記念物である意外な理由
石碑に「天然記念物」と書いてありましたが、はて…神社が天然記念物?神社が天然?と思ったらそうではなく、この竹島は、対岸とは全く違う植物が群生していて、東海地方全体を見ても、他では見られない暖帯林となっているというのです。そのため、1930(S5)年に天然記念物に指定されているのです。
対岸との距離はたった400メートル弱。実際に「歩いて渡れる島」にもかかわらず、これは珍しいことではないでしょうか。ひょっとして、伊豆半島のように、かつて竹島はどこか南方にあった島で、長い時間をかけてこの地にやってきたとか…そういうことなのでしょうかね。不思議です。まさか…琵琶湖から!?それは絶対無い。
その竜神岬から周囲を見渡しますと、この日泊まる予定の西浦温泉がある西浦半島の方がよっぽど南なのですから、位置関係でいったら、東海地方で珍しい暖帯林がこの島にだけあるというのは、やっぱり不思議なことです。
全く違う風景をぐるっと回って
竹島は、ぐるっと周囲を回る遊歩道が整備されていますので、先ほどの神社境内の深い緑とは一変して、三河湾の穏やかな水面を見ながら、全く違う気分で島の反対側に出ることができます。ただし、遊歩道といっても岩場はゴツゴツですので、運動靴で無い方は避けた方がいいかもしれません。
では再び、竹島橋を渡って対岸へ戻ろう…と見ると、そこにはあの格式高いことで有名な蒲郡プリンスホテルが。
蒲郡プリンスホテル、略して「蒲プリ」と言えば、なかなか気軽に泊まれるというイメージではありませんし、食事、いや…喫茶だけでもそれなりなところという感じがします。でもここまで来たら、後ほど行ってみようかな…。その前に腹ごしらえです。まさか、蒲プリで腹ごしらえなんかしたら、大変なことになりそうですので、あくまでもその前に…です。
幼い頃の思い出によりますと、竹島の対岸は一大観光ゾーンになっていたはずです。そこで観光気分を高めて、腹ごしらえも済ませたうえで、格式高いホテルへと足を進めることにします。
それにしても、この竹島があの多景島から来てるとは。次回は、文人が愛した竹島を対岸で体感します。
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